3ヶ月ほど前の話になるが、ある若者向けカルチャー雑誌からメールが届き、新しい企画として「政治」を総力特集することになり、「小泉政権通信簿」と題して設問したアンケート項目に回答を寄せて欲しいという要請を頂戴したことがあった。生来ものぐさな性格なものだから、つい返事を出さないまま締切日を過ぎ、編集部には大いに非礼をしてしまったが、その依頼文の中に興味深い一節があった。曰く、「
現在、多くの若者が政治に強い関心を持っていますが、従来の運動への失望感や具体的な行動がイメージできないことから沈黙しがちであり、社会、特にマスメディアはあいかわらず『若者は政治に無関心』という論調に終始しているのが現状です」。そこで、従来は若者向けサブカルチャーをテーマに売っていた雑誌に、思いきって政治の要素を取り入れて新たな市場機会を展望して行こうというものだった。この雑誌編集部の市場観察の嗅覚は鋭いと思う。非常によいマーケティングセンスをしている。
私は今度の参院選の投票率は、従来の傾向や慣性を覆して、若者を中心にかなり高くなるだろうと予想している。上の雑誌編集部のマーケティングが捕捉した動向に関連して、私には無視できない兆候が一つあり、それを報告しておかなけれならないが、それはビジネスの天才である孫正義の「政治市場」へのアプローチである。彼は儲からないことはやらない。具体的に二点指摘したいが、一つは、Yahooの
トップページの「知る」のカテゴリーの中に「
政治」のアイテムが入った。昨年まではこの項目は無かったはずである。正確には言えないが、今年の春頃から、秋に予定されている自民党の総裁選と民主党の代表選をターゲットにした関心喚起のキャンペーンのような形で「政治」のコンテンツが配備された。情報の知的レベルは決して高くない。「分かりやすさ」が意識され、読者層として若い世代が前提されている。『サンデープロジェクト』の視聴者のような世代ではなく、もっと若くて政治の知識が薄い層。
さらにもう一つは、言うまでもなく『
オーマイニュース』への支援で、ソフトバンクが30%(7億円)出資をしている。創刊の際に孫正義が記者の一人として書いた記事が載っていた。鳥越俊太郎と孫正義の間で何か意気投合があったのか、具体的な情報がないので推測するしかないが、『オーマイニュース』に孫正義が何らか積極的に関わっている事情は微かに察せられる。恐らく、ソフトバンクの次の戦略ドメインとして「ジャーナリズム」の領域が見据えられているのだろう。確かに、読売・朝日・毎日・産経・日経の五社で長く寡占されている日本の報道の現状はアンシャンレジームの世界であり、ネットの覇者となったソフトバンクがそれに挑戦するという動きは自然の流れであると言える。孫正義は十年前にマードックと組んでテレビ朝日買収にも動いた。孫正義の動機と野望は消えていない。そして何より孫正義には何がしかの安心感と信頼感がある。竹中平蔵のような悪魔的で売国的な新自由主義者ではない。出生の要素もある。
孫正義には、ある種のバランスのとれた経営理性と、そして「日本」を残してくれるナショナリズムを期待できる気配を感じる。堀江貴文や村上世彰や三木谷浩史のような野獣とは少し違う。私の幻想なのかも知れないが、人を食い物にして食い散らかすだけでなく、剥き出しの弱肉強食の経営論理だけでなく、共存共栄の市場の論理の残影の部分がある。孫正義は西和彦の世代であり、没落のどん底にあった当時の米国経済を知っているし、また何度か倒産の危機に瀕した失敗経験があり、市場の恐さと栄枯盛衰を知っている。単純な原理主義者、竹中平蔵のようなイデオロギッシュなファンダメンタリストにはなれないのだろう。龍馬を尊敬する日本主義者であれば、本来的に新自由主義者にはなれない。大儲けしているそのカネを日本のために使って欲しい。さて、話が孫正義論の方向に脱線してしまったが、市場の政治化という問題、若者を中心に国民の政治への関心が高まっている状況について、さらにもう一つの証拠を上げたい。
それはテレビの番組である。最近やたらに政治番組が多い。今秋は自民党総裁選があったこともあるが、番組改変期の民放各局で政治関連の大型特番が目立った。一昨日(10/6)は日本テレビで『大田総理と秘書田中』の二時間番組があった。昨夜(10/7)はTBSで『みのもんたVS国会議員』の二時間番組があった。今夜(10/8)はフジテレビで『私だけが知っている小泉純一郎』の長編アニメ番組がある。小泉前首相や安倍新首相の大型ドラマ番組もあった。異常なほどに政治番組が多く、またそれらは全て小泉前政権や安倍新政権を賛美するものばかりである。批判的な観点から政治をジャーナリズムしたものは皆無である。左翼系のブロガーは、簡単にそれを政権と電通による情報工作だとして、マスコミ攻撃するだけなのだが、もう少し現象の背後にある意味や構造を掘り下げて考える必要があるだろう。昔は「政治」はテレビで視聴率が取れる素材ではなかった。人々は政治には関心が無かった。今は「政治」こそが視聴率が取れるのである。
視聴率が取れるから、人々の関心が高いから「政治」をネタにした番組を放送するのだ。それは何故か。意味がある。破滅しつつある人々が社会に強い不満感を持っているからだ。そして、「政治」以外に関心を持てる財的余力を失っているからだ。他の文化芸術や趣味娯楽の世界に関心を向けたくても向けようがないのである。昔なら『日曜美術館』を見ていた日曜日の朝に、今は『サンデープロジェクト』を見ざるを得ない。それを見ても苦痛なだけだが、『日曜美術館』を鑑賞する精神的余裕がない。人々が社会に不満を持ち、政治を変えようとアクティブになっている。それは二極分解して「負け組」になった、あるいは「負け組」になりつつある没落中産層のデスペレートな心理状態の裏返しである。だが、その経済的窮迫観念と政治的切迫意識の中身は、多数において、決して安倍政権打倒へ向かう性格のものではなく、逆に現憲法と戦後民主主義の破壊を渇望する右翼的衝動であり、中国と韓国を発作的に襲撃しようとする凶暴なショービニズムである。
日本の大部分の人間がそのようになりつつある。非政治主義を特徴とした経済志向、趣味志向の中産層市民たる実質を失い、政治が生活と直に直結したところの貧窮に喘ぐ没落大衆になりつつある。生活と政治が意識の中で繋がっている。断絶がなくなった。政治から独立した生活者の存在ではなくなった。日本人はもはや非政治主義の生き方ができない。没落した貧窮大衆層は二つに分かれる。上下両極分解で下に落ちた層は、次は左右に強烈に分解する。上下分解の次は左右分解が待っている。右が7割、左が3割。