今から5年か6年ほど前、金子勝がテレビに出て、「今の財政赤字を問題解決するには戦争か革命しかない」と頻繁に言っていた。カタストロフ的な予言的意味を含むインパクトの強い発言であり、したがって今でも多くの人の記憶に残っている言葉だろう。私は当時、この発言を聞いて、経済学者の議論として思考停止的であり、マルクス経済学の思考の悪しき伝統が態度として継承されているように映り、2年半前にブログの
記事でも批判を加えている。経済学者の議論というのは、どこまでも現実に内在して政策で解法を導き出すべきだというのが私の考え方で、あの時点でも、そして現在でも、800兆円の国の借金を解消する合理的な経済政策は経済学的に
提案可能だと考えている。だが、そう考える一方で、金子勝の予言に対する私の感じ方は次第に変わってきて、時間の経過とともにその説得力を重く大きく受け止めている事実を否定することができない。
と言うのは、これは恐らく金子勝の予言とは何の脈絡もなく出てきた言葉だが、それと繋がって共振するもう一つの言葉があり、それはあの赤木智弘の「希望は戦争」の議論である。これは国の借金の問題とは全く関係なく、格差社会論の問題提起として提出された「暴論」だが、現在のように利益の分配構造が固定した格差社会の底辺で希望もなく生きるよりは、戦争になって兵士として出征した方がいいという主張で、昨年の前半に論壇で話題になっていた。金子勝の財政論の問題提起から5年が経ち、「戦争か革命しか問題解決はない」の認識は、常識や通念の上では「暴論」でありながらも、人々の気分の深いところに浸透して、言わば「深層心理の説得力」になりつつあるように思われる。赤木智弘の議論の内容には立ち入らないが、赤木智弘が革命ではなく戦争を選択する理由は何となく分からないでもない。現状、侵略戦争の方が革命より可能性が高いからだ。
話を中東問題に移す。イスラエルが2/27からガザを大規模に攻撃して、空爆と地上部隊の侵攻で3/2までに110人のパレスチナ人が殺された。犠牲者の半数が女性と子供を含む非武装の市民であり、死者の数において2000年以降で最悪の事態となっている。2000年以降最悪の事態だと新聞は報じているが、私の記憶するかぎり、今度の事件を報じた日本のテレビのニュース番組はない。NHKの7時のニュースも、テレビ朝日の報道ステーションも放送しなかった。ガザの惨劇とイスラエルの暴虐は報じず、三浦和義のロス疑惑問題を詳細に報じていた。この問題の担当になった番記者の嬉しそうな顔が目に浮かぶ。一週間の極楽サイパン旅行、それが終われば優雅なロス旅行。乳幼児を含むパレスチナ市民が110人殺されたニュースより、三浦和義のロス疑惑の方が大事なのだ。ため息が出る。ブログを書き始めてから、一体何度、同じため息を鼻の穴からすかしたことだろう。
「陰謀論」で中東政治を解説すると悪評高い田中宇は、しかし
2/19の記事で、見事にイスラエルのガザ攻撃を予言して的中させた。2/19にこう書いている。「
こうしたイスラエル側の動きからすると、イスラエル軍のガザ侵攻は近いと感じられる。(中略)イスラエルは1カ月以内にガザに侵攻する(略)」。見事的中。フォローしている
3/1の記事も抜群に面白くて、来日中のオルメルト首相が2/28の朝に東京でライス長官と会談したのは、実はガザ侵攻に関する話し合いが目的だったと書いている。「なるほど」。そのとおりだろう。ガザへの地上軍侵攻のアプルーバルをライスから取ったのだ。ライスは今度のビジットで東アジア関係のスタッフしか連れて来ておらず、しかも東京は帰国前の骨休み程度の日程であり、オルメルトのオファーをスタッフと吟味調整する時間もなく、「標的はハマスの幹部ですから」などと言われて適当にOKを出したのに違いない。オルメルトの謀略が冴えている。
本当なら、テレビのニュース番組はこの報道に毎日15分の時間を手当てして、スタジオに田中宇を呼んで解説させるべきだろう。日本のテレビがそういう報道をする日は来るだろうか。20年前の久米宏の頃は、10年前の筑紫哲也の頃でも、そういう報道が当然だった。田中宇は「中東大戦争」を予言している。以前は、私は田中宇の中東問題を論じる際の大袈裟な表現が馴染めず、そこに過剰と飛躍を感じていたが、例えば
2/19の記事の予測の精度を見れば、「中東大戦争」の勃発を言うのもアナリストとして決してオーバーではないように思えてきた。自分がイスラエルの軍部や右派の立場に立って考えたとき、11月の米大統領選は最大の政治的危機であり、ここでオバマが大統領になると米国の中東政策は一転する。イラクから米軍が撤退を始め、イラクは真空状態になり、親イラン親シリアの反米政権が樹立される可能性が高い。三国に分かれたとしても、親米親イスラエル国家はあり得ない。
そうなればパレスチナ問題にも大きく影響して、ブッシュ政権時代のようなやりたい放題はできなくなる。オスロ合意か、その辺りの線まで巻き返される。西岸地区からの撤退を要求される。だから、ブッシュ政権の今のうちにハマスを叩き、西岸の入植地を広げてパレスチナ人居住区を壁で囲い込み、既成事実を最大限多く積み上げておく必要があるのだ。それがイスラエルの狙いだろう。ここで私の中東問題へのソリューションを言っておくと、①エジプトとパキスタンの民衆が(選挙であれ何であれ)現行の親米政権を打倒して反米政権を樹立すること、②(その時点でアラビア半島を取り囲む形で反米イスラム国家群の包囲網ができ上がるが)次にサウジの王権が打倒されて民主政権が樹立されることであり、③イスラム全域が反米反イスラエルで歩調を合わせて結束してイスラエルと対決することである。パレスチナが救われるためにはそれしかない。そう思う。だが、果たしてそれは実現可能だろうか。
田中宇的な「
中東大戦争」の方が、現実的な確率はむしろ高いのではないか。戦争以外に本当に現実的な解決手段はあるのか。ブログの読者に考えて欲しいのは、自分が一人のパレスチナ人だったらどうするかという問題である。ガザで生きる30歳とか40歳の男だったらどうするか。人生は現実の中にあり、そして人生は選択である。例えば、ハマスの軍事部門に入って戦闘員になるという選択があるだろう。或いは、耐え忍んでジッと平和が来る日を待つという選択もあるだろう。パレスチナ人の選択肢は限られていて、そして、我慢していればイスラエル軍の空爆や銃撃から家族の身を守れるという保証は何もない。彼らの日常は侵略戦争の中にある。占領下で生きている。侵略を受けて、破壊と殺戮と嗜虐を受ける毎日が何年も何十年も続き、細々とした抵抗を大いなる犠牲の中で続けている。自分ならどう生きるか。少なくとも、安全に最後まで人生を全うして死ぬという想定の上での選択はできないのではないか。
生き抜く努力を放棄しないとしても、死ぬ覚悟をした生き方にならざるを得ない。日本人は幸いなことにパレスチナ人ほど追い詰められた環境にはなく、明日命を奪われるという緊張の中で生きてはいない。だが、実際のところ、日本の問題解決は戦争か革命以外に本当にあるのだろうか。昨夜(3/3)のテレビ朝日の政治番組では年金問題をやっていた。真相は不明だが、薄々分かるのは、政府は国民年金と厚生年金が支給不能になる事態を前提していて、その責任と補償から逃れるために、社保庁解体と別法人設立を強引に企て、さらに年金問題を口実(人質)にして消費税増税を図ろうとしていることである。年金問題一つだけ取っても、この問題を戦争か革命なしに問題解決できるだろうかと素朴に思えてくる。紳士の
長妻昭を信じて次の選挙で民主党に一票入れれば問題解決できるというような簡単な問題なのだろうか。カタストロフなのである。敢えて極端に言えば、霞ヶ関を焼き払わなければ変わらないのではないか。
カタストロフとリセット。沖縄米軍の暴行事件も同じではないか。沖縄県人の立場に立って考えたとき、選挙を通じて少しずつ今の政治を変えて行けば、日本国民と日本政府が日米地位協定を変えるだろうとか、沖縄の負担を軽減する措置を講じるだろうとか、海兵隊の教育が行き届いて行儀よくなるだろうとか、そういう楽観的な見通しを持てるだろうか。戦争か革命かという黙示録的な言説の方が、むしろリアリティが醸し出されて聞こえるのは私だけだろうか。格差社会の問題を解決する展望として
福祉国家のイデーがある。だが、福祉国家のイデーを現実化するには、いま永田町で政治をしている自民党や民主党の議員たちが権力を持っていては絶対に無理だろうと思わざるを得ない。単に法律を変えるだけだが、竹中平蔵が変えてきた法律と政令を元に戻すだけだが、福祉国家を実現する政治勢力をどうやって国会で過半数にするのだろう。それはまさにレジームチェンジで、新自由主義の権力は強烈に反発して、体制の変革を容易に許さないだろう。
破局が近づいているように思われてならない。
【おしらせ】
3月9日から3月11日まで、奈良にビジット&ステイする予定です。
有名な「修二会」を拝見します。
お近くにお住まいの方がいらっしゃれば、どうぞお気軽にコンタクトをして下さい。