パレスチナ情勢は今日は朝日新聞の記事からも消えた。当然と言うべきか、昨夜のニュース番組では何も報道されることはなかった。日本語の記事では現地の詳しい情報は何もわからない。3/3のイスラエル軍の撤退は、どうやらライスの訪問に合わせた一時的なもので、イスラエル国防相のバラクも地上作戦の継続を言っている。ハマス側もロケット弾攻撃を再開しているため、イスラエルは今度の侵攻作戦の目的としたロケット弾攻撃の終息を達成できていない。田中宇の
記事では、イスラエル軍の作戦計画では、ガザに本格的に侵攻して南北に細長いガザを三分割して軍事占領する予定だったと書いている。次に戦闘を再開した場合は、南のハマスに対する軍事侵攻と北のヒズボラに対する軍事作戦の同時二正面作戦になると予想されている。
その二正面作戦が、シリアを巻き込み、さらにイランを巻き込んで「中東大戦争」になるというのが田中宇の予想で、すでにハマス・ヒズボラ・シリア・イランの四者間には開戦の決意と準備ができていて、イスラエルもそれに応戦して、この機にハマスとヒズボラを地上から完全に殲滅する徹底攻撃に踏み込むらしい。第五次中東戦争。田中宇の記事では、1月下旬にガザの南境の壁を破壊したとき、ハマスはエジプトから地下トンネルを通じてでは搬入できない大型の武器をガザに搬入したと言う。それが事実なら、エジプト国内にハマスを支援する強力な組織が存在することになる。それはイランと繋がっている。であるならば、二正面作戦(第五次中東戦争)が勃発したとき、エジプトの国内も平穏を維持できるかどうか。鍵はエジプトのムバラク政権にある。ライスがイスラエル(3/4)を訪問する前にエジプト(3/3)を訪問したのは、どうも単なる偶然ではないように思われる。
今度のガザへの侵攻で何人の子供が殺されて死んだだろう。外電の写真を見ているだけで、13人から14人の子供の死体の写真を見た。一番小さい子供は生後6ヵ月の乳児。父親が抱きかかえている。そういう写真は、2006年のレバノン空爆の
ときも数多く見たし、2004年のガザ侵攻のときもニュースになって、ネットで一枚一枚心を傷めながら見たような記憶がある。そのときも父親が死体を抱きかかえている写真が多かった。ロイターやAFPのカメラマンが撮って世界に配信している。せめて、その写真を見よう。何もできない日本人は、テレビのニュースでさえパレスチナ報道をシャットアウトして、見て見ぬふりをしている日本人は、そのことに対する羞恥や不面目や無力感を感じながら、外電が報じる傷ましい画像と向かい合って、一人一人が何事かを感じて噛み締めることをしよう。イスラエルの地上部隊はガザの子供の頭を狙って撃っている。単なる日本語の「巻き添え」という表現では済まない。
確かに、この事態に何も声明を発したり、行動を起こさない日本政府も悪い。それ以上に、事件の報道すらしない日本のテレビは最低だ。だが、いつも思うことは、他の国は何をしているのだろうかということであり、特に欧州の市民はなぜパレスチナを救う運動を本格的に起こさないのだろうという疑問である。パレスチナで公然と殺戮と嗜虐が行われるようになってから、欧州の幾つかの国では左派政権が誕生している。現在ではスペインがそうだろう。左派にも様々な性格があるのだろうが、政権に就いたり離れたりしている各国の左派が、一つに纏まって、パレスチナ問題でEU議会を動かしたり、あるいはAUに働きかけ、さらにアラブ連盟を側面支援して、反イスラエルの国際的な世論の包囲網を作り、国連を動かすという政治構図は作れないものか。世界中で最も発達し成熟した市民社会と民主主義の中で生きているはずの欧州の市民が、パレスチナ問題にはあまりに無関心で冷淡すぎるように見える。
環境問題にはあれほどナーバスなのに、中東の人権問題には敏感に反応しない。日本の捕鯨船を南氷洋まで追跡して、嫌がらせと妨害行為を働くのには何億円もカネをかけ、鯨一頭の「人権(鯨権)」を守るのに情熱を傾けるのに、どうしてその市民的な倫理観や正義感をパレスチナの子供の命をイスラエルの暴力から守る運動に向かわせようとしないのだろう。環境保護団体の市民運動家が船を向かわせるべきは、地中海のテルアビブ沖ではないか。パレスチナがイスラム教であり、イスラエルがユダヤ教だから、だから欧州はパレスチナ問題に冷淡なのである。欺瞞的だ。最近、パネルだの何だのと、我々が高等学校で「政治経済」を習った頃には聞いたこともないような様々な国際機関や国連組織ができて、歴史問題や人権問題もあるが、特に環境問題を中心に各国から代表者が集まって忙しそうに活躍している。その会議や機構のメンバーで特に活躍が顕著に見えるのは、欧州各国代表の女性たちであるように見える。
私は、福祉国家とか欧州市民とかのプラスシンボルの言葉を聞いたとき、すぐに連想するのは、そうした最近の国際会議で活発に立ち回る彼女たちの姿で、人権意識が高く、市民社会の思想的前提を誰よりも強く内面に保持した、日本で言えば
国谷さんのような人々ではないかと思うが、彼らはパレスチナ問題に対してはどのように態度を明らかにするのだろうか。それを考え及んだときに、念頭に浮かんでくる言葉は「欺瞞」の一語である。宗教が違えば、EU憲法の人権や民主主義の理念も二重基準が容認されるのか。欧州の人権や環境やジェンダーや市民社会や福祉国家はその程度のものなのか。欧州は、特に英国とフランスは、パレスチナ問題に歴史的な責任がある。今後、欧州が米国にかわって世界を主導する役割を果たそうとするのなら、欧州は米国の中東政策を支持するのではなく、それを厳しく批判して、米国を押しのけてでもパレスチナ問題の解決に踏み込むべきだろう。EU議会で意思統一して、ガザに平和維持軍を入れるべきだ。
国連で米国が拒否権を発動するのなら、コアリッション(有志連合)を作って、艦隊をガザ沖に展開し、地上部隊をガザに上陸させるべきである。スペイン人民戦線のときのように、全世界から義勇兵を募集するべきだ。その費用のファイナンスは、本来ならサウジが引き受けるべきだが、サウジが逃げればイランが請け負うだろう。義勇兵はアフリカやパキスタンやインドネシアから来るだろう。私は空想を言っているのに違いないが、今の国連では誰も何も問題解決しようとしない。潘基文に較べればアナンの方がよっぽど真面目にパレスチナ問題に取り組んでいたように見える。このままでは本当に「中東大戦争」になるし、パレスチナは民族滅亡を余儀なくされる。「双方に対して暴力の拡大を非難する」声明など、欺瞞きわまりないもので、米国の顔色を窺った官僚事務総長声明以外の何物でもない。イラク戦争のときもそうだったが、国連の自殺行為であり、国連憲章の理念と使命の自己否定である。パレスチナ問題を放ったらかして環境だの何だの口先で言っても無意味だ。
イスラエルとパレスチナの間で起きている現実を、「暴力の応酬」とか「暴力の連鎖」という言葉で定義するのは間違っている。これらの言葉は、「テロとの戦争」や「悪の枢軸」と同じかそれ以上に作為的で欺瞞的で詐術的な政治言語であり、イスラエルの暴力と非道を隠蔽し、国際世論の中でそれを正当化するイデオロギーである。現地の実態を正しく反映した言葉ではない。「応酬」や「連鎖」という表現が妥当するほど両者はイーブンな関係ではない。発端は、オスロ合意でアラファトとラビンが1994年に握手した中東和平を覆すために、2000年にシャロンが岩のドームに踏み込んでパレスチナを挑発して始まったもので、残酷な虐殺行為は常にイスラエル軍の手によるものだった。この「暴力の応酬」の表現は、日本の教室のいじめの現場で、いじめを受ける被害生徒がいじめをする加害生徒集団に対して必死で抵抗をしたとき、事態を見て見ぬふりして、被害生徒を助けようとせず傍観する教師が、真実を隠蔽する目的で事実を捏造して言う言葉である。傍観と責任逃れを正当化する言葉だ。
中東で戦争が始まれば、それは米国の責任である。そして国連の責任である。現在の国連は、状況の全体を承知しながら、事態を戦争の方に誘導し、戦争で問題解決させようとしている。自分たちの力で平和を実現しようと努力していない。国連も霞ヶ関と同じで、組織が機能不全に陥っている。外交官(官僚)が使命感や責任感を持って働いていない。官僚のルーティンワークで時間を潰している。ガザで市民や子供が何百人殺されても他人事なのだ。自己責任で済ましているのだ。