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本と映画と政治の批評
by thessalonike4

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映画「ダ・ヴィンチ・コード」(2) - 米国による21世紀の新しい聖書
映画「ダ・ヴィンチ・コード」(2) - 米国による21世紀の新しい聖書_b0087409_12171823.jpg「ダ・ヴィンチ・コード」の世界を堪能する上で、この映画は単に一つのパーツに過ぎない。基本は小説で、そして奥には「レンヌ=ル=シャトーの謎」があり、その間に無数の解説本やら関係書の出版物の山があり、それらを読めば読むほど歴史的な想像力が膨らみ、豊かな世界を手に入れて遊泳することができる。一人一人がティービングの薀蓄に近づき、縦横無尽にキリスト教史をハンドリングし、新しい歴史認識の地平を眺望することができる。「ダ・ヴィンチ・コード」のデリバティブとして、その解説に最も成功していたのは、荒俣宏が案内人を努めたフジテレビの5/20の特別番組で、あの番組を見た方が、映画そのものを見るよりも「ダ・ヴィンチ・コード」の世界をよく理解できるのではないかとさえ思われる。牧瀬里穂がマグダラのマリアを演じたショートフィルムが挿入されていて、映画の中のマグダラのマリアよりも印象的だった。「ダ・ヴィンチ・コード」の本当の主役はマグダラのマリアだ。



映画「ダ・ヴィンチ・コード」(2) - 米国による21世紀の新しい聖書_b0087409_12173428.jpg「ダ・ヴィンチ・コード」について、フランスやイタリアの人々はどのような感想を持っているのだろう。私はその点に興味があるが、これまであまり情報がない。評価について暗中模索なのだろうか。私から見て、思想としての「ダ・ヴィンチ・コード」の特徴は二つあり、一つはそれがポストモダンのキリスト教史であるということと、もう一つはそれがアメリカンのキリスト教認識であるということである。「ダ・ヴィンチ・コード」がキリスト教の解体脱構築の営みである問題については前に述べた。正確には、「ダ・ヴィンチ・コード」がと言うよりも、そのタネ本である「レンヌ=ル=シャトーの謎」を始めとする最近のキリスト教研究そのものがそうであり、「ダ・ヴィンチ・コード」は単にその普及版であるに過ぎないが、キリスト教文化圏の人々が自己認識の大きなモデルチェンジに遭遇しつつある。死海文書以来の研究成果は、三位一体説の虚構を完全に突き崩し、虚構を受け入れてきた信仰の伝統を相対化させつつある。

映画「ダ・ヴィンチ・コード」(2) - 米国による21世紀の新しい聖書_b0087409_12174667.jpgそれは同時に人間イエスの再発見であり、カリスマイエスの再評価でもある。私の想像だが、ポストモダンとしての「ダ・ヴィンチ・コード」は、ヨーロッパの人々にとってもそれなりに積極的に受認できるものに違いない。で、もう一つのアメリカ主義のキリスト教認識の問題だが、この点についてはどうだろうか。私は、今回のダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」は、現代米国によるヨーロッパの捕捉と言うか、ある種の思想的な操縦と支配の意企を感じ取るのだが、そういう不吉な感覚は欧州の人々にはないのだろうか。「インディ・ジョーンズ」のシリーズにも若干そういう趣はあった。イラク戦争のときに、ブッシュ政権が開戦に反対したフランスやドイツを「古い欧州」と呼んで侮蔑を加えたが、そういう政治思想を媒介する宗教観、キリスト教観を米国人は持っていて、言わば欧州に対してキリスト教解釈の主導権を主張しているようなところがある。キリスト教に新しい価値と意味を加え、それを世界に宣教し普及するのは米国だという自己認識。

映画「ダ・ヴィンチ・コード」(2) - 米国による21世紀の新しい聖書_b0087409_12175565.jpgそれは具体的には二つの側面があって、一つは最近の米国の異常に原理主義的なキリスト教の台頭と浸透であり、イラク戦争前後のブッシュ大統領演説の宗教修辞と大統領選挙で見せつけた教会勢力の強さ(ジーザスランド)である。ヨーロッパの人々から見れば、米国内のキリスト教の現実は異常で不気味だろう。歴史の年月を踏み固めた人間理性の安定感がない。もう一つの側面は過激な新自由主義の資本主義で、米国の生き方は欧州のマイルドな方向性とは全く違う。米国にとっての信仰は、原理主義的なキリスト教と原理主義的な資本主義の二つである。ダン・ブラウンの中には原理主義的なキリスト教の性格はなく、その方面はポストモダンで欧州に接触接合しているのだが、原理主義的な資本主義という点では、まさにビル・ゲイツそのものである。ダン・ブラウンは文芸世界のビル・ゲイツだ。獰猛に稼ぐ。宗教史をカネにする。「ダ・ヴィンチ・コード」はMS-DOSであり、WINDOWSなのである。「天使と悪魔」がMS-BASICだ。

映画「ダ・ヴィンチ・コード」(2) - 米国による21世紀の新しい聖書_b0087409_1218565.jpgそして、「ダ・ヴィンチ・コード」は、実はこれは21世紀の聖書なのである。新しいキリスト教解釈であり、米国が世界に普及させるキリスト教の聖典なのだ。その意味するところは、欧州はキリスト教の解釈権と布教権を失ったという宣言であり、21世紀以降は米国がバチカン教会となって世界をキリスト教化(新自由主義化)するという宣告である。欧州否定であり、金儲け思想の絶対化である。実際に、狭い宗教世界でのキリスト教という問題で限って事態を見ても、「ダ・ヴィンチ・コード」の影響は本当に大きくて、この本でキリスト教の知識を得る人間が世界中に何千万人もいるはずだ。キリスト教に興味を持っていなかった人々がキリスト教に興味を持つ。持たざるを得ない。「ダ・ヴィンチ・コード」は古いキリスト教を否定しつつ、キリスト教に関心の無かった人々にキリスト教の知識を与えている。イエス・キリストを教えている。エバンジェライズしている。新しいキリスト教世界を作っているのだ。「ダ・ヴィンチ・コード」は米国が欧州に仕掛けた戦略的思想兵器である。

「ダ・ヴィンチ・コード」は米国による新しい聖書だ。
映画「ダ・ヴィンチ・コード」(2) - 米国による21世紀の新しい聖書_b0087409_12181528.jpg

by thessalonike4 | 2006-05-24 23:30 | その他
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