朝日新聞にせよ、毎日新聞にせよ、五年前や十年前の世論調査では護憲派が改憲派を確実に数で上回っていたのである。それが、毎年、少しずつ変化して護憲派が少数になり、今年は遂に九条改正反対まで少数派に転落した。いわゆる国民の政治意識の変化だが、これは具体的な人間の判断を考えた場合、ある時にドラスティックに護憲が改憲に立場転換するのではなく、まず「護憲」から「どちらでもない」とか「わからない」に変わり、そこから数年して「改憲」に変わるという漸次的な態度変容を想定するのが正確な見方なのではないかと思われる。国民全体の意識が徐々に変わるように、個々人の意識もまた徐々に変わり、年に数センチずつ立ち位置を右に寄せているのである。そこには、無論、右派に占拠されたマスコミや論壇でのプロパガンダのシャワーの影響もある。個々人にとって、その立場転換はまぎれもなく転向であり変節なのだが、それを自己合理化し自己正当化してくれる威勢のいい政治言説は、マスコミの政治番組が日常的に提供してくれていて不足はない。
が、恐らくそれだけではないのだ。右翼論者の説得に積極的に納得共感して護憲から改憲に立場転換したという人間はきわめて少ないだろう。世間の大勢が護憲から改憲に変わっているので、自分も大勢に合わせようという動機はあるだろうが、それでも護憲という態度選択で固く保持していたはずの平和主義の思想信条を相対化するという内面の営みは、少なからず呵責や痛痒を伴う自己否定であり、個々にとっては容易ならざるもののように思われる。市民の政治意識が「護憲」から「どちらでもない」に変わり、「どちらでもない」から「改憲」に変わる上では、実はもう一つ重要な契機がそこに存在しているのに違いなく、それは護憲の政治に対する失望であり、護憲を絶叫している者たちに看て取れる負性であろう。護憲的世界の実情の中に率直に感じさせられるネガティブが、市民の立つ足位置をジリジリと改憲方向に押し寄せてしまうのである。単にプロパガンダに洗脳されて改憲に誘導されるのではなく、護憲のマイナスを見て、護憲には未来の可能性がないと察知するのだ。
護憲のネガティブには様々のものがあるが、第一には左翼政党の体たらくぶりや本気の無さがあるだろう。これについては何度も指摘したので
繰り返さないが、社民党と共産党を見て、この二党に将来の可能性を確信できる者はいないだろう。手を繋いで合同再生する気配もなく、何やら一方が潰れることのみを期待している。有望な人材の出現もなく、新たな理論政策の構築提案もなく、組織の改革や刷新もなく、選挙では無為に票を減らし続けるばかり。二党のネガティブが護憲のイメージを悪くしているのである。市民が護憲にコミットできない理由は、自己の立場が「社共」では具合が悪いから「非護憲」になるのだ。自分=護憲とすれば、護憲=社共となり、自分=社共の連立方程式が成立する。だから、自分≠社共を証明するべく、自分≠護憲、すなわち自分=非護憲となるのである。マスコミの政治宣伝に脳を漬け込まれている現代日本の若者の政治意識において、左翼(=社会主義)はすでに負性悪性の象徴だ。社会的異端であり証明不要の人類史的絶対悪である。北朝鮮の金正日政権だ。
ネガティブの第二は、身近に見る「護憲」の人々の様相である。写真で見ると、反戦にせよ、共謀罪反対集会にせよ、護憲にせよ、ニュースに出てくる映像はみな高齢者が多く白髪ばかりである。これはまだよい。問題はネットで護憲を叫んでいる者たちで、左翼特有の狭矮さと攻撃的な態度がある。具体的で建設的な提案は出せず、ただ「護憲、護憲」と経文を唱えるように繰り返すだけで、それ以上の中身はなく、何か目の前に見えた感情的不愉快に対して動物のように条件反射的に噛みつき、無知と蒙昧を自己正当化する後ろ向きの政治を取り巻きと作って自慰自悦する。それを「護憲のネット活動」とする。左翼はこれを十年間ほど掲示板でやってきたが、ブログという玩具を見つけて一年前から遊び始めた。読経連呼と誹謗中傷の政治以外に中身のない護憲ブログは、政治的効果としてもバナーシール以上の存在ではなく、まして一般市民に対する説得力にもならない。効果としては逆であって、左翼=護憲のネガティブを増すばかりだ。思想さえ共産主義であれば無知で蒙昧であるほどよいとした毛沢東思想を想起させる。
前置きが長くなったが、私が小森陽一ならば「九条の会」は憲法記念日にこうするという提案を簡単に試みたい。まず、九人の最新のメッセージを5月3日に合わせてストリーミングで配信掲示する。これは必須だろう。無論、テキストも用意する。事務局長のキーノートも載せる。5月3日をネット上のイベントデイにする。こんなのは当然だ。次の一年間の活動方針を提示し、国内拠点の数値目標を出し、選挙に向けての指針と政党へのアピールを示す。海外署名運動を提起し、準備状況とスケジュール、さらに署名目標を示す。そのとき、海外からのエンドースメント・メッセージを動画で紹介する。例えば、マンデラやゴルバチョフなどのノーベル平和賞受賞者、ハベルやワイツゼッカーなどの元元首、小野洋子、チョムスキー、ダワー、ネグリ、センなどの著名知識人。イタリアのブロディとか、スペインのサパテロとか、ベネズエラのチャペスとか、現職の政治家のエンドースもあればいい。それから、元グランパスエイトのストイコビッチ。彼が六年ほど前に朝日新聞のスポーツ面で述べた平和憲法の発見と擁護のメッセージは素晴らしく、私は胸を打たれた。
カンファレンスを実際に開くと莫大な金がかかるが、ネットなら極小の費用でこの
THE PEACE CONSTITUTION DAY のイベントが全世界同時開催で実現できる。ビッグネームにエバンジェリズムしてもらう。そしてテキスト・コンテンツとして、例の「
あたらしい憲法のはなし」や吉田茂の「侵略戦争は必ず自衛戦争の名の下で行われるから全ての戦争を放棄」の
国会答弁を含めた憲法関連の重要資料も全てサイトの中に収録整理する。海外の教科書や市販文献の中に登場する平和憲法の話題も可能なかぎりピックアップして記事にする。これまでに外務省やNPOが行ってきた平和憲法のエバンジェリズムの成果も評価して展示する。日本人は概してそうだが、特に若い世代は「外国での評判」に極端に弱い。国際化コンプレックスの頭がある。「外国でこんなに評価されている」というのがキラートークであり、その外国が中国と韓国を除いたものならネット右翼でも簡単にコンビンスする。海外の学校教育資料の中で平和憲法を肯定的に記述しているものを見つけるのは簡単だろう。ヨーロッパにもアジアにもアフリカにもあるはずだ。(国際的には無名の政治家だった)佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞した際の海外のプレス記事(受賞理由の解説)とかもあっていい。平和憲法の海外資産の発掘と紹介だが、そういうストックを活用する研究者はいないのだろうか。
機動戦の企画提案として、昨年の「海外署名運動」に続いて、今回は「平和憲法デイ」のネットプロモーション企画を出した。まだある。