先週末(1/5)の日本テレビ「
ウェークアップ」に竹中平蔵が出演して、今年の経済と政局について解説を加えていた。普段はこの番組は全く見ない。おそらく五年以上見ていない。竹中平蔵が何を言うか聞くために久しぶりに見た。司会が変わっていた。日本テレビは、ずっと昔、もう二十年ほど前だが、日曜日の朝の報道番組「ザ・サンデー」に中村敦夫を起用していたことがあった。記憶の片隅にある番組の印象は、きわめて尖鋭的な性格で、市民の視線から政治と社会の現状を告発する批判精神が横溢したものだった。その「市民の視線から」というのは、決して一般的な意味ではなくて、中村敦夫の個性が濃厚に被さった「市民の視線」であった。当時から「読売系のテレビでここまで言っていいのだろうか」と不安に思いながら見ていたが、案の定、番組は長続きすることなく終わり、中村敦夫は「政治改革」の波乱の時期の政界に身を投じて行った。
その後、読売系がテレビで政治のメッセージを発信する週末番組は、大阪で制作する土曜日の「ウェークアップ」がメインになる。桂文珍が司会で、主たる解説者に大嶽秀夫を据え、「政治改革」以降の日本の政治を右へ右へ寄せる牽引車として世論工作に努め、現実に大きな効果を発揮していた。基調は日本の政治を二大政党制に変えることで、二大政党制に反対する左翼勢力を切り捨て、さらに二大政党の政策の中身を自民党と同質のものに収斂させるべく尽力していた。番組の敵は常に「相対的に左側」であり、ゲスト席に「左側」の人間を配しながら、桂文珍と大嶽秀夫の二人が「左側」の論者のコメントを攻撃して粉砕するというのが番組の主題と構成だった。しかし、それでも、十年ほど前までは内橋克人をゲストに呼ぶ機会が多く、擬似的にバランスを演出する細工を見せていたが、小泉政権の頃からそれもなくなり、そのまま私は一度も見なくなっていた。
話が少し逸れるが、どちらかと言うと、当時の内橋克人の印象は穏健派の経済評論家で、今のような新自由主義に対決する強靭な精神の理論的カリスマの面影はなかった。肩書も経済学者ではなく、議論の姿勢はどこまでも控えめで、強い語調で説得に出ることはしなかった。そこを桂文珍が狡猾につけこんで、「左側」の主張を論破したような結論で纏めるのが恒例だった。内橋克人はこの五年間で崇高な思想的存在になった。逆に、内橋克人とはパラレルに、金子勝は穏健派になり、新自由主義の現実が地獄に近づけば近づくほど舌鋒は鈍くなって行った。五年前から十年前が金子勝の絶頂期だったように思われる。『反グローバリズム』や『セーフティネットの政治経済学』の著作が八年ほど前で、エコノミストとしての奮闘はこの時期が最も活発だった。テレビでは、五年ほど前に「改革」の御用扇動家の岸井成格と本番のスタジオで怒鳴り合いの喧嘩をしていた。今は穏健なマスコミ評論家に変わった。
竹中平蔵が番組で言った具体的な政策提言は三点だった。第一に、諸外国と同じようにインフレ目標率を設定すること。第二に、諸外国と同じように政府系ファンドを設立してマネーを運用すること。第三に、諸外国と同じほど企業への減税を進めること。周知のとおり、最近の竹中平蔵は、消費税導入反対の論陣を張っている。「過去の人」になりつつあった立場を、消費税反対論者としての意外性で斬新な存在感を演出し、再びマスコミに注目される政策論者として復活を遂げつつある。この男は常に巧妙で狡猾だ。政府が消費税増税で財政再建の骨太の方針を固めたのは、竹中平蔵が閣僚をやっていた小泉政権のときである。すなわち、竹中平蔵の言う「消費税増税反対」は、もっと大幅に社会保障を削れの意味であり、決して庶民の生活を守ろうという動機のものではない。竹中平蔵は「消費税を社会保障の目的税にするのは反対だ」と言っていた。社会保障を切りたいのだ。米国型の、社会保障から政府が手を引く「小さな政府」を早く完成させたいのである。
消費税はいずれ上げるが、それは一般財源に回すのであり、社会保障には回さない。その前に社会保障の支出を削減する。削減した分は「小さな政府」で企業減税に回す。それが竹中平蔵の政策モデルだ。「消費税増税反対」の表面だけに目を奪われてはいけない。竹中平蔵は「政府系ファンドを作れ」と言っている。が、日本開発銀行と国民金融公庫を日本政策投資銀行にしたり、郵便民営化をしたり、政府系金融機関の統廃合や民営化を推し進めたのは竹中平蔵自身ではなかったか。その言い分は、政府系金融による民業圧迫の排除であり、市場原理ではなかったのか。今ごろ政府系ファンドを作れと言うのは、郵貯と簡保の340兆円ではまだハゲタカの胃袋が満ち足りず、特別会計の毎年40兆円をハゲタカに貢ぎ続けるためなのか。呆れる。与謝野馨や財務省の連中は、竹中平蔵に一言の反論も無いのか。インフレ率設定だって同じことだ。一体、ゼロ金利を五年も六年も続けた政権の経済閣僚は誰だったのだ。ゼロ金利を続けた小泉政権の金融政策責任者は竹中平蔵ではないか。
司会の辛坊治郎が、「日本の一人当たりのGDPは世界で18位になっている」と言ったのに対して、竹中平蔵は、「そうですよ、日本はもう経済大国だと思わない方がいい」と抜け抜けと言い放った。誰のせいでそうなったのだ。2000年のときの日本は第3位だった。六年連続で後退して、とうとう先進国の中の下位にまで落ちた。その間の政府の経済政策責任者は誰だったのだ。日本経済を新自由主義に染め、資産を二束三文で外資に叩き売り、金融をハゲタカの餌食にして差し出し、法律を変えて非正規雇用を拡延させ、労働者の所得を減らし、国民の購買力を失わせ、国内市場を縮小させ、国内産業を衰退させ、中小企業を追い詰め、医療費を上げ、住民税を上げ、高齢者の生活を窮迫させ、さらに地方に回る交付金を削減して地域経済を壊滅に追い込んだ。それをやったのは誰だ。格差拡大を実行したのは誰だ。政策責任者の立場にいたのは誰だ。他人に責任転嫁できる立場か。他人事のように言うんじゃない。竹中平蔵に他人事のように言わせてはいけない。竹中平蔵こそ経済失政の張本人だ。
ほんの砂粒ほどのバランス配慮か、番組では30秒ほどの映像で森永卓郎のコメントを出していた。「今年は庶民の生活に大きな打撃を与える景気後退があるでしょう。生活はさらに厳しくなりますから庶民は生活防衛が必要です」。森永卓郎のコメントは常にこうだ。悪くなります。苦しくなります。年間300万円で生活しましょう。今年は200万円で生活するノウハウ本を売る気なのか。エコノミストとして他に言うことはないのか。庶民に生活防衛させる前に、政府に政策転換をさせる考えはないのか。森永卓郎の言い分は、立場は弱者である国民多数の側に立ちながら、政府に政策転換を主張する正当性や妥当性が全く出て来ない。市民的主体性の視点や意思が欠落して、庶民は常に権力者や富裕層に苛められて耐えるものだという諦めの境地で経済を論じている。そこに自分の議論の立地を置き、後ろ向きの支持と共感を集めている。「負け組」経済評論家で商売している。だから、新自由主義とは矛盾しないのだ。新自由主義の敵にはならないのだ。森永卓郎もそれを心得ていて、内橋克人のような原理的対立者にならない。
大事なのは新自由主義の政権と政府を倒すことだ。一刻も早く経済政策を転換することだ。生活防衛では本当の幸福は得られない。問題の解決にもならない。新自由主義化の格差社会がさらに固まって、国民一人当たりのGDPが下がるだけだ。
【今日の日経新聞から】
今日(1/7)の日経新聞の1面の見出しは「基礎年金、全額消費税で・日経研究会報告」という
もので、消費税の税率を5%値上げし、基礎年金の財源(19兆4千億円)を消費税で埋め、保険料を廃止するという内容の政策を提言している。年金財源の保険料方式から税方式への転換であり、これは従来からの民主党の主張と基本的に同じものであり、また、うろ覚えだが、自民党でも似たような議論(与謝野馨ら?)が出始めていた。
気になるのは発表と報道のタイミングで、先週末の竹中平蔵の増税反対論と言い、昨年末の
民主党の「税制大綱」と
山口二郎の消費税増税論と言い、ここへ来て、消費税論議が急に熱を帯びて高まって来ていることである。何か示し合わせたものがあるのではないか。総選挙で消費税論議を決着させようとする動きがあるのではないか。日経の結論は竹中平蔵とは正反対のものだが、要は消費税の税率を今の2倍の10%に引き上げるというものだ。
こういう事態の推移があったとき、財務省は両方の(或いは民主党案を含めた三方の)都合のいいところだけを取って実行政策にする。すなわち、税率を2倍に引き上げるところは日経新聞案や民主党案を取り、社会保障特定財源にしないところは竹中平蔵案を取る。財務省はそれを企んでいる。要するに、狙いは何かと言うと、自民でも民主でも、どちらが勝っても消費税を上げることだ。どの政権になっても、来年の4月から消費税の税率を10%にすることだ。
社会保障を理由にして消費税を2倍にする。だが、特定財源化はしない。社会保障支出が増えて既存の税収では財源が足りなくなるからという理由で消費税を増税する。国民に理解を求めると言う。民主でも自民でもどちらが勝っても財務省はOK。そして自民と民主の両方が総選挙で消費税増税を選挙公約したら、増税に賛成か反対かは争点でなくなる。反対するのは共産党と社民党だけになるから。竹中平蔵の「反対論」は論議を呼ぶための疑似餌(戦略的な仕掛け)だろう。