
一年前の
今日、衆議院が解散されて、あの生涯忘れられない真夏の選挙戦が始まった。私のこれまでの人生の中で最も印象深い総選挙だった。その日の朝、官邸に入る小泉首相は決意した戦闘モードの厳しい表情に固まっていて、官邸詰めの記者が、一階ロビーを早足で横切る本人に向かって「総理、解散ですか」と問いかけたのに対し、右手を上げて小さく頷き、それを見た記者たちから「おーっ」と喚声が上がった。「解散だ」。ほどなくして参院本会議場で郵政民営化法案の採決が行われ、結果は否決。議場正面の雛壇に一人で着席していた責任閣僚の竹中平蔵が、苦虫を噛み潰した顔で議場の議員に一礼した。そして粛々と手続きが行われて衆院本会議が開かれ、熱気と興奮のうちに議長の河野洋平から解散が宣言された。その瞬間の私の気分は「
勝った」という高揚の極にあり、議場の「万歳」の声を(資本論的な)新自由主義「最後の鐘が鳴る」如くに聞いていた。NHKの国会中継のカメラは、四十代の半ばを迎えて昔よりずっと美しくなった野田聖子の姿を映していた。

私は、小泉首相が「郵政民営化に賛成か反対か国民に問いたい」と右手の人差指を突き出した解散演説を直接には見ておらず、今でもその演説の直後に支持率がハネ上がったという「神話」を信じることができない。電通にやられたかという感慨しか持てないでいる。郵政法案が衆議院で僅差で可決され、造反する亀井派と小泉首相との間で激闘の政局になり、永岡洋治が自殺を遂げた前後は、テレビは必ずしも郵政民営化賛成一辺倒ではなかった。亀井静香の民営化反対論は常に要領を得ず、マイナス効果の影響でしかなかったが、
村井仁がNHKのテレビで滔々と述べた反対論は論理的かつ説得的で、当時のNHKの世論調査では(一瞬だったが)僅差で「民営化は急ぐべきではない」が「今国会で法案成立を」を上回っていた。嘗ての細川政権誕生時を彷彿させるような自民党分裂選挙であり、誰が見ても小泉自民党の劣勢は明らかだった。私はミネルバの梟を目指し、郵政民営化の暴露と新自由主義批判の論陣を張って、小泉自民党を敗北させるべくネットの夕暮を飛翔した。

与党の圧倒的優勢を確信したのは解散から一週間後のことで、郵政民営化の賛否矛盾をマスコミを動員して衝き上げる自民党の戦術に対して、次第に民主党が後手に回り、争点を郵政民営化から他に動かすことができず、年金も財政も外交も争点にすることができず、自民党の素早い攻勢にズルズルと押し寄られて
民主党は敗北を決定的にさせて行った。勝負は確かに先手必勝だが、民主党の対応は常に鈍く、意思決定が遅く、菅直人と小沢一郎と岡田克也の三人の間で意思疎通が十分行われているように見えなかった。誰がリーダーなのか判然とせず、小沢一郎は筑紫哲也のNEWS23に出演して勝手な事を言い、岡田克也が言い出す前に「郵政民営化に賛成」へと方針転換を言明していた。郵政民営化への対応については三人の中で(初期の)岡田克也だけが反対論の正論を吐いていたが、支持率の数字が好転しないのを見ながら、民主党は郵政民営化賛成へと舵を切り、小泉首相が仕掛けた罠にまんまと嵌って、敗北の道を突き進んで行った。小泉首相のアジ演説には迫力があった。

侠客の怒気と啖呵を思わせる言動や態度が演出効果を上げ、定職と定収を持つ公務員への憎悪を煽ったワンフレーズポリティックスが、真夏で頭がポーッとして、喧騒する夏祭りのイベントショーを欲求していた観客有権者の需要心理を捕捉した。新自由主義の経済政策の進行の中で定職と貯蓄を失いつつあった日本の没落中産層は、古代ローマの没落市民のように過激で残酷なコロセウムの見せ物を追い求め、理性を喪失してマスコミにただ操られるまま、郵便局職員を失業に追い込み、僻地弱者住民に不便を強制するサディズムの快感に涎を垂らして狂喜していた。が、しかし、一年間の経験を振り返れば、この同じ負の心性は反政権の側にも共通して存在している。禁欲理性を喪失した暴力の衝動は、むしろ左翼の側において激越で執拗である事実を思い知らされたし、体制に組織的に抵抗する術を失った左翼が、ネットのゴロツキ集団となって手近な標的を代償として攻撃する嗜虐性に驚かされた。記事では尤もらしい主張を並べながら、他所のコメント欄で誹謗中傷を煽り、嫌がらせを自慢していた。

今の日本の政治の現実があり、政治の中にいる日本人のレベルがある。立場の左右は関係ない。この一年ちかく、いわゆる「
B層」の問題を考えてよく分からなかった。小泉自民党に一票を投じたマスの存在について論理的な理解ができず、頭を悩ませていた。それはすなわち、「没落させられる者が没落させる者を熱狂支持する」ところの倒錯した
擬似ボナパルティズムの主体層だが、概念としてはその言葉で納得できても、現実として本当に21世紀の日本にそのような範疇を認められるのか、実在を訝しむ思いはあったのである。「B層」というのは人間の問題であり、精神のあり方の問題だ。それへの現象的理解に辿り着けたのは、実に逆説的ながら、反体制や反政府を標榜しながら、嫉妬と劣情と誹謗中傷の汚泥の園で阿片窟に屯す者たちの生態を、そのようなものがあるはずがないと思ったところに発見したからだった。総選挙が終わり、改革ファシズムが絶対権力になろうとしたとき、それに反対する
ブロガー同盟を立ち上げたが、この中から近い将来何人か国会議員を輩出したいと抱負を述べた記憶がある。思いが通じたのか、
同志の一人が来夏の参院選の民主党公認候補に
選出されることになった。晴れの門出を祝福したい。