共謀罪反対のブログの喧騒を覗き見ているうちに、辺見庸を思い出し、辺見庸がイラク戦争反対デモに参加したときの様子を書いたくだりを思い出した。辺見庸を初めて見たのは三年前の6月11日の講演会で、ひょっとしたら体が季節を覚えていて、記憶を蘇らせたのかも知れない。確かに辺見庸は梅雨の季節の読書が似合う。ちょうどサンデー毎日の連載を終えた直後で、またイラク戦争の開戦から三ヶ月後の時期でもあり、辺見庸の人気が沸騰している絶頂期だった。講演会の会場はほぼ満席で、講演が終わった後、会場外のロビーでサイン会があり、私は真っ先に本を抱えて辺見庸の前に並び立った。「先生、お疲れさまでした。素晴らしいお話をありがとうございました」。辺見庸の前でなら、この私でも簡単にこれくらいの言葉が出る。辺見庸はニッコリと笑って裏表紙に署名を入れ、右手を差し出して握手してくれた。柔らかい右手で、言葉は無かったが、著者と読者の間の確かな感動が残った。私の「永遠の不服従のために」の裏表紙には、「
独考独航/辺見庸」とある。独考独航。そうだった。
「ジエイタイハヘイ、ハンターイ」「ジエイタイハ、シヌナー」「ジエイタイハ、コロスナー」「コイズミハ、ケンポウヲ、マモレー」。シュプレヒコールに合わせて太鼓が鳴る。銅鑼のようなものも打ち鳴らされる。せっかくだから、私もシュプレヒコールに唱和しようとするのだけれど、なぜか喉が大きな発声を拒む。私は小声で「ジエイタイハヘイ、ハンターイ」と叫ぶ、というより、棒読みの調子で話す。独語する。卑屈な調子で「ハヘイ、ハンターイ」とつぶやく。私にはいま「陰熱」もなければ滾る怒りの血もない。怒りが底のほうへ、底のほうへと沈んでいき、かわりに恥ずかしさが体の奥からじわじわと広がってくる。そして、私は徐々に気がつく。どこまで歩いていっても、この行列からは金輪際なにも出来しないこと、そのことに己が退屈しはじめていることに気づく。そう、パレードは蝿一匹殺すわけではないのだ。断じて粗暴にならないようにと、皆が誓いあったかのように。 (辺見庸 「抵抗論」 P.16 毎日新聞社)
反戦デモに参加したときの情景を切り描いたものは、これ以外にもあったと思うが、私が共謀罪ブログ記事を読みながら思い出したのは、辺見庸のこのタッチアンドフィールだった。どれを見ても、「居酒屋で見つめ合ったら」とか、「ちょっと目配せしただけで」とか、同じ事が書いてある。要するにシュプレヒコールを上げているのであり、いちばん騒がしいのが、もっと高い声でシュプレヒコールを上げるように音頭を取っているのであり、声の小さいのや黙っているのを見つけては、「右に倣え」を強要しているのである。「金輪際なにも出来しない」とは私は思わないが、共謀罪でも私が辺見庸的実存主義の気分になるのは、このシュプレヒコールのブログ政治には欺瞞があり、その欺瞞とは、与党案に対して修正案で妥協を図りながら、国会外では「共謀罪廃案」のポーズで「いい子」になっている民主党であり、共謀罪反対を絶叫しながら、一言も民主党批判を言わないデモ隊の連中への不信である。彼らは、民主党の修正案が通れば、本当に言論の自由や思想信条の自由が守れると思っているのだろうか。
キョーボーザイ、ハンターイ。共謀罪には自民党の支持者でさえ反対している。法案審議は条約批准のリセットのレベルから再検討してよいのであり、強行採決などあり得ない話だ。何故そのような与党案に野党の民主党がすり寄って行く必要があるのか。巷間言われたのは、細田博之の国対の無能だったが、どうやらそれは本当は違う。共謀罪の脅しは擬似餌であり、教育基本法改正案と国民投票法案を通すための巧妙な取引材料なのではないか。二週間ほど前のテレビのニュースでは、小沢一郎は今国会では国民投票法案を通さない主旨の発言をしていた。小沢一郎の今回の姿勢を見ると、赤坂の料亭で夜な夜な自公の幹部と民主の幹部が国対取引(法案取引)の宴会をやっているようには見えない。が、政府側の共謀罪の強行姿勢には背景があり、私の想像では、細田博之を安倍晋三がせっついているのではなく、米政権と国務省が安倍晋三をせっついているのに違いない。これまで二回廃案になっていて、今国会では必ず通すと(裏の
年次報告書で)約束していたのだろう。
米国との約束は必ず履行しなくてはいけない。そして民主党の修正案の歩み寄りは、米政権へのアピール(媚売り)のように私には見える。民主党が「いい子」にならなければならないのは、日本の国民にだけではなく米国に対しても必要なのだ。米国が承認しなければ小沢一郎は政権につけない。政権交代できない。現在までのところで見れば、電通と塩崎恭久と山本一太が米国側に事情を説明、法案成立のデューを来年以降まで延期してもらい、それを細田博之が受けて、枝野幸男や菅直人と赤坂で交渉、教育基本法改正の今国会通過と国民投票法案の臨時国会成立を取引したところではないか。三法案をめぐる民主党の動きは奇妙で、フラクタルで、どういう力学でどこへ動いているのかよく見えない。国民に対して、共謀罪は廃案にしたから教育基本法と国民投票法は我慢しろと言うのだろうか。とすれば、シュプレヒコールの結果は、愛国心教育の強制と憲法改正の秒読みということになる。民主党をピンポイント・ドライブするために、民主党の三法案への対応を内側から正確に分析できるブログが欲しい。
独考独航。そうだった。講演会のあと、私は辺見庸に手紙を書き送り、返事の代わりに篆刻と署名の入った「いま、抗暴のときに」を頂戴した。そこにも「独航」と書されている。一人で考え、一人で航海するのだ。