TBは人と人との出会いの場だが、出会いには好い出会いもあれば、悪い出会いもある。渋谷のキャッチセールスのような出会いもある。「虎穴に入らずんば虎児を得ず」も真だが、同時に「君子危うきに近よらず」も真である。若い女が素敵なカレに出会うためには、スクランブル交差点を超えてスペイン坂へ歩いて行かなければならないが、そこには日々商売している暴力団系詐欺師たちが手薬煉引いて待っている。小泉首相が言ったように、誰からも好かれるというのは難しい。選挙に勝ったから、小泉首相は有能なリーダーシップの評価を得て、支持率をさらに上げ、政治家としての名声を不動のものとした。選挙に負けていれば、マスコミからも袋叩きにされ、独善と驕慢で失脚した無能政治家の烙印を押されていただろう。解散には盟友の森善朗でさえ反対した。自民党が分裂し、客観情勢は誰の目にも自民党の敗色濃厚だったからだ。政治家の評価は結果が全てである。
ブログで政治を変えるためには、多数に認められ、多数に注目される必要がある。田中角栄が言ったとおり、政治は力、力は数である。
数こそ説得力の証明だ。たかだか周囲数十人の「群れ合い共同体」で響かせ合う宿恨と劣情の共振と交換のレベルでは、およそ政治を動かす力などにはならないのであり、山奥の村議会でやっている三流派閥政治以下の「趣味のブログ政治」である。
STOP THE KOIZUMI のブロガー同盟にせよ、
世界ネット署名運動の企画提案にせよ、これらは全てコロンブスの卵なのだ。誰かがやった後で、そんな事は誰でもできるとか、誰でも同じ事を考えていたとか言うのである。最初に誰かがやらなければ、本当は何も現実は変わっていないのだ。猿真似しかできない人間が、それくらい誰でもできるとか、たいしたことはないとか、結局は失敗だったなどと評論をするのだ。誰かがアイディアを出して、そしてチャレンジしたから現実が変わったのである。
世の中には提案もできず、挑戦もできず、努力もせず、他人への嫉妬と誹謗と愚痴だけで人生を終わっている人間がいる。人の足を引っ張るだけの人間がいる。会社の中も同じじゃないか。そのくせ、そういう人間に限って、上司がヘボだっただの、組織が悪かっただの、経営者の唯我独尊が拙かっただのとエクスキューズを言うのである。大事なことは現実を変えることだ。新しい可能性を示して見せることだ。前置きが長くなったが、「九条の会」への機動戦の提案の続きを。私の見たところ、「九条の会」を始めとする現在の護憲運動は、運動論が陣地戦のみにフォーカスしていて、機動戦の位置づけがきわめて弱い。これは本当に不思議で、だから「護憲は長い戦い」だなどという言葉が末端から洩れ出てしまうのだが、改憲側はそんなに時間を待ってくれると思っているのだろうか。朝日新聞が九条改正を多数世論にした以上、もはや改憲側にとって世論を慮る何の政治的障害物もない。
改憲断行、すなわち改憲案の一本化と国民投票へのゴーサインは、基本的に米国政府の最終決断であり、国務省とホワイトハウスの意見一致があった時点で決行指示が出る。日本の右翼と政権にとってはブッシュ政権の任期中が最もOKが出やすい。ヒラリー政権やケリー政権に変わってしまうと、改憲アプルーバルはリセットされると見るのが普通だろう。米国の対中対北朝鮮政策が百八十度変われば、首相が右翼の安倍晋三でも簡単には改憲に着手できない。私は次の参院選は改憲の是非を問う選挙になると見ている。そして次の衆院選の結果何如でそのまま発議可決、国民投票になるだろう。ブッシュ政権の任期はあと二年。護憲派がやらなければならないことは、何より国会で三分の一以上の議席を回復させることだ。次の参院選と衆院選でそれを現実に達成しなくてはいけない。私の提案は全てそこにフォーカスしている。「九条の会」にはその戦略が基本的にない。
「海外ネット署名運動」と「平和憲法デイ」に続く三つ目の機動戦の提案は、「ビッグネーム・オルグ」のストラテジーである。二十代から四十代の若い人間を護憲でコンビンスさせるためのエバンジェリスト・オルグ作戦。具体的に名前を挙げよう。まず第一のターゲットは村上春樹。村上春樹を護憲陣営にリクルートする。この件については二年前に
すでに触れた。村上春樹は恐らく今年ノーベル賞を取る。賞を取った後は護憲のエバンジェリストになって政治を論じて欲しい。村上春樹を口説き落とすことのできる人間は日本人にはいない。村上春樹を説得できるのは、例えばチョムスキーとか、センとか、海外の知識人だけだ。だから、それをやらなくてはいけない。チョムスキーに村上春樹を説得するように説得しなければならない。そして平和を願う世界中の知識人が村上春樹に手紙を書いて、村上春樹に日本で護憲に立ち上がるように懇請しなくてはならない。まさに本物の国際運動となる。
第二のターゲットは宮崎駿。彼はなぜ護憲の立場を積極的に表明しないのだろう。思想的には護憲のはずだが、まさか改憲ではないだろうが、「九条の会」は真面目にアプローチしているのだろうか。村上春樹と宮崎駿の二人は現代日本における国民的文化人の代表格であり、すぐにでも文化勲章を受賞する立場にある。二人を護憲陣営に獲得することができれば、その説得力は嘗ての司馬先生のそれに匹敵する。強力だ。宮崎駿への説得は、まず筑紫哲也が担当して、そしてやはり動かすことができるのは海外の文化人や知識人だろう。欧州の映画人脈とか、そのあたりを動かさなければならない。で、ここでイマジネーションの跳躍だが、できれば、夢のような話だが、スピルバーグをアーティクル9の国際陣営に引き込めないか。スピルバーグを獲得できれば、日本人の三分の一は、若者世代の二分の一は取れたも同然になる。スピルバーグにプロポーズできる人間はいないのか。
第三のターゲットは中田英寿。そして第四のターゲットは宇多田ヒカル。二人とも護憲の旗手として祖国の平和のために立ち上がって欲しい。中田英寿は将来は政治家になるべきだ。ビジネスもできるし、評論も誰より上手にできる才能を持っているのは確かだけれど、国会議員になってもらってよい男である。きっと立派な国民代表になれる。国会質問で閣僚や政府委員を立ち往生させる明敏な頭脳を持っているはずで、私にそれを見せて欲しい。ヒデは誰が口説くのだろう。誰か提案はないか。宇多田ヒカルは昔に較べればバリューが落ちた。が、彼女はヒデに劣らぬインテリであり、優秀な文化人であり、日本が誇る偉大な音楽的天才である。中田英寿も宇多田ヒカルも、順調に成功を重ねれば、文化勲章に辿り着く素質は十二分にある。私は宇多田ヒカルの(ヒットしていた頃の)歌が大好きなのだが、いつ復活するのだろう。できれば、次の日本開催の五輪大会のテーマ曲を彼女にやらせたい。
村上春樹、宮崎峻、中田英寿、宇多田ヒカル、この四人が「九条の会」のサイトの上に揃い踏みして、日本中をあっと驚かせるのだ。四人が護憲をエンドースしたとき、一体誰が改憲賛成と言えるのだ。ブログの説得力というのは、単に理論や知識や論理やレトリックやIT技能だけではない。それらもきわめて重要だが、それより重要なのは、夢のある提案ができるかどうかである。イマジネーションを持っているかどうかだ。