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by thessalonike4
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イスラム法とシンガポールの厳罰刑 - 官僚司法の限界と無責任
b0087409_15531681.jpg前の記事で死刑廃止は世界の流れだと書いたが、果たして本当にそう言えるのだろうか。少し疑念がある。イスラム教の国々がその流れに乗っていない点が引っ掛かるからである。基本的にヨーロッパを中心とする先進諸国、近代西欧文明、キリスト教文明が支配的な国々で死刑廃止の流れが主流になっている。最近、テレビで「イスラム法学者」なる人物の映像が出る機会があり、興味深く見入ってしまうが、昔の大学にはイスラム法の講義ができる教官がいなかった。どのような法律体系と裁判制度があり、その基礎にある法哲学は我々の人権思想とどう違うのだろう。この三年ほど、特にNHKがイスラムの社会思想や価値規範について内在的に紹介してくれていて、NHKの人間はイスラムへの理解が深い。嘗ての中国研究と同じほど精力的にイスラムの文化を研究している。ニヶ月ほど前に「世界遺産」の番組でカイロの特集を放送していて、そこで喜捨(サダカ)の習慣が印象的に紹介されていた。



b0087409_15533155.jpg喜捨(サダカ)の日、カイロに住む一軒の家の中に生きた羊が運ばれてきて、家の主が居間でナイフを使って解体する。解体した肉は三等分され、三分の一は家族に、三分の一は親戚と隣近所に、三分の一は施しを求める貧しい者たちへ与えられる。サダカをすることはイスラムの者にとって誇りであり、サダカができる人間になろうと努力する。サダカを受ける者もそれは屈辱ではなく、アラーの神が与え給うた恵みである。NHKのカメラと解説は内在的に、どこまでも内在的にカイロの家のサダカを追って紹介した。三年ほど前だが、イスラムの金融を取材した番組があって、イスラム教では銀行は利子を取ってはならないとする経営原則に関心が当てられていた。NHKの視線が何を捉えているのかよく分かる。新自由主義とは別の価値観の下で生きている人々がいるのだということを説得的に訴えているのだ。「改革」に対する抵抗。NHKの批判的知性の在処に感動し、NHKを新自由主義から守る決意を新たにする。

b0087409_1553436.jpgそのイスラムの刑法と刑罰は我々のものとは大きく異なる。そこにはキサースと呼ばれるコーランの規定に基づく罪刑概念があり、明確な同害報復主義の原理が生きている。ある者が他人を故意かつ不当に殺した場合、被害者の相続人に加害者を殺す権利が与えられ、またある者が他人に故意かつ不当に傷害をあたえたとき,被害者には自分が受けたと同程度の傷害を加害者に加える権利が与えられる。刑罰もいわゆる肉刑(身体刑)が存在し、姦通罪には石打ちの刑、中傷罪には鞭打ちの刑が課せられる。ブログへの誹謗中傷を唯一の生きがいにしている阿片窟の麻薬中毒患者には、イスラム法を適用していただきたい。で、シンガポールに駐在経験のある人の情報では、シンガポールで道端にチューインガムをペッと吐き出すと、警察に逮捕されて鞭打ち一回の刑に処せられるという話だった。鞭打ち専門官がいて、一撃で失神し、背中の皮膚が破れ、筋肉が裂け、背骨が軋み、激痛で三週間寝たきりの状態になると言う。

b0087409_15535122.jpg日本国憲法では、第36条で「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」と規定されていて、上の如きイスラム的刑罰の身体刑は当然ながら「残虐な刑罰」として排除される。けれどもイスラムでは少し考えが異なっているようで、タージールと呼ばれる「矯正」を意味する裁判官自由裁量の刑罰の中にも鞭打ちは存在するのである。日本および欧米先進国の場合は、死刑以外が懲役と禁固の自由刑、そして罰金の財産刑である。果たしてシンガポールの鞭打ちは、刑罰として人間の人格的尊厳を侵す不当な残虐行為なのだろうか。喜捨や無利子金融と同じ思想から出発した刑罰なのである。別に脱構築主義に便乗するつもりはないが、我々の中のヒューマニズムや合理主義の観念や表象は、あまりに西欧近代中心に組み立てられすぎているところはある。ひょっとしたら鞭打ちの苦痛が犯罪者の更生に役立っているかも知れない。応報刑として機能するのみならず、教育刑の効果を発揮しているかも知れない。

b0087409_1554241.jpgと思うのは、本村洋が六年前の「正論」のインタビュー記事で語っていた日本の犯罪受刑者の再犯率の異常な高さで、「平成五年に出所した人が二万二千人ぐらいいます。そのうち平成十年までに刑務所に帰ってる人は四八%いる。誰も刑務所に入ることを恐れてないんじゃないかと思ってしまいます」とある。この数字は衝撃だが、さらに六年経って、新自由主義が大量のドロップアウトを生産した現在はどうだろうか。ホームレスの過酷な生活に耐えられなくなって、三食付きの小菅拘置所にチェックインするドロップアウトも少なくないだろう。本村洋の主張を聞きながら思うのは、現在の司法と司法に携わる人間たちが、果たしてどこまで犯罪者の内面を正確に凝視して裁判を行っているかという問題である。反省も更生も、本来は裁判の中で行われなければならないもので、裁判官や弁護士は裁判でそれを促さなくてはならないはずである。犯した罪と正面から向き合わせ、反省と再生に導かねばならない。内面を改造しなくてはならないはずだ。

b0087409_15541138.jpgところが、どうも現在の司法はそのようになってなくて、何か書類にめくら判を押すように、工場のラインで製品を捌くように、次から次に犯罪者を刑務所に入れたり出したりしているだけだ。裁判が司法官僚の事務処理になっている。検察官と弁護士と裁判官の官僚的なルーチンワークになっている。弁護士は単に量刑軽減のみを目的とし、死刑を無期にすれば勝利だと単純に目標化する。人権イデオロギーへの奉仕のみで、担当した被告人の半分が再犯して舞い戻る矛盾には関心を向けない。裁判所も自動販売機のように機械的に判決を出している。裁判官は目の前の被告人に対して、「どうせまた戻って来るんだろう」という目で見ながら判決するだけで、被告人の更生には本当のところは何の意欲もない。そして再犯が起きて被害者が出る。再犯で裁判官の責任が問われることはないのだ。弁護士の責任が問われることはないのだ。司法にとってはルーチンワークだが、確実に新しい被害者が出るのであり、被害者の多くは弱い庶民なのだ。

更生を媒介する真にヒューマンな裁判、ヒューマンな刑罰とは何だろうか。シンガポールは先進国だけれど、鞭打ち刑もあれば死刑もある。そして、シンガポールの犯罪率は、先進国の中でもずば抜けて低いと言われている。

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by thessalonike4 | 2006-06-27 23:30 | 山口県光市母子殺害事件
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