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ウェ-バー『職業としての政治』を読む - アテネ民主政治と指導者
b0087409_13165673.jpg政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である。もしこの世の中で不可能事を目指して粘り強くアタックしないようでは、およそ可能なことの達成も覚束ないというのは、まったく正しく、あらゆる歴史上の経験がこれを証明している。しかし、これをなし得る人は指導者でなければならない。いや指導者であるだけでなく、-はなはだ素朴な意味での-英雄でなければならない。そして指導者や英雄でない場合でも、人はどんな希望の挫折にもめげない堅い意志で、いますぐ武装する必要がある。そうでないと、いま、可能なことの貫徹もできないであろう。自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が-自分の立場からみて-どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間、そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。 (岩波文庫 P.185-186)




b0087409_1316247.jpg啄木が生きていたほぼ同じ時代、地球の裏側の西欧でウェーバーが「政治とは何か」を語っている。古典の言葉というのは、啄木にせよ、ウェーバーにせよ、一切の状況や前提抜きに、時間と空間を越えて、直接に読む者に迫ってメッセージを届けてくる。上のウェーバーの言葉を読者が考えるに当たって、当時のドイツの政治状況や歴史的背景を無理に知る必要はない。今の日本の現実政治を考えるとき、ウェーバーの言葉が生々しくわれわれの胸に響くのであり、この教科書の至言をどう受け止めるべきか、各自が直に判断すればよいのである。検索エンジンで「職業としての政治」をサーベイすると、いろいろな政治家が上の言葉を座右の銘にしている事情がわかる。座右にするのが笑止で噴飯な政治家も少なくない。記憶に新しいところでは、二年ほど前に田中真紀子が予算委質問の中でこの言葉を取り上げ、小泉前首相に向かって何やら説教を垂れていたことがあった。

b0087409_1301271.jpg噴飯とまでは言わないが苦笑する光景だ。田中真紀子も小泉純一郎も、ウェーバーの緊張感に溢れた洞察と啓示の世界とはあまりにも隔絶した低俗な存在であり、国会中継の画面を見ながら、社会科学と政治学への冒涜のように感じられた。私が学生の頃、ウェーバーは社会科学の偉大な聖人の双璧だったが、この「職業としての政治」の結論については、カリスマ待望論としての性格が警戒され、この予言と暗示が十年後のヒトラー台頭を招請する契機となったと意味づけられ、言わば「要注意」の札がかけられて、全面支持は控えるようにという暗黙の教育指導が与えられていた。カリスマという言葉の受容と変遷についてこの三十年間の日本の思想史を辿ってみるのも一興だが、当時はカリスマという言葉は今ほどポピュラーではなく、もう少し意味が深遠で、歴史的宗教的な何事かを感じさせる気配があり、少なくとも主婦や美容師やアパレル店員の形容詞として相応しい単語ではなかった。

b0087409_13225572.jpg元日にNHKのBSで『民主主義誕生の地アテネ』と題した番組が放送されていた。Lion Televisionが制作したドキュメンタリーで、昨年8月に放送されたものの再放送だった。8月に一度見ていたが、他に見るものが無かったので正月に二度目を見た。おきゃんな歴史学者のベタニーヒューズが軽快なフットワークでナビゲートする歴史紀行だったが、全体として内容の濃いオーソドックスな歴史教育番組に仕上がっていた。古代アテネの市民は政治に参加し、政治をするために生きていて、デモクラシーに誇りを持っていた。だが、放送を見ながら私が確信を深めさせられたのは、デモクラシーとは指導者の契機抜きには語れないという直観であり、それが成功するかどうかは指導者の資質に懸かっているという問題だった。アテネの例で具体的に言えばテミストクレスの存在である。番組の中でも前編で詳しく紹介されていたが、サラミスの海戦でアテネを劇的な勝利に導いたのはテミストクレスの指導による。

b0087409_13441492.jpg民会で演説に立ち、三段櫂船の建造と海上での決戦を戦略提案したのはテミストクレスだった。アテネの市民は、テミストクレスの政策を支持、彼を自らの運命を託す指導者に選び、ラウレイオンの銀を艦隊建設に投資する。そして、まさに古代の対馬海峡とも言うべきサラミス海峡で、アテネはペルシャに対してパーフェクトゲームの勝利を得る。もし、あの戦争でアテネが敗北していたら、ペルシャ軍に占領され殲滅されていたら、アテネ民主主義が不朽の栄光として歴史に輝くこともなく、民主主義が人類普遍の政治モデルとして追求されることもなく、政治学の教科書の第1章でアテネの直接民主制が語られることもなかっただろう。戦争に勝利できたから、それは歴史に残ったのであり、専制政治よりも民主政治が普遍的だという命題と信念が確立したのである。テミストクレスの天才を見抜き、その能力に賭け、テミストクレスを指導者として運命を預けたアテネ市民の勝利だった。民主主義とは指導者を選ぶことである。

b0087409_13452514.jpgアテネの直接民主制において重要なのは、都市国家の行政事務を市民が平等に当番分担した事実ではない。優秀な指導者を民会の多数意思で選出し、指導者の政策方針に従って一致結束したことである。中国では、古代以来、おそらく現在まで、民主政治の方が専制政治よりも普遍的な政治モデルだという通念や前提は一般的に確立していない。それは中国を蔑視して言うのではなく、歴史的に、中国において民衆が安息と充実を得る政治というのは、例えば玄宗の「開元の治」のように、カリスマ的指導者の徳治によって齎されるものであり、それが崩れて下手に衆愚政治的な状況になれば、直ちに梟雄が跋扈し割拠する事態となり、村々を侵略し、食糧と女を椋奪する無法の乱世が出現したのである。人はこの世に生まれて死ぬまで六十年、長くて七十年の人生であり、多くは一般民衆の、直接生産者の子として生まれ死んでゆく。戦争と飢饉がなく、格差と貧困がなく、生きる苦しみのない世であればそれでよいのだ。

b0087409_13574467.jpgこれまでブログで、民主主義と指導者の問題について考察した記事を三本ほど書いてきた。一つは2004年の9月24日に書いた『古田は日本の民主主義の偉大な守護神』であり、もう一つは2007年8月14日の『民主主義の永久革命とその指導者』であり、最後に2007年11月15日の『われわれは何をなすべきか - 想像力と設計図』である。この三稿の視角と主張は同じであり、それは一つの方向を向いている。その方向にはウェーバーの上の政治論がある。ウェーバーに即して結論を言おう。民主主義とは最良の指導者を選ぶことである。指導者と共に市民がアドミニと戦って権利を実現、回復することだ。統治される者が統治をするデモクラシーの矛盾律は、指導者の契機が入ることによって止揚される。デモクラシーは指導者を必須とする。市民は指導者によって民主主義のアクティブに転轍される。市民に構想を示し行動へと導くのは指導者の役割であり、指導者は最高の(カリスマ的な)説得力と表現力を持った者でなければならない。

b0087409_1357307.jpg『職業としての政治』に立ち戻ろう。ウェーバーは政治をする者は指導者でなければならず、英雄でなければならないと言っている。それでは、現下の日本の政治を変える指導者とは誰なのか。誰がこの絶望の格差社会の日本を根本から変革し、夢と希望と安心のある福祉国家へと作り変えるのか。ウェーバーに即して言えば、それは志(こころざし)を持った一人一人だ。すなわち、政治を変えようと志を持った者は、決意して自ら指導者にならなくてはいけない。英雄にならなくてはいけない。英雄として立たなくてはいけない。自分が指導者にならなくてはいけない。そうでなければ、自分が指導者の資質や能力がないと認めるのであれば、他から指導者を探さなければならない。探し出して指導者に立てなければならない。その指導者の下で戦闘する組織集団を作り、テミストクレス麾下の三段櫂船の漕手の一員となって、組織の一兵卒として作戦に参加しなければならない。自分が指導者になるか、誰かを指導者に選ぶか、二つに一つなのだ。

b0087409_1410292.jpgアテネの民主政治を、共同体の全員が悪平等な、エゴで怠惰なムラ社会である「緩やかなネットワーク」の脱構築的表象に置き換える理解は間違っている。民主主義は、無能で倦怠な者たちが誹謗中傷の饗宴で喚き騒ぎ踊り、無意味な自己主張と縄張り争いに明け暮れ、時間と資源を徒に浪費する権利を保障するシステムではなかった。それは共同体が滅亡するか否かの危機と緊張の極にあって、まさに最良の指導者を市民が主体的に選出するシステムであった。指導者を選ばないのなら、自分が指導者に立たなければならない。自分が指導者として立たないのなら、誰かを指導者として選ばなければならない。意を決して指導者として立つのなら、ウェーバーに従って、自分を英雄として貫徹しなければならない。英雄たる自己を証明しなければならない。カリスマ証明の手続きをしなければならない。今、われわれは最強無敵のペルシャたる新自由主義との戦いを起こさなければならず、その決戦に勝たなければならない。戦いを指導する司令官が必要である。

テミストクレスを立て、軍団を組織し、勝利の戦略と戦術を練り、サラミスの戦いに備えることだ。指導者を選ぶのがどうしても嫌なら、自分が指導者に名乗り出ることだ。アテネ市民であるわれわれに、新自由主義に勝利する戦略を提示して、堂々カリスマ証明することだ。そして自分が指導者に立つこともできず、指導者を選ぶこともできなかった場合は、小沢一郎か志位和夫か福島瑞穂を選べばよい。それで勝てると思うのなら。政治をしようとする者にとって必要なのは、勇気と禁欲のどちらかであり、あるいはその両方である。勇気もなく、禁欲もできない者は、そもそも政治をする資格などなく、したがって、その人間の言う政治は、単に趣味と遊戯と法螺の政治でしかない。


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【週末ブログ政談 - 仮にの話だが】

仮にの話だが、「改革新党」の動きが活発になり、どうやら結党必至の情勢になり、このままでは総選挙後にさらに地方の切り捨てや農業や中小企業の切り捨てが政策的に明確になるという状況が明らかになったとき、地方の農協や漁協、そして商工会議所や土建団体や医師会が造反して、自民党の県連や選挙区候補を突き上げ、改革路線の政策を根本的に転換させるよう求める動きが顕在化するとする。

そうした動きが日毎に強まり、地方の県連が選対本部長の古賀誠を突き上げ、総選挙前に自民党の改革路線離れが明確になるとする。三位一体改革の見直し、社会保障予算削減の骨太の見直し、農家最低所得保障の政策パクリなどが打ち出されるとする。無論、改革新党とマスコミ、日経新聞と朝日新聞は自民党の「バラマキ」を厳しく批判するが、国民新党は急速に自民党と接近して、地方での自民党人気は上がる。

これを見た民主党が自民党との対立軸を明らかにするべく、改革新党と接近し、改革勢力で総選挙後の連立を組む方向で舵を切る。となった場合、さて、現在のブログ左翼たちの「自民党政治を終わらす」運動はどうなるのだろうか。その場合、改革新党とくっついた民主党を支持することは、改革路線を応援して格差拡大の推進に手を貸すことになる。実際に、地方で自民党が生き残る道は、格差是正に路線転換するしかないはずだが。

青木幹雄や森喜朗は反対しないだろう。元の自民党に戻るだけだ。十年前に戻るだけだ。平沼赳夫たち郵政造反組ともヨリを戻せる。「生活政策」で奪われていた票を民主党から取り戻せる。改革新党(チルドレン)候補と選挙区で対立軸を明確にできる。それに、選挙が終われば合従連衡は好きにできるし、改革新党と組むことになれば、選挙公約を反故にして改革政策を継承すればいい。連立を組むときは、また条件が異なると国民に言っちまえばいい。

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by thessalonike4 | 2008-01-13 23:30 | オー・マイ・カッシーニ
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