関連するニュースで、横浜市の中田市長が、朝鮮総連の関連施設に行ってきた固定資産税と都市計画税の減免措置を取りやめた発表が
7/12にあった。この横浜市の決定はミサイル発射直後に総務省が出した通知に素早く応えたもので、総務省は
7/6に朝鮮総連への固定資産税を適正に課税するよう全国の関係自治体に求めている。時期的には万景峰号の入港禁止措置発表と同時期で、予め準備していた制裁措置の発動である。総務省は全国139の関係自治体に通知を出していて、このうちすでに10自治体が横浜市と同様に減免措置を見直す方針を固めている。中田市長は見直し理由を、「朝鮮総連はその言動や裁判の判決などから北朝鮮という国家と一体の組織。ミサイル発射という友好関係を踏みにじる行為があり、減免を取りやめるのは正当な措置。国全体の中での経済制裁の一つにあたる」と述べている。
秋田市では、減免措置廃止の撤回を求めた朝鮮総連の不服申し立てを棄却した。
秋田市長の却下の
弁が面白くて、「朝鮮総連の個人には罪はないが、北朝鮮と朝鮮総連は一体だ」と言っている。読売新聞の
調査では、北朝鮮に対する政府の経済制裁措置を支持する世論は92%に達しており、恐らく世論調査すれば、中田市長の決定を支持する声が圧倒的に多いだろう。「朝鮮総連は北朝鮮と一体の組織」という見方も決して間違っているとは言えない。がしかし、これはいじめであり、嫌がらせではないのか。今回の国内向けの経済制裁措置に対して、現在のところ日弁連や弁護士会から抗議の声が上がったという報道は見ない。見過ごしていいだろうか。この問題は03年に東京都が嚆矢となり、固定資産税課税に方針転換した後、各地で追随した動きがあって行政訴訟となり、熊本市のケースでは福岡高裁が今年になって「朝鮮総連の活動に公益性はなく税の減免措置は違法である」とする判決を出している。具体的に朝鮮総連の関連施設の公共性や公益性が裁判の争点になっていた。
腑に落ちないのは、裁判ではじっくりと関連施設の使用状況を精査して、その公益性の有無軽重を判断、減免措置の妥当性を判断しているのに、今回、本国のミサイル実験だけで自治体の首長判断であっさり減免措置廃止に踏み切ったことだ。そして、まさにこれが制裁というものの本質なのだろうが、困るのは在日の朝鮮総連で、平壌の金正日には何の痛痒もなく、今回の減免措置廃止がミサイル開発中止に何の貢献も及ぼさない事実は明白なのである。その首長の行政判断がどれほど合法的なものであろうと、措置の本質が在日朝鮮人に対する嫌がらせでありいじめである真実は否めようがない。行政権力による陰険な弱いものいじめ。在日朝鮮人にもいろいろな人間がいるだろうが、普通に考えれば、その生き方は辛くて重いもので、人間として同情すべき点が多い。パレスチナ人として生まれればパレスチナ人として生きなくてはいけないように、在日朝鮮人の両親の間に生まれれば、人はその生き方を背負うことを余儀なくされる。
ミサイル発射にどれほど反対でも、在日朝鮮人である以上は、簡単にそれに反対の態度を表すことはできない。それは当然の話で、そんな裏切り行為を働いたら、北朝鮮国内に住む親類縁者にどのような累が及ぶか分からない。在日朝鮮人には言論の自由はないのだ。日本に暮らしていても政治の環境は北朝鮮と同じであり、監視の目が光っていて、金正日の独裁体制が潰れるまでは北朝鮮人として「将軍万歳」を言い続けて生きなくてはいけない。今回の首長の措置は、民族差別による脅迫や暴行の危険に晒されている朝鮮学校の生徒や父兄をさらに一段と苦境に追い詰め、右翼による嫌がらせと暴力の未然抑制環境を緩くしたようで、その点で心が痛む。在日朝鮮人の人間としての権利が、数百グラムほど軽くさせられたのであり、同じ人間ではなく、犬や猫に近い存在に「法的位置」が変えられたということなのだ。軽く扱われていい存在だと公権力が認めたのであり、その延長には戦前のナチスのユダヤ人迫害の絵が見えてくる。
秋田市長は「朝鮮総連の個人には罪はないが」と言いながら、やっていることは、まさに朝鮮総連の個々人に経済負荷を負わせる制裁ではないのか。三年ほど前、田中均の自宅に右翼が爆発物を仕掛けた騒動があったとき、石原慎太郎は「あんな奴は爆弾を仕掛けられて当ったり前だ」と豪語した。恐るべき暴言だったが、石原慎太郎には何のお咎めもなかった。女子生徒のスカートが切られても、顔面を殴られても、石原慎太郎には「当ったり前」なのだろう。その石原慎太郎が何年か前に、埼玉や千葉から通勤している人間は昼間は東京の道路を使い水道を使ってるんだから、その分、東京都に税金を払ってもいいじゃないかと言ったことがあった。気になるのは、またぞろ石原慎太郎がそういう荒唐無稽な暴論を吐いて、例えば、朝鮮学校の水道や電気の使用に特別な税金を課そうとか、そういう嫌がらせを言い始めるのではないかという危惧である。あの右翼掲示板の狂気の投稿群も、東京都知事が扇動しているのだから、まさに「むべなるかな」である。
本当は、日本の政府と民団が一致協力して、朝鮮総連に対して国内版太陽政策を採ってもいいのだ。日本国内の「北朝鮮」を先に改革開放へ導いて、本国に先行してオーバーコートを脱がせるべきなのだ。いつも思うことだが、こういうとき必要なのは、きっと久米宏のように勇気を出して目の前の権利迫害の現実に声を上げることなのだろう。知識ではなくて勇気だ。知識人に必要なのは右翼(あるいは左翼)の暴力に正面から立ち向かう勇気である。顔と名前と本を売ることにしか興味のない姜尚中が、オリエンタリズムだのマイノリティーだのといくら言っても、問題は一向に改善されない。ポストコロニアルのインダストリーが回ってアカデミーのバジェットが積み上がっても、日本の中のネガティブな(レイシズムとショービニズムの)政治状況は、まさにシューレを描いて年々過激で粗暴で凶悪になるばかりだ。