土曜大工でスタイルシートを試作した。と言っても、工夫したのは投稿欄のヘッダー部分にワンポイント画像を配置した
点だけで、他には特に凝ってアレンジした部分はない。サイドバーと投稿欄のフレームを女性的なイメージで丸くしたかったが、スクリプトを書き入れるだけでは駄目で曲線の画像を作る必要があった。手元のツールでは少し難しい。ブログを作り始めると常にphotoshopという問題で挫折する。小沢一郎の服を見て気がついたが、紺と赤と白のシンボルカラーでコーディネイトしている。単にそのときの間に合わせで写真を撮っているのではなく、写真を宣伝に使えるように配慮しているわけだ。さらに表情も同じで、写真用の、いわば宣伝用に規格化されたマスクを見事に作って撮らせている。そう言えば、岡田克也も前原誠司もテレビに出るときは白のシャツに赤のネクタイ姿だった。前原誠司は二色に加えて黒だった。前原誠司の黒を小沢一郎は青に変えた。なるほど、と頭の中にルックアンドフィールの基調イメージが思い浮かんで、スキンのカスタマイズを試みた。
8月8日に公認の発表があり、それから十日経ったが、情報発信のスタイルや内容に特に変化がなく、国会議員選挙の候補者らしい印象が若干弱い。準備に時間がかかっているのだろうけれど、戦略的には全国の耳目が集中するプレス発表のタイミングに合わせて情報発信のスタイルも一新した方が効果があった。他の
公認候補たちは情報発信を合目的的にアラインしていて、言わば定石を踏んでいる。山口県は狭い地域で、すでにこれまでの住民運動の経験で名前と顔を広く知られた存在ではあるのだろうけれど、一般の人間の情報行動のパターンとしては、テレビでニュースになった事象や人物については、直後にネットで追加情報を詳しく知ろうとする。例えば、テレビで「
ハウルの動く城」が放映されると、放送日の夜をピークとして前後の一週間にブログのアクセス数がハネ上がる。テレビでプロ野球の結果は知っていても、朝の駅売のスポーツ紙を買って活字を拾い読む。大きく分ければ、プレスはawareness獲得の手段であり、サイトはpreferemceをメンテする手段である。
知名度に劣る新人候補が一騎討ちして有名現職に勝つためには、マスコミでawarenessを上げねばならず、同時にネット情報でconvictionを固めなければならない。立場と状況と戦略ミックスを考えれば、なるべく早く動きを起こして欲しかった。世間が注目するときに有効な情報を発信しなければならない。小沢一郎は全ての行動を来夏の参院選にフォーカスしていて、テレビに出るときは必ず参院選の話をして政権交代を訴求する。世間の関心を参院選に方向づけ、特に一人区の勝敗に注目を喚起するべく論議を導いている。だから、小沢一郎と民主党がそういうプロモーションをする機会に合わせて、マスコミが報道する場面に合わせて、時を逸することなく、候補者としての政策や政見のメッセージ発信をシンクロナイズさせなくてはいけない。一年間は長いようで実は短い。有力現職はすでに十年間の実績があり、評価の蓄積があり、政策と政見が浸透して基盤固めされている。サラブレッドの将来性と政策能力もしっかりブランド定着していて、安倍政権誕生でプラスイメージはさらに強化増幅される。
訴えたい政策や主張は多くあり、①格差是正と新自由主義批判を強く訴えなくてはいけないし、②地域経済と財政再建をどうするか本格的な理論(三位一体改革批判)を提示しなくてはいけないし、③住民投票と民主主義の意義も専門家として説得しなくてはいけないし、④憲法と戦争の危機の問題も分かりやすい言葉で見解を述べなくてはならない。⑤関心の深い自然エネルギーの問題も政策提言したいだろう。⑥長年研究を続けてきた(はずの)男女共同参画についても大胆な政府批判と政策提言を聞かせていただきたい。やらなくてはいけない事は沢山あり、説得する文章と演説を構成するのには時間がかかり、それを読んでもらい、聞いて納得してもらうためにはさらに時間がかかる。選挙戦が近づけば、そういった柱の政策の個々についてゆっくり議論する時間はなくなる。党が設定した政策とフレーズのリフレインや、マスコミが設定した争点に対応したパッシブな政策言論で時間を奪われる。投票日が近づけば近づくほど政治はエモーショナルな局面に入り、理性で説得する環境が失われる。今だからそれができる。
時間を無駄にしないことだ。それと、自分がどれだけ山口県を愛しているか、防長二国の歴史と文化を愛しているか、過剰なほど強く、どこまでも激越に訴えることだ。一生に二度ないこの機会を、ふるさとである山口県を愛する言葉と態度で埋めつくして、この県に暮らし生きる人々に誇りと希望を訴え、共感を得ることである。英国では候補者は出身地から切り離されるとか、国政は地域の利害とは無関係だとか、小選挙区制ではそれが道理だとか、有害で無意味な二大政党制イデオロギーを政治学者が散布している。それは間違いだ。そのイデオロギーは新自由主義のリバタリアニズムと内面的に繋がってる。人は地域で生まれ育つのであり、生活の基盤も地域で持つ。アトム化された日本国民ではない。地域の文化を生にインボルブした存在だ。地域を無視した政治などあり得ない。鈴木宗男の主張が正しい。新自由主義は地域を破壊し無化する。新自由主義に対抗して政治する者は、燃えるような郷土のナショナリストであるべきだ。実際のところ、山口県を愛する言葉を発するのは、知事選でも意味がないし県議選でも意味がない。国政選挙だから意味がある。
山口県の歴史、それは革命家(志士)の歴史である。司馬先生に従って言えば、近代日本を生み出した革命のエネルギーこそ山口県の誇りである。安倍晋三の山口県から革命して、東京の新自由主義政権を倒幕せよ。