本と映画と政治の批評
by thessalonike4
カテゴリ
チベット暴動と北京五輪
ガソリン国会と後期高齢者医療
新自由主義と福祉国家
ワーキングプアと社会保障
山口県光市母子殺害事件
福田政権・2008年総選挙
米国大統領選挙
田中宇と世界金融経済
イージス艦衝突事故
イスラエルのガザ侵攻
岩国市長選挙
防衛省疑獄事件
大連立協議と小沢辞任
民主党 ・ 2007年参院選
安倍政権
憲法 ・ 皇室
戦争 ・ 昭和天皇 ・ 靖国問題
韓国 ・ 北朝鮮 ・ 拉致
共謀罪 ・ 教育基本法改正
村上世彰インサイダー事件
オー・マイ・カッシーニ
ネット市民社会
丸山真男
辺見庸
奈良紀行
その他

access countベキコ
since 2004.9.1


















辺見庸と文学の時代 - 東大社会科学の崩壊と早大文の説得力
b0087409_1536377.jpg梅雨の季節になると辺見庸に心が向かうのは、自分の中ではやはり確かなことらしい。梅雨寒の湿りきった空気の中で、心が内側に向かい、ネットやブログの情報ではしっくり埋まらず、辺見庸の文章の世界に浸る。深層世界で辺見庸と梅雨の季節がくっついているのは何故だろうかと考え始めたら、何となく思いつく理由がありそうで、その一つは、「永遠の不服従のために」の冒頭に置かれた小編「裏切りの季節」の表象であり、もう一つは、「いま、抗暴のときに」の中にある傑作「日常という化装」の残像である。両方とも実に華麗で秀逸な作品で、辺見庸の世界を存分に堪能させてくれ、読後に期待以上の満足と興奮を与えてもらえる。一言一句、一行一文が芸術的に素晴らしい。「裏切りの季節」は、丸山真男の「知識人の転向は、新聞記者、ジャーナリズムの転向からはじまる。テーマは改憲問題」という言葉をキーにして、現代におけるマスコミの「裏切り」を、アジサイの花の色模様の変化と交錯させてパラレルに説き語る小論で、その文章の企画と構成の天才、絶妙な筆致と説得に恍惚とする。



b0087409_15364743.jpg「日常という仮装」は、「いま、抗暴のときに」の本の中でも特に印象的な一品で、太宰治論である。太宰治の「満願」を完璧に解読しつつ、一九三○年代という時代と現代とを重ね合わせて読者に示している。文学批評であると同時に見事な時代分析であり、すぐれた知識人批判の議論となっている。で、桜桃忌が6月19日で、桜桃忌のニュースをテレビで見るときは、カラフルな傘をさした女たちが墓前に集まっている映像が常であり、太宰治には梅雨のイメージが纏わっている。その二つの作品の感触と残景が、私の中で梅雨の季節感と辺見庸の世界を結びつける潜在要素になっているように思われる。辺見庸の文章はセンス抜群で、常にカタルシスとコンプレックスを感じさせてくれる。現代日本で最高の日本語の文章を書けるのが辺見庸で、すなわち日本の知識人の中で、現存する人間としては疑いなく最高峰であろう。このことは本当はもっともっと多くの海外の人々に認められてよい。現代日本を代表する知識人の評論として、翻訳本が売れて、諸外国の図書館に定番として置かれてよい。

b0087409_1537774.jpg私は辺見庸を知って、初めて文学者という概念に中身を感じて積極的な敬意を持つようになり、そして文学の偉大さを思い知らされた。それまでの私は、夏目漱石にせよ、宮沢賢治にせよ、単に過去の偉人であり、文学者に対して本当の意味での尊敬を払ってはいなかったのだ。文学と文学者がどれほど人生や世界に大きな影響力と需要を持つかを、私は長い間知らなかった。周囲にも(女性は別として)文学部出身という人間はおらず、影響を受けることはなかった。社会に出てから影響を受けたのは、これまでは工学部出身の人間が多かった。文学の力の大きさに頭を垂れるようになったのは、この五年かそこらの出来事で、特に辺見庸との出会いが大きい。現代は文学の時代であり、文学者が力を持つ時代である。法学部や経済学部の人間が力を失い、影響力を失った時代だ。覚悟と諦念の時代である。心ある者、知識ある者が、ウェーバー的な「現世の合理的改造」の方向に力を尽くして達成を得ることができず、生の意味を内側に持たねばならない。人との出会いも内側の世界のためにある。

b0087409_15432179.jpg心の内側の世界を築き豊かにすることしか知識の意味がない。そういう時代のカリスマが辺見庸なのだ。もう少し言おう。このことには大きな社会科学的意味がある。法学部と経済学部とは何か。つまり東大だ。国立大学である。東大を中心とする国立大学のアカデミーが知的な生産力と影響力を失い、価値と権威を失ったのである。東大とは何か。霞ヶ関の官僚だ。虎ノ門の特殊法人の理事だ。日々何をするでもなく、ルーティンを回し、数字を弄り、ハンコを押し、税金を貪り取り、銀座で飲み食いして遊ぶしか能がない浪費貴族である。最近は英語の読み書きと会話を覚えて、米国の年次報告書要項の必達と遵守だけは目の色を変えて真面目にやっている。法学部の知識も経済学部の知識も無意味になった。伝統的な社会科学はお払い箱になった。日本の国立大学は終わったのであり、だからロースクール(法科大学院)やビジネススクール(株屋学校)で生き残ろうとしているのである。でも、人は、日本人は、銭儲けだけの知識だけで生きていくことはできない。それができるのは米国人だけだ。

b0087409_1537163.jpg生きる意味を見つけるためには、それを探して掴むためには知識と教養の世界が要る。思想が要る。バブルが崩壊した後の廃墟のような日本で、そういったインテリジェンスを日本人に提供してくれたのは、文学部の人間だった。早大文学部が提供した。名前を言おう。村上春樹、五木寛之、辺見庸、この三人である。この三人がカリスマだった。日本人に生きる意味を教え、生きる勇気を与えた。東大法学部から早大文学部に変わったのが、世紀末から今世紀初頭の日本の思想である。説得力は文学部が持つようになった。生きる意味は早大文が教え、銭の稼ぎ方は米学(ロースクール・ビジネススクール)が教える。そういう二元体制になった。知識の体系が二元化された。かつてそれを一元的に押さえていた東大(岩波書店)は立地を完全に掘り崩されて、影響力と説得力を失い、貴族化し遊戯化した。そのアカデミーにおける残滓が、ポストモダンの社会科学である。東大社研。山之内靖と上野千鶴子と小熊英二だ。左翼の遊戯化と貴族化と官僚化の真相である。山口二郎も早野透も船橋洋一もその線にある。官僚貴族。

そして私は私で、社会科学の挑戦はするけれど、したいけれど、せざるを得ないけれど、辺見庸的実存主義の意味と事情はよくわかる。現代が文学部の時代だということはよくわかる。認める。
b0087409_15372885.jpg

[PR]
by thessalonike4 | 2006-05-29 23:30 | 辺見庸
<< 預言者のオーラル・パフォーマ... 昔のIndexに戻る 辺見庸の「独考独航」 - 民主... >>


世に倦む日日
Google検索ランキング


下記のキーワード検索で
ブログの記事が上位に 出ます

衛藤征士郎
八重洲書房
加藤智大
八王子通り魔事件
吉川洋
神野直彦
サーカシビリ
敗北を抱きしめて
苅田港毒ガス弾
道義的責任
可能性の芸術
青山繁晴
張景子
朱建栄
田中優子
小泉崇
アテネ民主政治
二段階革命論
影の銀行システム
特別な一日
ボナパルティズム
鎮護国家
三田村雅子
小熊英二
小尻記者
古館伊知郎
本村洋
安田好弘
足立修一
人権派弁護士
反貧困フェスタ2008
舩渡健
エバンジェリズム
ワーキングプアⅢ
新自由主義
国谷裕子
大田弘子
カーボンチャンス
秋山直紀
宮崎元伸
守屋武昌
浜四津代表代行
江田五月
馬渕澄夫
末松義規
平沢勝栄
宮内義彦
田勢康弘
佐古忠彦
田岡俊次
末延吉正
横田滋
横田早紀江
蓮池薫
金子勝
関岡英之
山口二郎
村田昭治
梅原猛
秦郁彦
水野祐
渓内譲
ジョン・ダワー
ハーバート・ノーマン
B層
安晋会
護憲派
創共協定
全野党共闘
二大政党制
大連立協議
民主党の憲法提言
小泉靖国参拝
敵基地攻撃論
六カ国協議
日米構造協議
国際司法裁判所
ユネスコ憲章
平和に対する罪
昭和天皇の戦争責任
広田弘毅
日中共同声明
中曽根書簡
国民の歴史
網野史学
女系天皇
呪術の園
執拗低音
政事の構造
政治思想史
日本政治思想史研究
ダニエル・デフォー
ケネー経済表
マルクス再生産表式
価値形態
ヴェラ・ザスーリッチ
故宮
李朝文化
阿修羅像
松林図屏風
菜の花忌
アフターダーク
イエリネク
グッバイ、レーニン
ブラザーフッド
岡崎栄
悲しみのアンジー
トルシエ
仰木彬
滝鼻卓雄
山口母子殺害事件
偽メール事件
民主主義の永久革命
ネット市民社会