世の中の風向きは、少しづつ新自由主義の政策や思想に対して批判的な流れに変化しつつあるけれど、朝日新聞の論説は頑固にそれを堅持する姿勢を見せている。本日(12/19)の
社説では、福田内閣によるコメ生産農家への補助金支出や高齢者医療費の負担増凍結の補正予算措置に対して、「ばらまき予算が復活するのを見過ごすことはできない」と糾弾の声を上げている。朝日新聞にとって、高齢者の医療費負担を軽減するための国の予算措置は「ばらまき」なのである。高齢者医療負担増については、昨年からの政府の法制度改正によって、70歳から74歳までの高齢者の窓口負担を現行1割から2割に引き上げ、さらに75歳以上の後期高齢者全員から保険料徴収することが決まっていた。来年4月から実施予定だったが、参院選の惨敗を受け、公明党が9月の連立政権協議の中で見直しを求めていた経緯があった。
その結果、75歳以上の一部高齢者の保険料徴収は半年間、70―74歳の自己負担引き上げは1年間凍結されることになり、今年度の補正予算で1700億円が計上され財政支出される
決定に至った。朝日新聞の社説はこの1700億円がバラマキだと言っているのである。「ばらまき」とは予算の無駄遣いの意味であり、庶民大衆の歓心を買う目的で政府が行う無意味な散財行政という意味だと思うが、朝日新聞にとって、国が高齢者に医療費を支援する事業は無益で無駄な浪費なのか。これまで働いて国に税金を納めてきた高齢者が、働けなくなって僅かな年金で生活をして、そのとき病院に支払う医療費が大変だろうから、国が面倒みますよという社会保障の制度が、無駄で不要なバラマキ行政なのか。税金の無駄遣いだと社説で非難しなければならない社会悪なのか。それが朝日新聞の「ジャーナリスト宣言」の中身の精神なのか。
朝日の社説は、今回だけでなく何度も繰り返し同じ内容の主張を続けている。特に、福田政権が誕生して消費税増税に動いた9月末から10月にかけて、読売や日経と歩調を合わせて消費税増税断行の急先鋒に立ち、民主党の子育て支援や農家最低所得保障をバラマキ政策だと厳しく批判してきた。10月の週末の特集紙面だったか、若宮啓文と筑紫哲也の
対談記事があり、その中で筑紫哲也が、市場原理主義の改革路線は誤りではないかと指摘したのに対して、日本の諸悪の根源は改革以前の護送船団システムにあったと若宮啓文が反論していた。若宮啓文においては、小泉・竹中の構造改革路線は、現在でも揺るぎなき正義で正統な政策原理なのである。日本の針路は「小さな政府」の路線しかなく、社会保障は大胆に削減しなければならず、国家は負担を考えてはならず、それは自己責任だから国民が消費税で自己負担しなければならないのである。
一方、新聞幹部の天下り先であるテレビ朝日の方は、昨夜(12/18)の報道ステーションでSM3のミサイル迎撃実験と薬害肝炎問題をセットで放送し、一回の実験で100億円を使って喜んでいる海自の連中を批判的に映し、福田首相に対して薬害肝炎救済の政治決断を訴えていた。テレビはKYでは商売にならない。二か月前、鳥越俊太郎が加藤千洋の代わりに解説席に座ったとき、「僕ぁね、もう誰かが言わなければいけないと思うんだけど、防衛費を聖域にする予算編成は止めないといけないと思うんですよ。ミサイル防衛とか削ってね、他の大事な社会保障に充てることを考えないといけないと思うんですよね」と言った。そのとき、隣にいた古舘伊知郎は、「そうですねえ、そうなるといいんですが、果たして上の人がそう考えてくれるでしょうか」とニヤけた顔で答えていた。その応答は、鳥越俊太郎のコメントに対して、不同意と疑問と冷笑を含んだ表情と口調のものだった。
この応答の言葉こそが古舘伊知郎の本音であり、若宮啓文と同じ構造改革主義が古舘伊知郎の基本的な
考え方である。昨夜の古舘伊知郎の防衛予算批判が彼の心底からの言葉ではないことは視聴者は承知している。だが、この二か月の間、防衛装備品汚職と守屋武昌の逮捕があり、薬害肝炎の問題があり、福田内閣の支持率急落があり、世の中の風向きが変わって、国の予算に対する国民の考え方も従来とはかなり変わってきた。世論操作が商売とはいえ、視聴者あってのテレビであり、世の中の大きな風の流れには簡単には逆らえない。バラマキとは、イージス艦から打ち上げた花火のことを言うのだ。浪費とは1発100億円の海自の花火大会のことを言うのであり、散財とは名古屋空港に墜落炎上した1機120億円のF2支援戦闘機の
ことを言うのである。12/19の朝刊社説で、朝日新聞が国の予算の無駄遣いを批判するなら、昨日のSM3の迎撃実験こそを糾弾の対象にしなければならなかった。
ブログにはasahi-np.co.jpから毎日数名のお客様がお見えになっている。朝日新聞に問いたい。財政難と少子高齢化の中で社会保障の財源を恒久的に確保するべく消費税を上げよという主張は理解できないでもない。だが、その前に、高齢者の医療費負担を引き上げたり、生活保護者の受給を切り下げたりする前に、ミサイル防衛や米軍再編の予算を削減することはできないのか。聖域化され異常に膨らんだ防衛予算をカットして、社会保障に回すことを先に考えてはいけないのか。財政再建については、初めに消費税増税ありきではなく、①税免除されている銀行に課税するとか、②企業への優遇税率を是正するとか、③官僚の天下りを禁止して特別会計を根本から見直すとか、④米国債を売却するとか、まずそこから考えることはできないのか。なぜ財政再建はすぐに国民負担増の議論に直結するのか。国民が納めた税金を国民が医療や福祉に使うのは悪なのか。国民の税金をミサイル防衛や米軍再編に使うのが構造改革なのか。
朝日新聞に答えて欲しい。
【補 遺】
同じ昨夜の報道ステーションで、公明党の政調会長の斉藤鉄夫が出てきて、官邸に薬害肝炎被害者救済の働きかけをしたことと、公明党が政府に要求する「一律救済」は被害者の求める「一律救済」と同じ意味だと言っていた。江田憲司はお笑い政治番組で、被害者1万人で救済の予算規模は全部で500億円と言っていたが、その後、政府の方から年10万人、助成1千億円という数字が出ていた。
今日がヤマだが、どうなるのだろう。その同じ報道ステーションでの映像だが、石破茂は、ミサイル防衛の予算規模1兆円について「金額が大きすぎるのではないか」という新聞記者の質問に対して、「人の命はカネの問題じゃないのだ」などと言った。それなら、ぜひ閣議で、その同じ言葉を、薬害肝炎被害者救済について福田首相と舛添要一に向かって吐いてもらいたいものだ。
ミサイル防衛の問題については、昨年、「敵基地攻撃論」のときに
ブログで書いたが、そのとき紹介した田岡俊次の議論を昨夜の報道ステーションに出てきた米国の国防総省元次官補(?)が言っていた。北朝鮮のノドンミサイル200発が日本に向けて一斉に発射されたら、全部を撃ち落とすことは絶対にできない。必ず一部は日本列島に着弾する。実戦を想定したらMDは防衛力として無意味だ。
飛んで来るミサイルを撃ち落すことを考えるのではなく、最初から日本の周辺国が日本に向けてミサイルを配備しないようにすることを考えればよいのだ。戦争は政治の一部であり、畢竟、外交の延長である。外交力こそ防衛力そのものだろう。MDにカネがかかるようにミサイル配備にだってカネはかかる。外交交渉はただだ。これ以上安価な防衛力はない。誰だって丸腰で歌舞伎町に飲みに行っている。