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社会倫理規範としての憲法 - 最高法規についての若干の考察
b0087409_13545370.jpg憲法は為政者が守るべきもので国民一般は憲法に拘束されないという俗論がある。この議論が論壇で目立つようになったのは、私の認識ではごく最近のことで、九条の会による立憲主義のエバンジェリズムと、それから、特に民主党の憲法提言が出て、民主党の改憲論議を仕切っている枝野幸男が盛んに言い始めてからのことである。枝野幸男の論理と主張は、主として自民党の憲法草案の前時代性に対する批判の文脈から発せられていたものだったと記憶するが、ともかくその前後から特に左翼の論陣でこの憲法論が専らとなり、ネット左翼の憲法論の常識として定着した感がある。従来は、この議論を言う場合には「一義的には」という前置詞が使われていたが、最近は「一義的には」の限定が取り除かれて普遍的一般的な憲法概念となり、すなわち国民は憲法から全く切り離され、憲法の規定と拘束から自由な存在になった。 



b0087409_1355874.jpg憲法が国の最高法規で、法律や条例や政令や、行政の命令や通達を拘束することは誰でも了解するところであり、このことは憲法の第98条にも明文で規定されている。この国の法律や条例や政令や命令や通達は憲法の精神と規定に従わなければならず、憲法違反の法令は作ってはならず、行政は行われてはならない。当然のことだ。憲法の拘束を受けるのは国や地方の行政だけではない。裁判所も受ける。裁判所の出す判決、調停、命令、認可は、憲法の精神に則り憲法の規定に従ったものでなければならず、個々の裁決を導く審理の過程において裁判官は常に憲法を判断の基準にしなければならないはずである。裁判官たる自己の判断や解釈が最高法規に照らして妥当かどうかを絶えず自問検証しなくてはならない。行政と裁判所が憲法の拘束を直接に受けることは明白で異論はあるまい。地方議会も同じ。都道府県市町村会議員は憲法を守らなくてはならない。

b0087409_13552499.jpgそれでは、例えば農協や漁協や生協はどうだろうか。労働組合はどうだろうか。これらは政府組織でも国家機関でもない。非政府組織である。労働組合には組合規約という内規がある。規約は組合の結成において必ず必要なものだが、労働組合の規約は日本国憲法の拘束は受けないだろうか。日本国憲法に違反する組合規約は組合規約として法的に認められるだろうか。例えば、組合規約の第1条に、「わが組合は組合員の福利厚生の充実を図るとともに、過去の戦争の正当性を明らかにして靖国神社の栄光を讃えることを目的とする」の条文が入った組合規約はどうだろうか。極端で荒唐無稽な例を挙げたが、労働組合規約の条規を制定改正する上においては、その中身が憲法の規定に抵触しないように組合幹部が配慮するのは当然だろう。労働組合規約は憲法の精神に則り規定に従ったものでなくてはならない。それでは会社の就業規則はどうか。会社は民間企業だが、従業員規則は憲法を無視してよいか。

b0087409_13553936.jpg例えば、その規則の中に「女子従業員は毎朝のお茶汲み業務を義務とする」とか、「30歳以上の女子従業員は結婚退職を勧奨される」などの規定があった場合、無論、これらは憲法違反の前に男女雇用機会均等法や男女共同参画社会基本法に違反する論外な男女差別だが、原理的な問題として、民間企業の就業規則は日本国憲法の拘束を受けないものなのか。最高法規の規定とは無関係なものなのか。そう言えるか。就業規則だけではない。権力関係が及ぶ企業間の取引関係や職場での人事関係において、そこで日常的に行われている命令や指示や指導においても、本来、日本国憲法の条文の一つ一つが厳密に適用されるのが、われわれの社会においてあるべき姿なのではないのか。従業員の生活や境遇に直結する会社権力の決定や指示が、その正当性を根拠づける会社の制度や基準が、憲法25条に違反してないか、第13条や第14条や第18条や第19条や第21条に違反してないか。そのことが常に検証反芻されるべきではないのか。

b0087409_1356889.jpg例えば、ブログの読者であるあなたが会社の管理職の立場になったとする。あなたの部下に対する指示や指導や考課は権力的立場からのものになるが、権力関係下位の人間に対する日常的な指示や指導は、まさに第13条、第14条、第18条、第19条に直接関わる可能性のあるものだ。間違えば憲法違反になるものである。そして日本の現実においては、憲法違反の職場の権力行為が堂々とまかり通り、不当に権利を侵害されながら泣き寝入りさせられている弱者が数多くいる現実がある。学校の教室空間も同じ。いじめがある。弱い者が権利を侵されて苦痛を受けている。暴力を受けて自殺に追い詰められている。日常の小社会空間において堂々と権利侵害がまかり通り、憲法違反が行われているから、だからこそ、その延長線上で、国民は政府の憲法違反を咎めることができないのではないのか。政府に憲法を守らせる国民というのは、日常社会においても、学校で、職場で、憲法を誠実に真摯に遵守している国民の姿なのではないのか。大事なのは最高法規の内面化だ。

b0087409_18152854.jpg私の記憶では、嘗ての日本の左翼は「職場に憲法を」という政治標語を掲げて訴えていた。現在の左翼は、九条の会の末端に属するアクティブでさえ、「憲法は為政者が守るもので国民が守るものではない」と平然と言い挙げ、憲法遵守の範囲を狭く政府にとどめている。民主党の「憲法提言」の論理の浸透と、規範の内面化を拒絶する左翼脱構築主義のイデオロギーの影響のためだろう。憲法は主権者である国民一人一人が遵守すべき社会規範だからこそ、私と私の世代は学校で四度憲法を習った。小学校6年の社会科、中学校3年の公民、高校3年の政治経済、大学1年の日本国憲法。大学では、入学した全学生が学部を問わず必修で1年時に日本国憲法を履修させられ、単位を取れない者は教養課程を卒業できなかった。工学部生も理学部生も農学部生も歯学部生も。憲法が為政者が守るべきもので、国民は無関係で自由だとすれば、戦後の日本の教育はずいぶん無駄な投資を行ってきたものである。守るべき規範だから学んだのではないのか。知識を身につけたのではないのか。

b0087409_13562244.jpgこの問題は、実は新自由主義の問題と無関係ではない。日本の職場の環境は、90年代から急速にグローバル化の変化と進展の中にある。職場に外国人が多く入るようになり、外資系企業で米国人が日本人を使うようになり、日本企業で日本人が途上国の人間や日系人を使うようになった。外資系企業の管理職である米国人には日本国憲法や労働基準法の知識が全くない。憲法や基準法の知識を持たずに日本人従業員を使っている。日本企業で使われているアジア人や日系南米人も日本国憲法の知識がない。会社や管理職である日本人から不当な権利侵害を受けても、それを違法行為として認識する前提がない場合が多い。グローバル化が進み、日本の民間の職場で外国人が増えている状況は、職場という社会空間で基本的人権の侵害がますます甚だしくなっている現実そのものである。憲法の支配から離れて行っている現実である。そのとき、護憲派の勢力が、「憲法は国民が守るべきものではない」と言い、憲法の倫理規範的意味を剥落させてくれれば、新自由主義者にとってこれほどありがたい話はない。

b0087409_15423494.jpg私が言っている脱構築主義と新自由主義の補完的並行の思想状況というのは、その典型的な事例は、こうした「護憲派による憲法規範の解体脱構築」の愚行にある。もう一つの典型的事例が「ゆとり教育」である。右の新自由主義がここまで日本社会を席巻支配できたのは、左の脱構築主義がそれを思想的に援護し思想的障害物を左側から除去したからだ。今上天皇が即位のときに、「みなさんとともに憲法を守り」と言い、私はその言葉を聞いて大いに感動したが、あのときの「みなさん」は国民ではなくて政府職員のことだろうか。それは少しブラックユーモアに過ぎるのではないか。「憲法は政府が守るべきもので国民が守るべきものではない」の言説は、憲法を国家という抽象的な法人格の額縁入りの金科玉条にし、官僚の業務マニュアルに変えてしまう。精神が抜け落ちる。それは間違っている。25条の生存権にしても、前文と9条の平和主義と戦争放棄にしても、国民がその法規定を規範として前向きに守らなければ、どうして国民がそれを政府に守らせることができるだろう。政府と言い、国民と言っても、法を守るのは心を持った人間なのだ。

日々の行政や裁判において憲法を遵守すべき国家公務員は、民間サラリーマンと同じ人間なのである。
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【今日の一曲】

1982年に大ヒットした Boys Town Gang Can't Take My Eyes Off You を。
この頃、ディスコが大ブームで、この曲はその中でも最も盛り上がる曲で、
すなわちチークタイムになる直前の「トリ」の曲だった。

イモでオバカな私も毎週のように土曜の夜は六本木スクェアビルに繰り出して、
時代の流行を追いかける散財な青春の日々。
遊び好きで英語の得意な仲間の後輩が、歌の題を「君の瞳に釘づけ」と訳した。



そして憧れのチークタイムの定番は、プロコルハルムの「青い影」、
でしたよね。覚えてますか。
We skipped the light fandango .....
あーあ 、溜息のスローバラード。
ついでだから、
今日は大サービスで、クィンシー・ジョーンズの「愛のコリーダ」も。

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by thessalonike4 | 2008-04-09 23:30 | 憲法 ・ 皇室
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