
小説「
世に棲む日日」の中で特に印象的なのは、冒頭に登場する玉木文之進の切腹自害の場面である。この件は、玉木文之進が少年松蔭に折檻教育で滅私奉公の武士道精神を注入する強烈な逸話が語られた直後に登場する。ここから読者は、一気に小説の世界に心を惹き込まれ、吉田松陰と人格教育という問題を考え続けながら、革命長州の歴史の現場に立ち会って行くことになる。玉木文之進はこの小説全体の言わば隠れた主人公の存在であり、革命長州の「狂気」を読み解く重要な鍵である。司馬遼太郎の設定と説得はそのようになっている。読者は常にこの男の個性を念頭に置き、この男の影を見ながら物語を読み進めなければならない。この玉木文之進が、明治九年に萩の乱の黒幕として責任をとって切腹するところから物語の幕が開く。その切腹の情景が異様なのだ。人には様々な愛と死のパターンがある。が、玉木文之進のそれは、大人の我々に何事かを考えさせる。
どうやら文之進は内々この乱に関係していたような形跡があるが、しかし表むきは、「こういう反乱の徒を出したのはわが教育の罪である」とし、明治九年十一月六日、先祖の墓のある山にのぼり、自害した。介錯は、四十歳の婦人がした。松蔭が愛していたいちばん上の妹で、お芳と言い、児玉家に嫁いでいた。お芳はその後も長命したが、そのときのことを斉藤鹿三郎という松蔭研究家のたずねに応じ、こう追憶している。この日、叔父は私をよび、自分は申し訳ないから先祖の墓前で切腹する、ついては介錯をたのむ、と申されました。私もかねて叔父の気性を知っていますから、おとめもせず、お約束のとおり、午後の三時ごろ、山の上の先祖のお墓へ参りました。私はちょうど四十でありました。わらじをはき、すそを端折って後にまわり、介錯をしました。そのときは気が張っておりましたから、涙も出ませんでした。介錯をしたあとは、夢のようでありました。 (文春文庫 ① P.25-26)

これだけなのだが、そして読者の勝手な想像なのだが、何となく作者が行間に何かを言いたげであるように感じられて仕方がない。どうして男ではなく女に首を斬らせたのだろう。玉木文之進ほどの人物であれば、門弟も多くいただろうし、わざわざ特別に婦女子を介錯者に選ぶ必要はなかったはずだ。という問題を鬱々と考え始めたのは、この五年ほどのことで、それは同時に玉木文之進への小さな嫉妬とセットになっている。小説を最初に読んだときは単に衝撃のみで、この革命家の生涯を描く物語のプロローグに相応しい逸話の挿入であり、作品の企画と構成の素晴らしさに感銘を受けただけだった。どこかで書いたが、切腹という死に方を持っていた武士は幸せだったと思う。人はいつかはどこかで死ぬ。癌になって病棟で悶え苦しんで死ぬ。死ぬことは同じだ。切腹は武士にとって名誉であり、腹を切って死ぬのが侍だった。それは勇気が要ることで、勇気と覚悟がなければ腹は切れない。

それが司馬先生の「微弱なる電流」だが、そうやって死ぬときは、最後の我儘として、愛した者の手で首を刎ねられたいと思った人間がいても不思議ではないように思われる。この小説の衝撃のプロローグには、武士の狂気と血生臭さと同時に、その奥に微かなエロティシズムのようなものが暗示されている。普通であれば、それほど簡単に介錯を引き受けるだろうか。そのように考えたとき、死に方として、玉木文之進の場合は、男としてこれ以上幸せな死に方はないように思えてくるのである。同じ例はないだろうかと考えると、一人の人物が思い浮かんできて、それは市ヶ谷で割腹自殺した三島由紀夫である。三島由紀夫を介錯した森田必勝と三島由紀夫は特別な関係だったと言われている。この事件はクーデター未遂事件であると同時に、二人の心中事件でもあった。三島由紀夫はいつからそのような趣味を持っていたのだろう。詳しくは知らないが、その性趣味は武士の問題と無関係ではないのではないか。

戦闘者である武士は、戦場に女を同伴するわけには行かず、必然的に男色が日常の性生活となった。例えば犬千代と呼ばれた若い頃の前田利家は、屡々信長に呼ばれて寵愛を受けていて、当時は主従がそうした関係を持つのは自然であったようである。戦国の武士は明日の命の保障もない毎日を戦場で生きていて、そのためか性のあり方も人間的と言うよりも動物的な印象が強い。最後は森蘭丸が寵愛を受けた。蘭丸だけは、単なる性欲の処理の対象というよりも、もう少し人間的な愛の要素が入っているように思われる。信長が生涯で最も愛した者は森蘭丸だったということになるのだろうか。炎に包まれた本能寺の中で、信長の遺骸を焼却処理したのは蘭丸だったのだろう。三島由紀夫の死を考えていると、そこに信長と蘭丸のイメージが重なってくる。その信長の後を継いだ秀吉は、信長的な戦闘者の性ではなく、今日の我々と同じただの女好きで、欲した女を次々と権力で手に入れた。秀吉が最も普通の男に見える。

戦国三雄のうちの最後の家康は、これは前二者とはまた一味違って面白いところがある。津川雅彦が演じた「葵-徳川三代」でも出ていたが、居間にずらっと七人から八人の側室を並べて、皆で楽しそうに歓談している。ジェンダーの観点から見ると大いに問題を感じる場面だが、そういう家康には「艶福家」という称号が与えられて、人間の生き方として決して非難の対象にはなっていない。秀吉は出身が下賎であり、しかも生殖能力に乏しく、家康のように性カリスマを誇ってハーレム共同体を構築するという具合にはならなかった。最近、ブログの中でも家康的なハーレム共同体を構築して艶福カリスマを誇示している例があり、なるほどブログはこのように応用するものかと感嘆させられる。折り返しを迎えた大河ドラマはこれからポスト信長の時代に入る。信長的性は遠い。秀吉的性や家康的性は共感や羨望はあるが美しさを感じない。もし玉木文之進の場合が想像のとおりであったなら、最近の私はこの形に美しさと憧れを感じている。