昨日(9/12)の夜、小沢一郎はNHKとテレビ朝日の報道番組に生出演した。いわゆる「小沢ビジョン」について国民に説明したのだが、話の内容は私には全く説得的には響いて来なかった。他の視聴者はどうだっただろう。率直に言って、これでは臨時国会の論戦も危ういし、来年の参院選で本当に勝利できるのか疑いの眼差しで眺めざるを得ない。昨日、私は小沢一郎の基本政策について総花的でエッジがきいてないと
批判した。小沢一郎の生放送のインタビューを聞いて、その批判が間違いのないものだとあらためて確信した。キーメッセージが明確でないのである。基本政策の思想が明確でないと言うべきかも知れない。我々の期待していたものとはイメージが違うのであり、報道各社が様々な受け止め方をしてそれを伝えたように、誰が聞いても同じイメージが頭に浮かぶ明快なコンセプトのものではないのだ。小沢一郎はこれを叩き台にして来年また包括的な政策を纏めると言っているが、果たしてどうなるだろう。
現在の不明確な概念の基本政策を土台にして「包括的な政策」を構築したら、建設された「包括的な政策」は支柱の脆弱な、図体だけ大きな建造物になりそうな予感がする。問題点は二つある。まず
第一に格差是正の問題である。小沢ビジョンには確かに「格差是正」が上げられているが、インタビューを聞いたかぎりでは、小沢一郎は格差の問題に対してそれを是正する経済政策を言うのではなく、全く別な問題である官僚機構や官僚権力の弊害を言い、「小さな政府」の政策を対置して問題解決を語っていることである。小沢一郎は格差是正について正面から何も言っていない。格差是正をどうするのかという質問に対して、官僚機構をスリム化すると言って回答を代替させているのである。小沢一郎の格差是正論は格差是正論ではない。行政改革論だ。格差是正の問題を行政改革の問題にスリカエている。行政機構をスリム化したら格差是正を実現できると言っている。ほとんど詭弁に等しい。そういう問題ではないはずだ。
我々が聞きたいのは、非正規雇用を減らしてニートやフリーターを社会から根絶するための具体的で根本的な施策であり、リストラによって没落させられた「負け組」を蘇生させ、生きる希望を持った正常な中産層に再建するための対策と立法である。それが格差是正の根幹のはずで、それが埋まらなければ格差是正の政策論にはならない。格差是正論としては聞けない。小沢一郎が言っていたことは、中央省庁の官僚仕事を減らして予算と仕事を地方に回すという話だった。その話をもって中央と地方の格差是正の話にしていた。納得できない。それは行政改革論であって格差是正論ではない。これなら、安倍晋三の「再チャレンジ計画」の方が、まだ格差問題に対する正面からの政策論と言えるだろう。ニートやフリーターの問題をどうするかという事を言わなければ、その政策は格差是正策にはならない。そしてその問題こそ国民が小沢一郎に聞きたい最大の関心事であり、そして民主党支持の世論を作るキーイシューであるはずである。
キーイシューをスルーして詭弁で逃げた。格差是正の具体論を何も言わなかった。小沢一郎は
4月に新代表になってテレビに出た頃は、格差是正の鍵は終身雇用制の復活だと言っていた。テレビで聞きたいのはそれをどうやって社会的に実現するかである。竹中平蔵と宮内義彦の規制緩和によって破壊された雇用制度を修復する基本方針を言わなければならなかった。小沢一郎の格差是正論は格差是正論ではなく、実体は行政改革論であり、その動機と眼目は消費税を上げずに財源を確保する財源捻出策にある。が、その行政改革論自体が、何か聞きながら古臭いと言うか、侘しさを感じさせられるもので、財務省の局長クラスの頭の中の問題意識にとどまっている。細かな財源捻出術も悪くはないが、そういう算盤勘定は選挙の前に言うべき話であって、今はむしろ税収をどう増やすかという中期の展望を語るときではないのか。その意味では、強気の成長政策論を麻生太郎がカバーしている自民党の方がフレッシュなインパクトを与えている。
第二の問題は集団的自衛権の問題である。この問題は確実に秋から冬の国会で集中的な議論になる。それを見越して自民と民主の両陣営から討論の鞘当が始まっている感がするが、昨夜の報道ステーションで小沢一郎が言い放った話は聞き捨てならないものだった。昨夜の議論は、要するに国家には自衛権があり、それは国連憲章でも認められているもので、そして自衛権には個別的自衛権と集団的自衛権があり、両方とも国家固有の権利として等しく認められるもので、その自衛権論では社民党も共産党も同じだと言っていた。社民党と共産党の集団的自衛権論は、従来の政府解釈(権利はあるが憲法の制約上行使できない)と同じなのか。両党の集団的自衛権論を詳しく調べたわけではないが、両党の集団的自衛権論が従来の政府見解と同じだという主張には疑問がわく。共産党や社民党は日米安保の廃棄を掲げているものだとばかり思っていたが、変わったのだろうか。昨夜の小沢一郎の話を聞くかぎり、憲法論としては安倍晋三とどこが違うのか
わからない。
民主党の集団的自衛権論と自民党の集団的自衛権論はどこが違うのか。違うところを視聴者は確認したかったはずだが、確認できた視聴者はいるだろうか。国会で論戦が済んだあと、政府解釈が変更されて、集団的自衛権を憲法の枠内で認めるという結論が導かれそうな予感がする。自衛隊海外派遣恒久法とセットで、あるいは米軍基地再編の予算化とセットで国会で承認され通過するのではないか。
前の記事でも触れたが、集団的自衛権と憲法の問題については、小沢一郎は田原総一朗の前で二転三転の姿を見せてきた。何年何月何日とエビデンスを出せないのは残念だが、私の中には明確な残像がある。この問題を最初に言い出したのが小沢一郎で、自民党幹事長だった頃に湾岸戦争で自衛隊をペルシャ湾に派遣するかどうか喧々諤々の議論があり、小沢一郎が集団的自衛権の解釈改憲を主導するリーダーだった。舛添要一がサポートしていた。途中で、自由党時代だったか、今度は「解釈改憲ばかりやってたら歯止めがきかなくなるから明文改憲だ」と言い出した。
小沢一郎は集団的自衛権と憲法のプロである。この議論は誰よりも詳しい。その小沢一郎が昨夜の報道番組ではお茶を濁す発言で逃げていた。民主党の憲法政策が纏まっていないからである。この点は国会で与党から追及されるだろう。
地方紙の記事や社説を読んでいると、今度の小沢ビジョンに対して、「格差是正を対立軸に据えた」ものとして報道、紹介しているものが圧倒的に多い。中日新聞もそうだし、中国新聞もそうだし、神戸新聞もそう書いている。これはおそらく、昨日の共同通信の配信記事の影響ということが大きくて、逆に言えば、地方紙の論説需要(ニーズ)を汲み取った共同通信が、その視角から見出しを書いて送ったというところがある。確かに「小沢ビジョン」には「格差是正」の文言はあるのだが、話を聞いてもわかるとおり、実際の中身は何もなくて、中身としてスリカエられて入っているのは行政改革と財源論の話なのだ。
地方は産業の不振と交付金の削減で喘いでいる。資本が集中投下されて発展する東京との格差が開き、失業や商店街の不景気がそのまま放置されて見捨てられている。地方紙が、民主党の「格差是正」に期待し、その言葉に飛びついてしまう心境はよくわかる。これは小沢一郎の欺瞞であり、それを書かない地方紙のデスクの自己欺瞞であると私は思うけれど、私が地方紙の社説担当者であったなら、やはり同じ事を書いて、地方の住民の支持が自民党から民主党に向かうようにしただろう。自己欺瞞だと批判するのは簡単だが、選挙で投票する側となれば他に選択肢がない。日本に必要なのは、本当に格差是正の社会民主主義的政策を実現する有力政党であり、つまるところ第三極しかない。
国民はまず、政治家に対して、自分が思ったり期待していることを言葉で言って欲しいのである。代弁して欲しいのだ。その政策を、具体的に実行して成果を出すことも求めるけれど、結果も出すことを要求するけれど、それ以上に、まずは自己の代弁者であって欲しいのである。格差是正は大多数の国民の悲願であり、特に地方の住民はそうである。その場合の格差是正は単なる標語ではなく、中身がなければならない。昨日の小沢ビジョンの「格差是正」は題目だけで内容がカラッポだった。小沢一郎から期待した言葉が聞けず、失望した国民はきっと多かったに違いない。この失望はどこへ向かうのか。普通に考えれば、安倍晋三の「再チャレンジ」への期待へと向かうだろう。他に何も無いのだから。
民主党は野党なのだから、むしろ大胆に思い切った経済成長路線や新産業政策の夢を語って、国民に明るい展望を指し示すことができるはずである。中国やインドの経済発展は日本に悪い影響のみを与えるのではなく、逆に新しい経済的可能性を提供してくれるかも知れない。エネルギーと環境技術の面を見れば、日本には大きなポテンシャルがあるのかも知れない。今、そういう話をする政治家が一人もいない。「痛み」が増えて、暗い時代を苦しみ抜く話ばかりである。野党の方が歳出削減の帳尻の厳密さを得意になって話している。特に小沢一郎にはその傾向が強い。新自由主義者は病的に公務員削減の話をする。民営化しても何もいい事はなかったのに。もう少し夢のある話をしてみないか。