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松本智津夫の死刑確定 - オウム真理教事件への三つの不満
b0087409_1231849.jpg朝日新聞の昨日(9/16)の一面に書かれていた降幡賢一の記事が秀逸で、それに特に付け加えることもないが、オウム真理教事件についてこの11年間で何かが解き明かされたという実感を持てないのは同じである。解明された感じがしない。あの事件は何だったのか、意味を説明してもらって納得した経験がない。ずっと引きずってきた不満感を率直に言うと、まず第一は学者の責任というところに関心が向く。この事件に対する理論的な研究を日本のアカデミーは積極的にやらなかった。それが何故なのか私にはよくわからない。私が期待したのは、例えば岩波書店が中心になって本格的な学際研究を呼びかけ、気鋭の心理学者や経済学者や法学者がプロジェクトチームを組み、報告と討論を重ねながら成果を纏めて出版する企画事業である。イメージとしては思想の科学研究会編の『共同研究・転向』(1959-1962)のようなもので、青木書店でもよかったし、東大出版でもよかったが、そういう知的挑戦に学者たちに取り組んで欲しかった。



b0087409_12312032.jpgオウム真理教問題に対しては社会科学のメスが十分に入っていない。社会科学的な分析が提供されていない。私の観点からすると、オウムの問題はバブルの問題と密接な関係があって、バブル経済という社会状況が青年の内面を屈折させた現象について直視しなければ真実は解明了解できないのではないかという気分をずっと持ち続けてきた。オウムの意味解析と意味説明において、バブルという契機を外して考えることはできないのではないか。そういう直感から自由になれない。オウムを素材にしてバブルを対象化することで自己対象化できる。そういう視角からの説得的な社会科学がいつか出るだろうと期待していたが、結局のところ誰からも出て来なかった。アカデミーの人間たちは、オウム研究の代わりにジェンダー研究とポストコロニアル研究でペーパーを生産し、「近代は終わった」「国民主義が悪い」「総力戦体制が諸悪の根源」と繰り返していた。問題意識を持った知識人がいないのだから、説得的な社会科学など出るはずもない。

b0087409_12313044.jpg不満の第二はジャーナリズムで、オウム真理教事件で活躍したジャーナリストの顔ぶれに私は好感を持っていなかった。いわゆるオウム・ウォチャーと呼ばれて当時のワイドショーの席に座り続けた人たちだが、今や堂々たる天下のジャーナリスト様に収まっている。その風格と貫禄を今では疑う者はいないけれど、この人たちは、本当にオウム真理教をジャーナリズムしてくれたのだろうか。彼らがオウム真理教と対決して告発した主体だった事実は間違いないが、私の中では、彼らとオウム真理教の関係は安倍晋三と北朝鮮との関係に似ている。北朝鮮と早くから対決姿勢を明確にして拉致問題解決に尽力した政治家の安倍晋三というイメージ。本来ジャーナリストのスペックを満たしていない者が、過去のオウム関連の業績を誇示することで、自己の地位を正統化し神話化しているように見える。悪く言えば、オウム真理教を出世の道具に利用したのではないかという疑念である。当時はそういう不信感が非常に強くあった。今ではその気分はなくなった。

b0087409_12314031.jpg人は成功しなければならないのであり、人生は二度なく、どんな機会も逸することなく上手に利用した方がいいのだろうという諦観に達している。テレビで彼らの顔を見ていると、「成り上がった方が勝ちだ」というメッセージを受け取る。頭を垂れざるを得ないが、それでも私のジャーナリストに要求するスペックは高くて、立花隆とか筑紫哲也とかでないとその言葉に見合う満足の感覚を持てない。釣り合わない。普通の人が出てきて普通の事を言うのはジャーナリズムではないのである。普通の人間にない知性や教養が必要なのだ。不満の第三は言うまでもなく司法である。問題は時間がかかったことだけでなく、真実を解明できなかったところにある。そしてその責任は、真実の究明という裁判の神聖な任務を放棄して、徒に加害者の人権保護にのみ配慮し、延命期間の引き延ばしに汲々とした「人権派弁護士」の死刑廃止イデオロギーにある。裁判は単に勝ち負けを争うケームではない。被告人の利益に一面的に奉仕することだけが弁護士の任務ではない。

b0087409_12315119.jpg加害者の動機の真実に最も接近できるのは弁護士のはずなのだ。加害者を悪魔から人間に引き戻し、自己の犯罪責任と向かわせるようにするのは弁護士の仕事である。麻原彰晃を担当した弁護士は何を考え、どういう方針で弁護に臨んだのだろう。麻原彰晃の戦略に乗って、「精神病」による延命の方向に弁護を方向づけたのは誰なのか。NHKの7時のニュースでは、地下鉄サリン事件で障害者となった妹の看病をしている兄が出て、「被害者とその家族は事件で普通の生活を奪われて、国の支援もないままずっと苦しみ続けているのに、加害者は国によって三食を与えられて生かされている」と告発していた。同感だ。最後に、この事件で個人的にどうしても解明して欲しかった一件があって、それはあの村井秀夫刺殺事件である。調べると、事件は95年の4月23日夜8時半に起きていて、場所は教団青山総本部の前だったが、何となく「ニュースステーション」の生放送で見ていたような錯覚が残っている。殺害を指図した真犯人は最後までわからなかった。

村井秀夫が殺されずに生きていれば、オウム裁判はかなり違ったものになっていただろう。
b0087409_1232553.jpg

ブログは終わり、選挙は負け、憲法は変わる。憲法が変わり、時代が変わる。変わる時代は絶望と暗黒と窮乏の時代。ウェーバーの言う「雪も凍てつく極北の夜」。日本人にとって嘆きと悲しみの21世紀が始まる。
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by thessalonike4 | 2006-09-17 23:30 | その他
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