昨日の記事に関連して、昨日の朝日新聞の2面に新潟で5/11に開催された労働サミットの
記事があったので、少し取り上げておきたい。連合会長の高木剛が記者会見の席上で厚労省と経団連に猛然と噛みついている。この事件はテレビのニュース番組では一切報道されなかった。それだけでなくネットのニュースサイトでも朝日新聞以外のサイトからは発信がない。無視されている。この問題を何も知らない人は多いのではないか。高木剛を見直した。高木剛は、政労使のサミット開幕記者会見をシャンシャンで纏めて流そうとした厚労官僚のペーパートークを遮り、マイクを掴んで敢然と経営側を批判、大企業が労働者派遣法違反を公然と繰り返している実態を糾弾した上で、さらなる労働市場の規制緩和を求める経団連に対して、「
ルールを守らない人間に正当性を主張する権利があるか」と憤激の鉄槌を下している。高木剛、よく言った。立派だ。一歩も退くな。押しまくれ。
高木剛はこうして奮闘しているが、民主党は国会で何をしているのだろう。今年になって、民主党が国会で格差問題を論じた場面はなく、格差問題はマスコミ報道からすっかり消えてしまっている。国民の関心からも消えつつあるような状況になっている。ウェーバーに従って何度もしつこく言うが、民主党は昨年の参院選で格差の是正を訴えて選挙を戦った。
マニフェストに記された
7つの提言の第一には「
雇用を守り、格差を正す」とある。選挙戦の最中から直後にかけて、民主党は御手洗富士夫を国会に召還してキャノン栃木工場の偽装請負について証人喚問すると言い、格差問題に対する積極的な姿勢を国民にアピールしていた。選挙から9ヶ月が経って、そんな話はまるで大昔の出来事だったような印象がある。ガソリン問題ばかりを争点にして、雇用や労働法制を議論しようとしない。9ヶ月間、格差問題を国会で論議していれば、経団連から「さらなる規制緩和を」などという言葉が今頃出ることはなかった。
私は、今年に入って、民主党の「ガソリン国会」戦略を痛烈に批判してきた。しかし、一般のBLOGは民主党の戦略を支持し、暫定税率や道路特定財源問題の追及で衆院の解散総選挙に追い込むという民主党の主張に期待して応援する声を上げていた。「ガソリン国会」も終盤にさしかかった。「ガソリン国会」を支持して声を張り上げていた者たちは、今の国会と民主党を見てどう思っているのだろう。芝居だったと気づいただろうか。民主党に騙されたことに気づいただろうか。民主党の言う「解散総選挙」が嘘だったと分かった人間はいるだろうか。民主党は今週「ガソリン国会」の幕を引いた。国会でガソリン問題で自民党を攻めるのをやめ、今後は後期高齢者医療制度で攻めると言う。事実上の陣地放棄であり、戦略の失敗の露呈である。思い出して欲しいが、5/13の「道路整備費財源特例法」の衆院再可決に際して、連休前のマスコミの情勢報道では、これが政局のヤマ場と言われ、自民党の造反者も出るだろうし、民主党は必ず問責決議案を出すと予想されていた。
そして思い出して欲しいが、5/13の「道路整備費財源特例法」の再可決は先送りされた「決戦」であり、その前は、山口2区補選後の4/30の「暫定税率」の衆院再可決がヤマ場だと言われ、民主党の問責決議案が出るかどうかが注目されていた。この国会に入って、一体何度「問責決議案を出す」機会が報道されたことだろう。1月の「新テロ特措法」の衆院再議決のときにも言われた。少なくとも3回は出すタイミングが取りざたされたが、結局は全ての機会に見送りされた。
問責決議案出す出す詐欺。冷静に政治を見ている人は考えて欲しいが、あの4/30の「暫定税率」復活の再議決のとき、民主党はなぜ本会議を欠席して議長室の前の廊下を占拠する愚劣な場外乱闘戦術を採ったのか。本会議での採決となれば、一人でも二人でも自民党から「暫定税率」復活反対の造反議員が出て、議場退席の場面が見られる可能性もあったのではないか。マスコミも誰もその点を指摘しないが、冷静に考えれば奇妙である。対決しているように見せて、本当は裏で自民と民主は手を握って国会運営を密談協議しているのではないか。
結局、ガソリン問題で解散総選挙はなかった。問責決議もなかった。ガソリンの値段は下がらなかった。内閣支持率は下がったが、これはガソリンよりも後期高齢者医療制度の影響の方がずっと大きい。民主党は何をしたのか。問題の後期高齢者医療制度だが、昨日のニュースを見ていて驚いたが、民主党はまだ廃止法案を参議院に提出すらしていない。夜のニュース番組で菅直人が党本部で喋っている場面が出て、「廃止法案を参議院に出す手続きの最中です」と言っていた。後期高齢者医療制度問題の参議院での審議がニュースにならないので何をしているのだろうと訝っていたが、審議どころか、連休が明けても委員会提出すらしていなかった。廃止法案は衆院には2月に出している。同じものを参院に提出すればいいだけで、時間はかからないはずだし、参院は野党が委員会運営のフリーハンドを握っている。法案の障害物は何もない。私の記憶では、朝日新聞が民主党による廃止法案の参院提出を記事にしたのは、私がそれに関する
記事を書いた翌日の4/29だった。あれから二週間も経っている。民主党は廃止法案を本当に参議院に提出して審議可決する気があるのか。
疑わしい。参議院に廃止法案を出し、そこで制度設計した厚労官僚を呼び、制度を立案した経緯を問い質して小泉構造改革の真実を暴露すればよく、与党が修正法案を出してくれば、その修正法案の妥当性を議論すればいい。当然、民主党は廃止法案を出す以上、制度廃止によって老人医療費の予算支出が膨らむ分(今年度1500億円と言われているが)を補填する財政措置案を出さなくてはいけない。暫定税率問題でも、結局、民主党は代替財源案を出さないまま、言いっ放しの水掛け論で問題を終息させた。マスコミと自民党に東国原英夫を握られ、東国原英夫に具体的な対案で反論することができず、ガソリン国会で自公政権を追い詰めることができなかった。今度も同じ構図になる可能性があり、民主党が廃止法案を出せば、自民党は財源問題で反論し、マスコミを使って消費税増税のキャンペーンを打たせる手に出るだろう。そして、解散なしの両党の暗黙の合意のまま、後期高齢者医療制度の国会論議も曖昧に終わり、制度は無傷で生き残り、自民と民主の
政界再編の動きだけが活発に展開することになるだろう。
大きく引いて全体を考えて欲しい。これは一体何なのか。マスコミもブログ左翼も、日本は二大政党で二党が政策を争い、国会で対立して論戦し、それをマスコミが正しく報道して国民の支持を奪い合っているのだと言う。開かれた民主主義の二大政党制だと言う。本当にそうか。私から見れば、眼前の日本の政治的現実は二大政党制ではない。自民党と民主党に違いはなく、二党は実は一党であり、一党が二つの大きな派閥に分かれて表面上争っているだけで、政治の真実を正しく表現すれば二大派閥制である。事実上の一党独裁制であり、一党独裁制の下での二大派閥制である。マスコミの政治報道は、国民の世論を操作することが目的であり、国民に真実を伝えることが目的ではない。大新聞の政治記事はすべて政権や政党の幹部が流すオフレコ記事であり、テレビのニュース報道も意図的なプロパガンダ放送である。言論の自由や報道の自由だのは形式として保障されているだけで、実質を隠蔽するカムフラージュの役割を果たしている。中国の政治と本質的に変わりない。選挙はあっても、実質的には自民党か民主党しか選べない。二つの派閥しか投票の選択肢がない。
1月からずっとガソリン国会の政治が続いた。この政治は、医療問題と格差問題を国民の前から消すための芝居の政治である。マスコミ報道を道路問題一色に染め、国民の政治関心をそこに漬け込むための謀略の政治であり、医療問題と格差問題と年金問題を国会とマスコミから消すための政治である。そして大連立の可能性と政界再編のデザインの可能性を探る時間稼ぎの政治でもあった。二党は対立していない。対立は見せかけで実際には馴れ合っている。本当に対立しているのだったら、暫定税率と道路整備の二度の再議決の際に、民主党は自民党の中に手を突っ込んで造反者を炙り出していた。福田首相と小沢一郎が喧嘩分かれしたというのは嘘だ。マスコミに流させている操作情報だ。二人は今でも連絡を取り合っている。ガソリン国会で続いた通常国会が終わったとき、そこに待っているのは政界再編と消費税増税である。保守二党が適当に新党を立てて分かれ、適当な公約を言って選挙をやり、選挙後にまた名前と政策を変えて離合集散する。マスコミは適当な争点を作って国民の投票を誘導する。官僚の願いは、一刻も早く消費税を増税して、そのカネで天下り先の特殊法人を温存することである。この国は二大政党制ではない。
そう言っているのは山口二郎だけであり、権威である岩波書店と山口二郎がそう言うから、国民の誰もが騙されて信じ込むのである。よく考えて欲しい。米国で民主党と共和党の幹部同士が夜に密会して政界再編の相談などしているか。英国の労働党と保守党の幹部が、次の政界再編をどうしようかと高級レストランでフルコースを食いながら密談したりする図があるか。日本の「政界再編」の概念を彼らに英語で説明したら驚いて混乱するだろう。例えば、マケインとオバマが密会して新党作りに動くなどという想定が米国の政治アナリストにできるか。クリントンとブッシュが大連立の密議をしたなどというクレージーな想定を米国の有権者ができるか。日本の二大政党制というのは、それが当然にできる二大政党制なのである。選挙の毎に新党を作ったり壊したり、政策を変えたり戻したり、議員があっちへ行ったりこっちへ戻ったり、何でも融通無碍にできる二大政党制なのだ。山口二郎が作った日本の二大政党制というのは、そういうシステムなのである。確かに彼らは権力の奪い合いをやっている。だが、彼らのやっている権力の奪い合いは、派閥のボスの権力の奪い合いであって、英国や米国の二大政党間の権力争奪戦ではない。
一党独裁制という呼び方が不適当なら、
擬似的な二大政党制と呼ぶしかない。そして日本の一党独裁制が中国の一党独裁制より質(たち)が悪いのは、それが世襲制だからいうことである。世襲制の一党独裁体制。
【世に倦む日日の百曲巡礼】
1978年の 柳ジョージとレイニーウッド の 『雨に泣いている』を。
流行ったよね、レイニーウッド。 コンサート、行きましたか?
この曲を聴いて思い出すのは、あの頃の横浜の街。
関内から球場を見ながら山下公園へ歩いて行く道路。
神奈川県民ホールがあって、当時人気のクルセイダースのコンサートも見に行った。
ホテルニューグランドがあって、クラシックで、やっぱり横浜はいいよね。
街に気品と風格があり、明るくオープンで、歩道が広くて、街路樹が立派で、
田舎者には横浜はたまらなく魅力的だった。
デートをするなら関内、馬車道と元町と中華街だよね。
渋谷みたいにガサガサしてなくて、歩きながらゆっくり話ができる。