これまた昔の「ニュースステーション」の思い出だが、番組が始まってまだ一年目か二年目くらいの頃、都教組が大会で分裂した衝撃の報道があった。記憶も曖昧で、どういう問題なのか詳細は当時からよく掴めず、それを「都教組分裂事件」と呼んでよいのかどうかも自信がないが、凄惨という言葉がよく似合う野次と怒号の坩堝の集会で、何やら執行部側と反執行部側が深刻に対立して多数派工作を展開し、議事の主導権を奪うべく、双方の代議員が怒声を張り上げて敵の代議員を悪罵、糾弾していた。二派間の凄まじい誹謗と罵倒がカメラの入った会場の代議員席で行われ、そして怒声の応酬の中で一人の女性教師が、「やめてー」と悲鳴を上げながら号泣していた。その映像に、スタジオの久米宏も小宮悦子も、そしてテレビの前の私も慄然として息をのんだが、小林一喜が「先生がこんな事してちゃいけませんよね」とコメントしたかどうか。思い出しても暗澹たる気分になる重苦しい政治の映像だった。今でも日教組という言葉を聞くと、小中学校の頃の教師たちを思い出す前に、あの「都教組分裂大会」の怒号と泣き叫ぶ女の代議員の表情が先に頭に浮かぶ。
これまでの人生を政治から身を遠ざけて歩んできた私は、そういう方面の情報に疎く、あれはどういう権力闘争と分裂劇だったのか、今でも杳として分からない。一般人の常識で考えて、恐らく社会党系と共産党系の間の喧嘩だったのだろうなあとしか想像できない。日本の左翼はいつも同じ事を繰り返してきた。病気だと思う。何か運動が始まって、それがいい具合に進展していたら、政治的意図を持った誰かが必ずそれを妨害して、謀略的に造反グループを工作し、組織を分裂させ内部崩壊させようと策動を始める。「運営正常化」を口実にして、政治ゴロが巧みに感情的対立を煽り、人格攻撃を持ち込み、標的の指導者を失脚させるべく誹謗中傷を浴びせ、運動の推進機軸をガタガタに破壊する。そして破壊した後で党派が吸収支配しようとする。同じパターンが常に繰り返される。そういう左翼の悪性の病原菌を持った者たちが、リアルな政治闘争の現場を失い、九十年代は無手順通信の掲示板で暴れ、新世紀からはネットを玩具にして同じ政治遊戯(運動潜入、陽動撹乱、誹謗中傷、多数派工作、組織破壊)の再現の機会を探すようになった。ゴロツキ左翼。
国鉄が民営化され、電電公社も民営化され、総評が連合と全労連に分裂し、それに伴って教組も日教組と全教の二つに分裂した象徴的事件があの怒号の都教組大会だったと、そう振り返れば、それで正確な歴史認識になるのだろうか。左翼の遺伝病はどこまでも続く。左翼が遺伝病をネットで流行らせている間に、政権は教育基本法改正をマニフェストに掲げて総選挙を戦い、圧倒的支持を得て勝利、公約実現の国会を迎えた。無論、自民党による教育基本法改正は政治的意味としては戦前の教育勅語の復活である。それは竹下登も森善朗も隠さなかった。日本国憲法と教育基本法はペアであり、不可分一体の存在であり、それは大日本帝国憲法と教育勅語の表裏一体の関係と対を成す。戦後憲法の内面法規である教育基本法の改正は、保守にとっては半世紀の悲願であり、憲法改正の前に通るべき重大な里程標であり、夏の陣の前の大坂城の外堀埋立工事である。が、共謀罪ではあれほど喧騒をきわめたブログ世界も、教育基本法改正には粛として微音もない。民主党は率先して対案を出し、法改正を側面から援護している。反対しているのは異端二政党。
昨年の夏、「九条の会」にはもっとアクティブにネットで活動するように
訴え、護憲二党は一党に纏まって選挙戦を戦うように
言い、「九条の会」がそれを仲介斡旋することを
呼びかけた。結果はあのとおりで、護憲勢力は護憲する機会を自棄したが、自民党のマニフェストには憲法改正だけでなく教育基本法改正が明記されていた。民主主義の原理に従えば、教育基本法は与党の要求どおり今国会で改正されなければならない。選挙が終わった昨年の年末、私は
STOP THE KOIZUMI で年賀状プロジェクトを立ち上げ、同志と手配して政党と団体に年賀メールを発信、反小泉のネット運動への連帯を呼びかけた。教組関係なら、きっと教育基本法改正で危機感を感じているだろうから、反応が確実に返って来るだろうと踏み、言わばピンポイント的にパークを分厚くして、日教組と全教で百件以上の単組に年賀メールを発信した。リストなど手元にあるはずもなく、北海道から沖縄まで、Googleで手作業で一件一件HPを探してメールアドレスを採取したのである。結果は、豈に図らんや、一件のリターンも無かった。素人だから狙いを外したのか、単に無視されたのか。
が、この結果は私には多少とも衝撃で、今でも釈然とせぬものが残っている。いよいよ法改正が現実に国会審議となったが、果たして、私がメールを送った人々は、昨年のJPU(
全逓)の郵政法案のときのように、反対集会や国会議員への直訴を敢行しているのだろうか。教員や教組の反対の声がネットに少ない。ネットで教育基本法改正反対を言っているのは、見慣れた左翼の元気な面々で、言っている中身もどこかの新聞の記事表現と同じような印象がある。共謀罪ほど熱くない。朝日新聞を読むと、ほぼ民主党の主張どおりで、改正には反対しておらず、愛国心については両論併記のみで、今国会は時期尚早だから成立は秋に回せと言っている。そんな感じで教育基本法改正の政治が私の目の前を通過している。愛国心教育とは、要するに戦時下社会の教育現場の体制化と合法化である。本当に教育基本法改正を阻止するつもりだったら、昨年の総選挙で手を打たなければならなかったんじゃないのか。そして左翼ブロガーは、与党の法改正を支援している民主党をこそ熱烈批判しなくてはいけないんじゃないのか。次の選挙で民主党の票が減るぞと脅した方がいいんじゃないのか。
その方が、今のこの時点なら、教育基本法改正反対の一般論を唱えるよりも効果があるんじゃないのか。教育基本法については、私は辺見庸と同じ実存の態度しかできない。改正反対の者にとって昨夏の総選挙が最後の機会だった。そして病気を根治しないかぎり、左翼は政治には勝てない。