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古田敦也引退 (2) - 中産層の没落とプロ野球人気の凋落
b0087409_15281663.jpg存在が意識を規定すると言ったのはマルクスだった。 「人間の意識が彼らの存在を規定するのではなくて、逆に、彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである」。 史的唯物論の公式表現として有名な 『経済学批判の序言』 の中の一節にこの言葉がある。そのことは文科系の大学を出た者なら誰でも知っている。古田敦也の引退劇とそれに対するマスコミと国民の無関心、そして一方における自民党総裁選の異常な狂躁報道を見ながら、自分自身を振り返って想起したのは、マルクスのこの言葉だった。今はセパ両連盟の公式戦最終版で、息の詰まるような熾烈な首位争いが上位球団によって演じられている。先日の巨人阪神3連戦も「伝統の一戦」に相応しい死闘が演じられていた。ところが、私の関心はそこにないのである。例えば、夜8時に、民放テレビで政治番組と野球中継の二つを放送していたら、私は恐らく政治番組の方を選んでしまうのではないか。



b0087409_15283030.jpg一年前のブログの記事で「生活の政治化」について書いたものがあった。それとほぼ時を同じくして、小沢民主党が選挙戦用のキャッチコピーとして「政治とは生活である」という言葉を前面に掲げるようになっていた。日本人の生活が政治化している。毎日の生活の中での関心が「政治」に浸され漬けられている。それは、生活の窮迫が政治の変化を渇求する大衆レベルの社会的現象であると同時に、そうした渇望に対して支配の側が嘘と欺きの情報で大衆を包み込み、反逆を抑止し、偽りの敵への憎悪を煽り、幻想の「約束の大地」へ誘う大衆操作の報道現象の総体である。私たちの生活と意識はグロテスクなほど「政治」の中にある。テレビが自民党総裁選で画面を埋めるのは、単に宣伝と操作のためだけではない。視聴率が取れるからだ。政治への大衆の関心が高く、『巨人戦生中継』より『太田総理』の方が、放送局に高い視聴率をリターンするからである。

b0087409_15284370.jpgマルクスの公式に従って私自身の実感を率直に言うなら、「生活が意識を規定する」、「生活は政治によって規定される」、ということになる。だから、3年前のような「文化ブログ」の趣味と関心を、すなわち心の余裕と充実を取り戻したいのならば、私は3年前の「健康で文化的な」生活水準を回復しなければならず、その中産層の生活水準に戻すべく政治を変えなければならないということになる。それは恐らく日本中の誰もが同じ思いであり、特に(選挙で民主党に投票した)地方に暮らす人々の切なる願いと同じだろう。3年間で日本は変わった。所得の低下と負担の増加、セーフティネットの消失と生活の不安。中産層の没落は言葉の問題ではなくなって、現実の深刻な問題となった。そうした中で、政治は単に「生活」の関心事と言うよりも、何やらそれを超えた「趣味」や「娯楽」と言うべきものに存在を変えつつある。政治の娯楽化。プロ野球ではなく、政治番組で娯楽する大衆生活。

b0087409_15291924.jpgせっかく古田敦也が奮闘して、2リーグ制を守ってくれたけれど、あれからプロ野球人気は凋落の一途を辿って行った。今年からは日本テレビが巨人戦のナイター中継を放送しなくなり、夜のテレビの時間の楽しみが失われた。考えてみれば前代未聞、空前絶後の出来事だが、大衆は抗議の声を上げることもなく、従順に番組改編に従った。軽薄なブログ左翼たちは、「これで読売支配が崩れた」などとイデオロギッシュな歓声を上げていた。それは違う。われわれプロ野球ファンが日本テレビの巨人戦を見るのは、セ連盟の弱小球団が巨人を倒すのを見るためであり、全国放送の檜舞台で、練習を重ねた他球団の無名選手が巨人相手に剥き出しの闘志で挑みかかる姿を見るためだった。日本テレビの巨人戦の視聴率は、実は巨人ファンではなく、アンチ巨人の野球ファンによって支えられていたのであって、解説者の江川卓も実況担当の小川光明もその事実をよく心得て放送を作っていた。

b0087409_15292986.jpg去年のプロ野球中継では、神宮球場の観客席がガラガラで、内野も外野も空席の青一色に染まっていた。昔のパ球団の試合を見ているようで驚かされた。事情は横浜球場も同じで、巨人戦というのに内野席が埋まらず、オレンジ色の空席が空しく目立っていた。東京ドームでさえ二階席は空席だらけだった。時折、中継のメインカメラの背景になるバックネット裏の特等席でさえ空席になっているのを見つけ、心が痛むのを抑えられなかった。まさに前代未聞で空前絶後。単に野球人気が衰退しているとかという現象ではなく、明らかに人々の財布の問題ではないかと私には感じられた。父親が子供を連れて水道橋へ通う家計の娯楽費、企業が顧客のために交際費で賄う接待シート。単に野球からサッカーへの人気の移動とか分散などという脱構築的な状況正当化の言説で済ますのではなく、プロ野球こそ日本の中産層の娯楽の中核だったという社会科学的事実こそが想起されなければならないのではないのか。

日本における中産層の没落と野球人気の凋落は、私にはそのまま二重映しの社会的現実となる。プロ野球中継の代わりに、大衆たちに娯楽配給されているのは、麻生太郎と福田康夫の薄気味悪い自民党総裁選の政治映像である。生活の政治化、娯楽の政治化、そして逆方向からの政治の娯楽化。この政治を変え、生活を変えて、政治で頭を漬け込まなくても済む、余裕のある中産層生活者の文化意識へと戻りたい。そのようにこの国の環境を変えたい。

b0087409_15294169.jpg

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by thessalonike4 | 2007-09-23 23:30 | その他
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