今回は、来年の参院選に出す候補者をリストアップした。前提は護憲新党である。もうなりふり構っていられる段階ではないのだ。選挙に勝たないといけない。九条を守る国民の意思が選挙の勝利という現実の政治で示されなければならない。勝たなければならない。勝って押し返し、そのままの勢いで衆院選で三分の一の議席を奪い取らなければならない。これはマストの課題であり、今はゼロだが、ゼロからここまでの現実を作らなければならない。得票とモメンタムの問題を冷静に考え、そしてマスコミの翼賛化状況を考えたとき、もはや社民と共産の合同では事態は手遅れだ。例えば、志井和夫が代表で福島瑞穂が幹事長になった左翼政党ができたとしても、その党では十分なモメンタムを作ることができない。イメージが悪い。一桁政党が二つ一緒になった程度の効果しか出ないだろう。態度未定の者を護憲に引き寄せ、改憲の者を態度未定に引き戻す政治的説得の力にはならない。
社民と共産が合同するのなら昨年の夏にするべきだった。それが政治的なタイムラインの限度だった。限度を超えた。政治は人を待たない。待ってくれると思っているのは感覚の鈍い左翼の人間だけだ。限度を超えた。このままでは護憲=左翼の異端方程式の社会観念が完全に固定化され、自分は左翼ではないと自己認識・自己主張する者は護憲の立場を選べなくなる。護憲を心理的に放棄せざるを得なくなる。改憲か護憲かを選択する選挙は、マスコミによって最初から改憲が正義の国論で護憲が邪悪な異端だと決めつけられた選挙になる。戦争は嫌だが護憲は断念して、改憲後の「戦時下」を耐えて生き延びる心構えをせざるを得なくなる。新党を立ち上げる以外にない。社民や共産の無能な幹部に期待していたら、結局は世論を盛り上げることができず、期待を裏切られるだけだ。新党の勢いで無党派層の票を奪わなければならない。護憲するために新党に賭けなければならない。
何でもいいから選挙で勝たなければいけない。理屈なんかどうでもいい。B層だろうがC層だろうが関係ない。開票の結果で勝っていればそれでいい。票が集まる候補を立てて、認知度と好感度をマキシマムに高めて、応援団を次々と繰り出して、話題と勢いで改憲派を押え込むのだ。日本中が祭宴状態になり、興奮の坩堝と化した一ヶ月の選挙戦を、その最後の一日を制せばよいのだ。有権者に護憲新党へ一票入れさせればよいのである。昨年夏の小泉劇場の選挙を護憲新党がやればよいのである。女15名、男7名の第一次公認候補者名簿を作った。もっとこれがいいという名前があれば挙げて欲しい。アイディアラッシュして、候補者名簿を「より勝てる」「必ず勝てる」最上のものにブラッシュアップしよう。護憲新党は改憲を阻止する目的の政党である。改憲の阻止は戦争の阻止を意味する。思想信条の自由の死守を意味する。無党派層を覚醒させ、無党派層の票で勝つ。
この場合、選挙で新党の顔になるのは川原亜矢子と桜井和寿の二人である。川原亜矢子は立派だ。この人は素晴らしい。今が絶頂の女優でありながら、「九条の会」の中で最も目立って活動している。普通はそれはできないものだ。仕事を減らされる。圧力を受ける。誰もがそれを恐れて二の足を踏む。川原亜矢子はなぜあれほど大胆果敢に行動できるのだろう。この人に私が感激するもう一つの理由は学歴で、私はこういう人をどうしても国会議員にしたい。民主党型(
虚飾キャリア)とは対極の、憲法が望む国民代表の姿。一昨年のNHKの衛星放送で、中国の桂林を特集した番組の生中継に出ていたのが印象的だった。とにかく川原亜矢子がテレビに出ると、そのビジュアルの魅力で固まって見入ってしまうのだが、珠江の支流に浮かべた小舟に乗り込んで座ったときの、白いパンツ姿の細く伸びた長い脚が印象的で、スーパーモデルのビジュアルバリューを存分に堪能させてくれていた。まさか「九条の会」の闘士だったとは。
田丸美寿々と長野智子は口説けないだろうか。田丸美寿々もこのあたりで決断して川原亜矢子を見習って欲しい。このままだと、せっかくの美貌と才能を埋もらせて腐らせるばかりじゃないか。勿体ないよ。里中満智子と諏訪内晶子、出てくれないか。頼む。三跪九叩頭するから出てくれ。三顧の礼を百回やるから出てくれ。