東大寺はバランスがいい。ユーザインタフェースが完璧にできている。旅する者にとっての東大寺の魅力は、あの広くてゆったりとした開放的な空間にある。そこはただ平面積が広いだけでなく、空間に高低差の変化があり、境内奥には二月堂舞台からの眺望と絶景がある。高い地点へ到達するのにもスロープが緩やかで、日本の寺社にありがちな長くて急勾配の階段の苦労や苦痛がない。上から奈良盆地を見下ろす眺望があると同時に、下から大きな大仏殿と大仏を見上げる景観の妙がある。世界最大の木造建築と大仏を拝む視界のサプライズと鑑賞の美がある。ビューの変化に富んでいる。広い寺社と言えば、金閣寺も銀閣寺も龍安寺も十分に広いが、景観の高低差の変化や視界の大きさの魅力は乏しい。また京都の寺社は周回路が一律に決められていて、自分で境内を自由に移動することができない。東大寺の場合は、自分で好きなコースを自由にデザインして楽しめる。境内の散策が線ではなく面で提供されている。
3/9の夜に修二会を見せていただいた。修二会とは2月を修する法会の意味で、修するとは、形を整える、美しく飾るという意味である。2月を整えるのが修二会、正月を整えるのが修正会。昔は陰暦2月に行われたが、現在では3月に変わった。2月を修するために、東大寺では毎年11人の僧侶が選ばれて、3/1から3/14まで壮絶で神秘的な修行をする。その修行の目的は懺悔で、仏教の言葉で悔過(けか)と言う。二月堂の本尊で秘仏である十一面観音の前に11人の僧侶たちが過去に犯した過ちを告白して許しを請う。ただし、この懺悔は僧侶たちの過去の過ちではなく、世の衆生一般の犯した過ちを僧たちが代行して十一面観音に告げ、衆生に代わって苦行を引き受けることで十一面観音の許しを請うのである。そのため修二会を「十一面悔過」とも呼ぶ。苦行の中身は凄絶の一語で、2月下旬の準備期間も含めてよほどの体力と精神力がないと貫徹不可能ではないかと思われるハードなメニューとスケジュールが並ぶ。
勤行(おつとめ)は、昼2回、夜4回、合わせて1日6回行われ、「六時の行法」と呼ばれる。その内容は、経文を朗唱する声明(しょうみょう)と五体投地を含む動作の集合で、声明には鈴と法螺貝の音が入り、宗教音楽の響きがある。日により時間により行法の中身にバリエーションがあり、夜の行が定時に終わるわけではなく、唱誦される声明の経文の構成や長短によって、深夜12時過ぎに終わる場合もあれば、翌朝の午前4時に終わる場合もある。修二会の本行に入る11人の僧侶を「練行衆」と呼ぶが、11人には職階と役割があり、幹部職の四職(ししき)4名と平職の平衆(ひらしゅ)7名に分かれる。四職、平衆ともさらに個々に階梯と役職があり、一人一人の作法の細目が決まっていて、同じものは一つもない。練行衆の修行は修二会の14日間は1日24時間で、食事は1日1回、午前12時と決まっている。食事は一汁一菜だが、厳格な作法があり、実際に口に入れて食べる時間は10分でも、口にする前に1時間ほどの長い前段の作法がある。それ以外は水一滴を飲んでもならず、一日の行法が終わった後で粥を口にするのみである。
午後7時から「お松明」が始まった。われわれ一般の者にとっての「修二会」なり「お水取り」は、漆黒の闇の二月堂舞台を左から右へ移動する大きな松明の炎の映像である。これは「上堂松明」と呼ばれていて、実は単に練行衆が下の宿所から階段を上がって本堂で勤行するための道灯かりである。松明を持つのは童子と呼ばれる者で、練行衆を本堂まで案内して、舞台の上で松明の炎を消火する。欄干を左から右へ移動したり、左右の角で大きく火の粉を振り払うのは、現在では伝統文化のパフォーマンスとして観光名物だが、本来は単に童子が松明の火を消しているだけの意味しかないのだと森本公穣氏が教えてくれた。午後7時から1本目の松明が上がり、それが舞台の右角で火の粉を振り落とすと次の松明が左手の階段を上がり始める。階段を上がり始めると観客の歓声が上がる。二月堂の
前庭は見物客でびっしりと人が埋まり、立錐の余地もないほどで、その群れは右隣の法華堂の前まで埋め尽くしている。お松明が目に入る場所は全て人が埋まり、奈良県警が規制をしている。週末と12日は境内に上がれなかった人も出た。
火の粉を浴びると健康が得られるということで、早い時間から観客が詰めかけて、午後5時には前庭の半分以上が人で埋まり、上堂松明の開始を待っていた。観客は高齢の方が多い。大きな火の粉が右角の上から落ちると、オーッとひときわ大きな歓声が上がる。上堂松明は全部で10本上がり、午後7時30分には終わっていた。終わると奈良県警がライトを点灯し、スピーカーで「気をつけてお帰り下さい」と案内、観客の下山を促す。松明が10本上がるのは、一人の練行衆だけは最初に本堂に上がって後の10人の上堂を迎える役だからである。夜の行は4回(初夜・半夜・後夜・晨朝)あるのだが、松明の灯かりで練行衆を先導するのは初夜(しょや)の一回だけで、童子のパフォーマンスは一日一回で終わる。上堂松明の柄は真竹であり、長さは8m、松明全体の重量は60キロになる。実物を近くで見たが大きい。それを童子が一人で担いで長い階段を上がり、舞台で振り上げて火の粉を払い落とす。技術も必要だろうが、力がなくては絶対にできない。孟宗ではなくて真竹。「あの大きさの真竹を入手するのが大変なのです」と森本公穣氏が言っていた。
上堂松明が終わり、多くの参観客が帰った後、階段を上がって本堂に案内され、練行衆たちが「初夜の行」をしている様子を見せてもらうことができた。本堂は、靴を脱いで
中に入ると、中の部屋を囲むように外側が回廊になっていて、回廊の窓から内部の修行の様子を垣間見ることができる。本堂の中は私語禁止、さらに女人禁制。その回廊の外側の壁に小さく窓が開いていて、外から中を見る女性たちが詰める小さなスペースがあった。狭い真っ暗な場所に20人ほどの女性が座って息を潜めている。女性たちが視線を凝らす窓の前には男は立ってはいけない。彼女たちが中を見る邪魔になるから。女たちの窮屈さに較べれば男たちはありがたい環境で内部を見ることができたが、それでも、小さな窓から覗き込むだけでは修行の進行を推し量ることはできず、2名か3名の僧侶が声明を朗唱したり、法螺貝が吹かれたり、動き回ったりするのを微かに判別できる程度である。本堂の照明はわずかな灯明だけで、事実上暗闇の中で全てが執り行われている。私は案内されて、本堂の回廊からさらに中に入って、堂の上に座って読経を聞くことができた。思い出しても身が震える。
誰がこのような至福の経験を持つことができるだろう。修二会の本行の行法で唱誦される経文は、華厳の各種の経典から引用されて編纂されているらしいが、その中の一部に、現在の内閣総理大臣以下の閣僚の名前が読み上げられたり、あるいは「食品安全」とか「偽装表示」とかいった時事に関する一節が聞えてきた。練行衆の最高職である大導師が、各年の時事に関する件をオリジナルに執筆して挿入するのだと森本公穣氏が教えてくれた。一時間ほど堂内に座らせていただいたが、本当に素晴らしい体験だとしか言いようがない。高野山奥の院の中で見た情景とよく似ている。黒い床と天井、灯明と抹香だけの暗い世界。僧侶たちが同じことを続けてきた1250年間を思った。和風ではなく仏教風。あの空間に座っていると、1250年間の時の流れを旅して、奈良朝の夜に身を置いている気分になる。実際に、500年前の光景もこれと同じで、千年前の光景も目の前のこれと同じだったのだ。あの場所に、例えば家康が座ったとしても、あまりの歴史の古さに神秘的な気分になり、850年間続いてきた長い伝統の営みに感を深くしたことだろう。天海や崇伝なら何と言って家康に修二会を説明したことか。
様式は残る。意味は変わる。そんなことを思う。修二会については予想した以上に多い情報がネットの中にある。それぞれが丁寧に修二会を解説し情報提供してくれている。しかし、修二会は、情報を詳しく知れば知るほど理解するのが難しくなって行く対象であり、様々な要素と側面を持った複雑な宗教儀式であることが分かる。修二会を説明する上にはあまりにも多くの聞き慣れぬ言葉があり、一つ一つの仏教用語の意味を探るだけで頭の中の主記憶が容量不足になり、とても全体を情報処理して整合的な像を結ぶまでには及ばない。単に形而上学的な世界の複雑さだけでなく、独特の古代習俗的世界の感触があり、それが日本古来のものかインドや中国からのかという問題があり、また司馬遼太郎が言っているように実忠という僧侶の個性の影響もある。それらが一つの宗教儀式として伝統文化になっていて、複雑で不可解でありながら人々に対して親和的で、拒絶的でなく、民衆に美と娯楽を提供している。その美と娯楽は、奈良らしく雄渾で壮観な美と娯楽の文化である。誰でも分かるものだ。誰でも素晴らしいと思えるものだ。
それを1250年間絶やさず続けることが素晴らしい。「不退の行法」と呼ばれる。東大寺だからできたことで、志の高い人間の集団でなければこれは果たせない。東大寺の偉大さは「不退の行法」にある。修二会の映像は、何年か前に本堂内の五体投地や達陀の行法も含めてNHKで紹介されたと思うし、「ニュースステーション」でも放送されている。が、このあたりでNHKの「日曜美術館」が取り上げればいいのではないだろうか。修二会については年を追うごとに人々の関心が高まり、参観者が増える傾向にある。理由は言わずもがなで、来年は今年以上に人が集まることだろう。価値が高くなっているのだ。アートのパフォーマンスとして、修二会は素晴らしい日本の伝統芸術であり、尚美の宗教スペクタクルの提供でもある。そこには単に見せるべき映像だけでなく、多くの語るべき宗教文化の内実がある。そして「日曜美術館」の番組で視聴者に紹介して欲しいのは、修二会を愛した文人や芸術家たちのことである。入江泰吉、須田剋太、杉本健吉。文化としての修二会を語るとき、彼らのことは欠かせず、彼らこそが修二会を国民の文化にしているとさえ言える。
そしてできれば、その「日曜美術館」の解説に森本公穣氏を抜擢して欲しい。NHKの関係者の方にブログからお願いをしたい。