二度の国会(昨年の臨時国会と今年の通常国会)で、民主党が格差と医療と年金を争点にしなかったのは何故だろうか。この点は素朴な疑問であり、現在の政治を考える上で重要な問題点だと思うが、誰も問題にせずに無視している。臨時国会の争点は給油問題(新テロ対策特措法)だった。通常国会の争点は道路問題(暫定税率と道路特定財源)だった。民主党が昨年の参議院選挙で掲げた
政権公約の第一は格差問題で、第二が医療問題、そして選挙の最大の争点は年金問題だった。国民が民主党に期待したのは、格差と医療と年金の問題の解決であり、それが民意であり、その民意を受けて民主党は選挙に圧勝して参議院で過半数を制した。それが半年前の出来事である。国会論戦においても、この三つの問題で政府与党を攻めた方が国民の支持も大きく、より早い日程で福田政権を解散総選挙に追い込む情勢を作ることができただろう。
それなのになぜ民主党は格差と医療と年金ではなく、テロ特措法とガソリンを国会戦略の争点に据えたのだろう。答えを探せば、民主党が新自由主義政党だからという結論以外に考えられない。わざと格差と医療と年金を国会の争点から外したのである。そして、こう考えることができる。民主党の小沢一郎は、最初から格差問題や医療問題などには全く関心がなく、それらの問題で政府の政策を抜本的に変えて国民生活の窮状を救おうなどとは露ほども思っておらず、格差と医療の政権公約とCM映像は、単に国民の支持と票を取るためのものだった。ただの毛針だった。国民は釣られただけだった。そう考えると、二度の国会で格差と医療と年金が争点から外された理由が理解できる。マスコミやブログ左翼は自公政権が年金問題で公約違反をしていると糾弾するが、この民主党の格差と医療と年金の争点外しの対応は公約違反にはならないのだろうか。
一昨年秋からテレビ放映された民主党の「生活CM」を思い出していただきたいが、民主党は「国民のいのちとくらしを守る」と政策標語で言い、まるで共産党か社民党の宣伝ビラと見まごうかのような表現が並べられていた。社会民主主義の政策の言葉そのものだった。現在、福田内閣の支持率は下がっているが、民主党の支持率は上がっていない。記憶では、参院選の直後だったと思うが、民主党の支持率が自民党を上回って、その差がどんどん開くという局面があった。基本に戻るが、国民は生活に苦しんでいるのである。生活が苦しいから、苦しい生活を何とか救ってくれる政治に期待して一票を入れるのだ。小泉純一郎が郵政選挙で圧勝したのも、生活に困窮する国民が「改革」に期待して一票入れたからである。私の見るところ、民主党のスローガンである「国民の生活が第一」の説得と訴求は、国民の意識の中で次第に支持と帰依の濃度を薄くしつつある。
政局報道を整理すると、今後の政局のヤマは暫定税率の衆院再議決で、そこで福田与党が三分の二を取れるかどうかが焦点だと言われている。再議決の政治に重要な影響を及ぼすのが山口2区の補選で、ここで自民党候補が負けると、自民党の中で暫定税率に反対する改革派議員の造反が噴出して、福田政権にとって重大な事態を迎えると予想されている。この間まで3月政局だなどと騒いでいた政治記者たちが、よくもまあと思うほど、次から次に「解散政局」を演出報道して、国民の「政治関心」を繋いで「政治報道」を商売している。政局報道は、テレビの政治番組と表裏一体の、まさにマーケットでありビジネスだ。星浩は「政治報道」ビジネスの有能な営業マンである。この世界は、実際のところはゼロサムであり、自民党と民主党の支持率が下がったということは、マスコミの支持率が上がったということである。「両方とも駄目だ」と言うマスコミの支持率が上がったというのが現象の裏にある本質だ。
マスコミの政治記者は不偏不党でも何でもなく、当たり前だが国民の生活など(民主党以上に)どうでもよく、自分たちで仕掛ける政治を持ち、政治を主導することに生きがいを見出している。テレビに出るマスコミ人は電通の意向に従って大衆の政治意識の操作と誘導を図る。電通は日本の新自由主義の伏魔殿である。彼ら新自由主義者が今後の政局をどう展開させようとしているかを吟味しよう。再議決問題で党内に揺さぶりをかけているのは、
山本一太を表の顔のパシリで動かしている改革派の連中で、頭目は中川秀直、参謀に竹中平蔵がついている。山口2区補選の敗北を契機に造反の旗を上げ、暫定税率再議決を不成立に追い込んで福田降ろしに走る魂胆でいる。サミット後に自民党総裁選をやって麻生太郎を新総裁にする。今日の朝日新聞の政治面の記事を読むと、民主党の方も、福田政権を解散に追い込むのは難しいから目標を福田内閣の総辞職に置き直したと書かれていた。解散総選挙は諦めたということだ。
ただ、ここからが大事だが、マスコミやブログ左翼は、麻生太郎が自民党の新総裁になれば、高支持率を背景に一気に解散総選挙に出ると期待し予想する記事を書いているが、残念ながらそのような簡単な方向には進まない。なぜなら、どれほど麻生太郎が人気が高く、そして総選挙で勝利したとしても、3年前に小泉純一郎が取った三分の二の議席を再現することは困難だからだ。議席を減らす可能性の方がはるかに高い。だから、たとえ誰が新総裁になっても、そのままでは解散総選挙はないのである。解散総選挙をやるときは、必ず同時に参議院の勢力構成を変えるという展望がセットでなければならない。そうでなければ、仮に自民党が勝ったとしても、「ねじれ国会」の現状は変わらないのだ。すなわち答えは簡単である。この政治の今後の予想は非常に簡単で、キーは「ねじれ国会」であり、その解消の展望にある。答えは政界再編しかない。総選挙の後で政界再編が起きるのではなく、政界再編の後に、直後に総選挙をやるのである。
細川政権が誕生したときの総選挙がそうだった。自民党が分裂して小沢一郎の新生党ができ、細川護熙の日本新党、武村正義の新党さきがけができ、彼ら新党組が選挙に勝利して社会党と連立与党を組んだ。あのときと同じで、先に政界再編が起きて、その後で政界再編の権力構図を固める選挙をやる。私は、1月の政治予想で、福田自民党と小沢民主党が大連立へと動き、それを見た
改革新党(せんたく)が即座にカウンターで立ち上がり、新しい二大政党を樹立する動きになるのではないかと考えた。基本的にその動きは残っている。昨夜(4/2)の菅直人と加藤鉱一と山崎拓と亀井久興の四者会談もその一環である。だが、道路問題をめぐる国会の紛糾によって大連立の可能性は少し遠のいた。自民党と民主党の二党の塹壕戦になり、小沢一郎は大連立ではなく塹壕戦で自己の党内権力を保持する方向にスイッチしている。そして福田首相の指導力の下では大連立は難しい。そういう判断が自民党と民主党の議員の間で広まり、政界再編はポスト福田でという状況になっている。
それではサミット後に権力を握る麻生太郎は大連立に動くか。麻生太郎と小沢一郎の性格を考えると、二人が簡単に大連立で合意するとは考えにくく、民主党内で支持を広げるのも難しいだろう。麻生太郎で大連立は考えにくい。それでは麻生太郎はどのような政界再編の手に出るか。麻生太郎の政治目標は憲法改正であり、改憲に向けた院内勢力の結集で民主党と改憲大連合を組もうとするだろうが、民主党と大連立という図はあり得ない。結局、一年後の衆院選まで麻生太郎の側から政界再編を仕掛けることはなく、高支持率を背景に自信満々で2009年9月の総選挙に臨むだろう。そのとき、「
せんたく」は新党として選挙区と比例区に候補者を立てたいだろうが、自民党と民主党が分裂含みでないと「せんたく」に議員が集まらなくなる。船に乗る(博打を打つ)議員がいないと「せんたく」はポシャる。麻生太郎が自民党の総裁になるのならば、財界や米資や竹中平蔵も、無理に
改革新党を立ち上げさせなくても、麻生太郎に新自由主義(改革路線)を復活させればいい。麻生太郎が総裁になった場合は政界再編も遠のく。
「報道ステーション」の話では、総裁選は麻生太郎と小池百合子の争いになると言っていた。新自由主義勢力にとっては願ってもない権力になる。麻生政権の性格は、06年9月に誕生した安倍政権とほぼ同じ性格のものになり、国会では09年9月の選挙まで、場合によっては10年7月の選挙まで塹壕戦の政治が続くことになる。
まとめ
1.民主党が昨夏の参院選挙で公約した格差と医療と年金の問題を国会論戦の争点にしなかったことは問題である。そのことをマスコミも含めて誰も批判しないのは何故なのかわからない。民主党が格差と医療を国会で取り上げなかったのには理由がある。それは民主党が新自由主義政党だからである。
2.暫定税率の再議決の政局の後、解散総選挙になる可能性は全くないが、自民党内の内紛で福田首相が失脚して、麻生太郎が新総裁に就く可能性はきわめて高い。新しい麻生政権の政策と性格は二年前の安倍内閣と同じものになる。麻生政権の樹立により、新自由主義勢力は麻生政権の下に結集することになり、その結果、自民党議員(プロジェクトJと小泉チルドレン)の改革新党への気運は急速に萎む。
3.解散総選挙は論理的に政界再編を前提とする。現在の日本の政治において政界再編なき解散総選挙はない。政界再編とは両院の勢力の再編成であり、「ねじれ国会」の解消である。しかし、政界再編の機軸となる思想や指導者の存在が保守の側にない。自民党と民主党の二大政党体制を壊す発想と人格がなく、政界再編するエネルギーの存在がないため、政界再編は現実のものにならない。すなわち塹壕戦が続く。
【今日の一曲】
ピアノの詩人ショパンの「別れの曲」。
TVドラマで場面を演出する挿入音楽として頻繁に使われている。
ドイツの古典音楽を愛好する丸山真男は形式を崩すショパンのスタイルが嫌いだった。
詩人だから表現の形式は自由になる。
そのことは、ショパンが(ドイツ人でなく)ポーランド人だったことと無関係ではないだろう。
これはルーブル美術館蔵のドラクロワ画「フレデリック・ショパンの肖像」。
28歳の肖像だから、サンドと出逢って2年目の時になる。
詩人の顔をしているね。