山口県光市母子殺害事件の差し戻し控訴審が広島高裁で始まり、その第1回公判があった5月24日の前後一週間ほど、ブログのアクセス数が大きく膨らんだ。翌5月25日には一日で1万4千件のアクセスを記録している。半年間、何も新しく記事を更新しなくても、ブログに一日1万人を超えるビジターを集めるという事実は、率直なところ、壮観であり快挙であると言える。
ブログの古典とはこういう存在であり、理想とするところはここにある。そして、このこと(=古典ブログ)はブロガーたちの活動目標になるだろう。筆を置いても生き続けるブログこそ意味がある。更新を止めても繰り返し読み続けられるブログこそ価値がある。古い記事で新しい読者を掴み続けるブログこそ古典と呼ぶに相応しい。本と同じ。誰でもいつかはブログの更新を止めるときが来る。そしてブログの本当の価値は更新を止めてから決まる。人の人生と同じ。そして生き続けるブログかそうでないかは、実は更新を止める前にすでに決まっている。
一ヵ月後には第2回公判があり、三日間の集中審理の中で被告人質問が行われる。カウンターは放置ブログに再び高いアクセス数を刻むことだろう。グーグル検索でのブログのポジションは、
本村洋で第2位、
安田好弘で第3位、
足立修一では第1位となっている。この順位は更新中だった半年前よりも高く、停止してからの方が順位が上昇している。多くの人が記事を(特に
この記事を)読み続けてくれているからであり、掲示板やHPでリンク紹介されて広がっているからである。ブログは、少なくともネットの世界においては、山口県母子殺害事件の裁判の意味を解説し啓発するスタンダードな情報提供と問題提起の役割を担い、その価値を認められている。特に目につくのが最初の記事で紹介した十年前の本村洋の死刑論の引用であり、繰り返し繰り返し無数のサイトや掲示板でコピーペーストされ続けている。発掘してよかった。忘れずに覚えておいてよかった。これは他の評論家やメディアができなかったことだ。
関連して、キーワード検索で、
人権派弁護士が第2位、
山口県光市が第3位、
護憲派が第6位、四字熟語の
良妻賢母が第10位にランクインしている。山口県母子殺害事件への世間の関心の高さがあらわれており、その関心がそのままブログに集中している。ブログは、やや自画自賛的に(しかしながら客観的に)言えば、世間の人々のこの裁判に対する心情を言葉にして正確かつ峻烈に表現しているのであり、本村洋に対する共感や称嘆、そして弁護士に対する憤怒や失望を代弁しているのに違いない。最もよく代弁できた者が最も大きな説得力を得る。そしてまた、この裁判にはきわめて重要な政治思想的意味があり、簡単に言えば、護憲左翼の側のデスペレートな自己異端化と、それを見つめる半左翼(元左翼)の人々への改宗動機(すなわち金正日的な絶対的悪役表象)の提供という問題がある。左翼は死刑廃止の大義を掲げて安田好弘と足立修一を最後まで擁護し、一般大衆の支持を失い、護憲の大義まで危うくするだろう。
この光景は、丸山真男が共産党を批判する際に屡々用いた「
シンデモラッパヲハナシマセンデシタ」の木口小平の比喩を想起させる。さて、共産党と言えば、あの俊才カッシーニがブログの名前を元に戻した。「みながわBlog」の名称は「とくらBlog」を洒落たもので、その方法(プロトコル)に諧謔的に便乗したものだろう。カッシーニの戦略と才能が見える。彼女らしい演出とメッセージがある。この方法に準拠する者が他にも続くかも知れない。名前を元に戻したのもメッセージの発信だろう。カッシーニにはブログを読み直して社会科学を真剣に勉強して欲しい。その専門領域でキーワード検索を紹介すると、例えば
二段階革命論が第2位、
三十二年テーゼが第2位、
ボルシェヴィキが第3位、
創共協定が第1位などとなる。後から振り返れば、もう少し共産党関連の議論を残しておけばよかったかも知れない。昨年一年間、私はずっと共産党ではなく民主党ばかりを論じていた。その必要があったからであり、念頭に読者がいたからである。
その民主党の関連で生の政治を言えば、今回、年金問題が急浮上したことで参院選は一気に民主党に有利になった。憲法が争点になれば民主党は自民党に負ける。格差が争点になっても勝負は互角で、必ずしも民主党有利とはならない。何故なら、民主党の党内には自民党議員よりも過激な新自由主義者が多数いるからであり、自由党の党首だった小沢一郎自身が最前線で新自由主義主導の旗を振っていた。実際に労働法制の原状回復とか賃金水準の引き上げとかの話になれば、経営側に媚を売って「自民党代替の責任与党」のお墨付きと政治献金が欲しい右派と、労働側に立って政策を根本転換させようとする左派に真っ二つに割れる。格差問題でも民主党は決して一枚岩ではない。しかしながら年金問題が争点になると、これは完全に04年の参院選の二の舞であり、論戦において民主党が圧倒的に有利となる。あの小泉人気の順風環境をもってしても、自民党は民主党の年金攻勢の前に大敗を喫した。年金は民主党の十八番である。
年金を争点にして自民党が勝てないと予想する理由はもう一つあって、安倍首相が、小泉前首相のときの竹中平蔵のような優秀な右腕(経済政策参謀)を持っていないことである。能弁な政策プレゼンターがいない。だから、やむなくルックスバッドな片山虎之助がテレビの政治番組で論戦担当を受け持っている。生放送の政論ディベートで片山虎之助が年金政策を論じて自民党が勝てるはずがない。支持を調達できるはずがない。小泉前首相の「構造改革」の人気と信頼性は、竹中平蔵の政策理論と弁論能力が支えていた。小泉前首相は政策実務は竹中平蔵に丸投げしていたのであり、自分の役目はポピュリズム(「改革」連呼の宣伝扇動、「抵抗勢力」の悪役演出、喧嘩と啖呵の侠客演技)だと割り切って徹していた。そうした賢明さが安倍首相にはない。