本と映画と政治の批評
by thessalonike4
カテゴリ
チベット暴動と北京五輪
ガソリン国会と後期高齢者医療
新自由主義と福祉国家
ワーキングプアと社会保障
山口県光市母子殺害事件
福田政権・2008年総選挙
米国大統領選挙
田中宇と世界金融経済
イージス艦衝突事故
イスラエルのガザ侵攻
岩国市長選挙
防衛省疑獄事件
大連立協議と小沢辞任
民主党 ・ 2007年参院選
安倍政権
憲法 ・ 皇室
戦争 ・ 昭和天皇 ・ 靖国問題
韓国 ・ 北朝鮮 ・ 拉致
共謀罪 ・ 教育基本法改正
村上世彰インサイダー事件
オー・マイ・カッシーニ
ネット市民社会
丸山真男
辺見庸
奈良紀行
その他

access countベキコ
since 2004.9.1


















政治狂躁とプロレタリア文化 - テレビ番組、小説、本、ブログ
b0087409_1651459.jpgウェーバーの宗教社会学に「オルギー」という概念がある。狂躁、狂騒。自民党総裁選の報道洪水と政治に頭を浸され漬け込まれている大衆状況について考えたとき、マルクスの「存在が意識を規定する」の公理と同時に、ウェーバーの「オルギー」という言葉が念頭に浮かんだ。政治狂躁。眼前の不本意な社会的現実の進行に対して、それに流されたり屈服することなく、対抗する思惟の力や確信を得るためには、現実を合理的納得的に把握することが必要で、それは要するに概念を構成するということである。「現実」にアプローチし、タッチし、グリップすること。その「現実」を概念化することができれば、「現実」を惹起せしめている原因と構造を分析し、運動する「現実」の合法則性を認識でき、そして「現実」の没落を証することができる。それが社会科学するということだろう。概念化するためには、対象である「現実」に対して言葉を与える挑戦から始めなければならない。



b0087409_16511731.jpg言葉を与え、表現し、試行錯誤しながら概念を組み立てること。社会科学を勉強した者は、変化する社会的現実に対して常に有効な概念を与えて行く挑戦者でなければならず、学問を身につけるということは、概念を組み立てるエンジンを内側に持つということである。そして、私の場合は、勉強した社会科学の中身がマルクスとウェーバーだったから、エンジンもマルクスとウェーバーのパーツで構成されていて、浮かんでくる「言葉」も二人の教科書からのものが多くならざるを得ない。政治狂躁、政治オルギー。ウェーバー的な感覚で言えば、政治は理性的な営為であり、その対極にある狂躁(オルギー)と熟せしめて言葉を作るのは、発想として論理矛盾であるようにも思われる。だが、ウェーバーの時代から遠く離れた現代の日本で、政治は奇怪で倒錯した姿を見せていて、眼前の自民党総裁選の現実に対して、狂躁という言葉を与える以外に、他にどのような概念化があるのだろう。

b0087409_1651287.jpg3年前に『プロレタリア文学の消費者』という題で『いま、会いにゆきます』の書評を書いたが、問題意識としてはその延長線上にあって、分解して没落した中産層がプロレタリア化しているのが今の日本の現実であると私は考える。政治番組の狂躁はプロレタリアたちの娯楽であり、支配者はプロレタリアたちに娯楽の飼料を提供しながら、その飼料を食わせることによって、自らの支配を万全にする操作を行っている。中産層としてのステイブルな理性と感性を喪失し、個体としての将来や目的を剥奪された日本の下層貧民多数は、ある種の精神異常に陥って、お笑いナイズされた政治番組をガツガツと貪り食い、プロパガンダのシャワーを浴び、鬱屈と憤懣の感情を洗い流して、代償的な満足と精神の均衡を得ているのである。それはフローの満足であり、知識的なものストック的なものとは無縁であり、渇いた喉にビールを流し込むのと同じ一時の癒しであり、病んだ共同体の断末魔的な狂躁現象である。

b0087409_16513951.jpgプロ野球中継は中産層の娯楽だった。お笑い政治番組はプロレタリアの娯楽である。ブロイラーの飼料である。この飼料で飼い馴らされる。テレ朝のビートたけし、日テレの太田光。いずれ細木数子がTBSで、フジでとんねるずが平日に政治番組を始めるだろう。出て来るメンバーは決まっている。三宅久之、テリー伊藤、金美齢、江田憲司、原口一博、平沢勝栄、片山さつき。毎晩毎晩、同じレギュラーの顔を見るのだ。巨人軍のレギュラーの代わりに、お笑い政治番組のレギュラーの顔を見て、口から涎を垂らしてギャハハと笑うのである。もう日本に中産層はいないのだから、中産層向けのテレビ番組は必要ないのだ。日本の文化は、この数年の間に全てプロレタリア化した。プロレタリアが消費し嗜好する薄っぺらい安っぽいものになった。プロレタリア化すると同時にオルギー化した。病的な「躁」が蔓延している。心を病んだ人間が躁状態で踊っている。豊かさのない貧しい「躁」に列島全体が包まれている。

b0087409_16573586.jpg小説もプロレタリア化した。本もプロレタリア化し、飼料化した。今、本屋で売れている商品は新書が中心となっていて、その生産と販売の論理はブロイラーへの飼料供給と類似したものになっている。テレビ番組もプロレタリア化した。だが、何より私がプロレタリア的だと思うのは、他ならぬインターネットのブログ群で、著者も読者も悲しいほどにプロレタリア的である。ウィキペディアを簡単に丸写しし、ウィキペディア情報の真偽を吟味する知性や配慮もなく、ただニュースをそのままコピペし、それについてテレビのコメンテータが言っていたことと同じ事を書く。そうでなければ、イデオロギッシュな政権批判の罵詈雑言を書き連ねて終わり。プロパガンダとも呼べないような感情の流出をテキストにしているだけ。知識も論理もなく、分析も洞察もなく、発見も提案もなく、専門的な見地もなく、表現の工夫もなく、そういう「ブロガー」が「ブログジャーナリズム」を仮想現実して、人気ブログランキングへのクリックをせがんでいる。アクセス数に目の色を変えている。

プロレタリア的だ。日本のブログはプロレタリア文化の花園である。毛沢東や江青が見たら大喜びするだろう。

b0087409_165212.jpg

[PR]
by thessalonike4 | 2007-09-24 23:30 | 新自由主義と福祉国家
<< 「9割残留」と「背水の陣」の矛... 昔のIndexに戻る 古田敦也引退 (2) - 中産... >>


世に倦む日日
Google検索ランキング


下記のキーワード検索で
ブログの記事が上位に 出ます

衛藤征士郎
八重洲書房
加藤智大
八王子通り魔事件
吉川洋
神野直彦
サーカシビリ
敗北を抱きしめて
苅田港毒ガス弾
道義的責任
可能性の芸術
青山繁晴
張景子
朱建栄
田中優子
小泉崇
アテネ民主政治
二段階革命論
影の銀行システム
特別な一日
ボナパルティズム
鎮護国家
三田村雅子
小熊英二
小尻記者
古館伊知郎
本村洋
安田好弘
足立修一
人権派弁護士
反貧困フェスタ2008
舩渡健
エバンジェリズム
ワーキングプアⅢ
新自由主義
国谷裕子
大田弘子
カーボンチャンス
秋山直紀
宮崎元伸
守屋武昌
浜四津代表代行
江田五月
馬渕澄夫
末松義規
平沢勝栄
宮内義彦
田勢康弘
佐古忠彦
田岡俊次
末延吉正
横田滋
横田早紀江
蓮池薫
金子勝
関岡英之
山口二郎
村田昭治
梅原猛
秦郁彦
水野祐
渓内譲
ジョン・ダワー
ハーバート・ノーマン
B層
安晋会
護憲派
創共協定
全野党共闘
二大政党制
大連立協議
民主党の憲法提言
小泉靖国参拝
敵基地攻撃論
六カ国協議
日米構造協議
国際司法裁判所
ユネスコ憲章
平和に対する罪
昭和天皇の戦争責任
広田弘毅
日中共同声明
中曽根書簡
国民の歴史
網野史学
女系天皇
呪術の園
執拗低音
政事の構造
政治思想史
日本政治思想史研究
ダニエル・デフォー
ケネー経済表
マルクス再生産表式
価値形態
ヴェラ・ザスーリッチ
故宮
李朝文化
阿修羅像
松林図屏風
菜の花忌
アフターダーク
イエリネク
グッバイ、レーニン
ブラザーフッド
岡崎栄
悲しみのアンジー
トルシエ
仰木彬
滝鼻卓雄
山口母子殺害事件
偽メール事件
民主主義の永久革命
ネット市民社会