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加藤周一『吉田松陰と現代』 - 志士の原罪意識と「松陰先生」
b0087409_1342417.jpg下は二年前に萩市で行われた加藤周一の講演をブックレットに収めたもので、松陰の思想と魅力について加藤周一の表現で分かりやすく纏められている。同じ権威でも司馬遼太郎なら受け付けないが、加藤周一なら襟を正して聴くという人間(左翼)が少なくなく、これを紹介するのは意味のないことではないだろう。三十年前に書いた『日本文学史序説(下)』では、松陰の思想に対して「独創性がなく」「非現実的」だという言葉を与えていた加藤周一が、三十年経ってほとんど全面肯定に評価を変えている。三十年前は松陰の思想の「非現実性」を批判していたが、今回の講演では逆に「現実主義」が評価されている。これを読みながら思ったことは、時代の変化という問題であり、加藤周一が松陰的人物の出現を狂おしく求めているという一事である。加藤周一でなくても気分は誰しも同じだろう。時代が煮詰まってきた。「九条の会」に連なる末端会員の中には「護憲は長い道のり」などと悠長な展望を言う向きもあるが、安倍晋三が政権構想の柱として全面改憲を明確に掲げたことで、道のりはそれほど長くないという現実が多少見えてきたかも知れない。



b0087409_13431173.jpg松陰の立場は多くの青年層に支持されていました。指導者としての彼の判断がなぜあれほど尊敬されたのか、なぜあれほど魅力を発揮したのかということには理由がなければなりません。思想の枠組みは大勢の人と同じようなものです。しかし松陰の場合には、それがほとんど人格の全体に浸透していて、弟子たちや周りからみると彼が言った改革の要求が、青年層の政治への参加要求の象徴みたいなものになった。あるいはその人格化みたいなものにみえたのでしょう。ヨーロッパ語でいえばpersonification、ただ理論をしゃべってるだけじゃない。まして自分の利益のために何か言ってるんじゃない。そうではなくて、いま言った思想、どうしても改革するのはいまだ、われわれがやるほかないという信念、それは燃えるような信念だったのでしょう。その熱い信念は聞いている人たちによく伝わった。伝わりすぎるくらい伝わった。(中略)松陰には、思想の内容の問題と、それが信念と化して情熱的に体現化していたという面がある。松陰の魅力?体現化された政治的情熱ですよ。(「吉田松陰と現代」P.14-16)

b0087409_13432273.jpg松陰は正しかったと思います。彼のおかれた状況のなかで、いきなり「攘夷」と言ったって実行できない。とにかく開国して、そして力を充分に持ったら、だんだんに独立できる。力というのは軍事力だけではなくて経済力、もっと大事なのは統一国家であって、自分自身の歴史的文化に対して自覚的な国民の形成、これがいちばん基本です。いま松陰ふうの考え方をする人間はそんなに多いわけじゃない。いくらでもいるというものではありません。だから尊重する。彼はいまでも偉い先生だと、すくなくとも私は思います。『松陰全集』のなかには現在の世の中で私たちが生きていくうえで直接に勇気づけるような要素があります。それは独立の精神であるとか、突拍子もない空想的なことを言うのではなくて現実的にどういう具体的なプログラムがありうるかということを執拗に追求することとか、しかもそれを勇気をもってやるというようなことは、いまでもそのまま通用することではないでしょうか。(中略)われわれの先祖のなかの最も偉大な教師の一人です。しかも彼は二十代です。(同 P.33-34 P.37)

b0087409_13433161.jpg加藤周一の危機感の深さは察するに余りある。生きている間に改憲の日を見なければならないと観念したときの気持ちはどうだろう。87歳。一人の松陰が出る必要がある。状況は絶望的で、30年代と同じように今度もゴロゴロと坂道を転げ落ちて破滅する可能性の方が高い。日本人の頭が狂っておかしくなっている。が、同じような危機でも150年前の日本人はあのようにうまく危機を回避して時代を前に押し出した。結果を見ればそういうことだが、その中身は、一人の革命詩人が出たことから全てが始まっている。松陰がいなければ明治維新はなかった。このことは何度でも言うし、言い続けなくてはいけないし、加藤周一にも言って欲しい点である。村塾党という革命党派、すなわち革命主体が形成されることはなく、長州が倒幕勢力として貫徹する政治はなかった。前にも書いたが、最も可能性の高かった日本史は、薩摩と慶喜が同盟して京に新政権を樹立する構図である。上からの近代化を慶喜が代表し、封建的保守は久光が代表し、そこに朝廷が入る権力の図式。清末の戊戌変法や朝鮮の甲午改革を想像させる歪な日本の「近代」。

b0087409_13434147.jpg山口県の人間が松陰を「松陰先生」と敬称で呼ぶのは当然で、そうでなくてはいけない。山口県の人間は松陰に媒介されている。松陰がいなければ明治以降の人材の輩出もなく、七人も首相を出すことなどなかった。我々は日本人として松陰への尊敬を忘れないが、山口県の人間は特に松陰への感謝を忘れてはいけない。蛇足だが、少し言い加えたい重要な問題があって、松陰が長州の志士の中であれほど強烈な神格的シンボルとなった要因の一つとして、松陰が純潔のまま短い生涯を終えたという事情があるように私には思われる。一般に長州の男は好色の傾向を言われていて、特に伊藤博文が典型的である。伊藤の好色はあまりに俗物的すぎるが、そうでなくても晋作のように放逸な生を示す例が多い。革命に奔走する長州の志士は命の保証がなく、京の路上で新撰組に見つかれば一瞬で斬殺された。禁門の変、第二次長州戦争、鳥羽伏見の戦いと革命戦争の連続であり、そこに内在すれば晋作的放逸も同情できる。松陰の純潔と長州の好色のコントラスト。恐らくだが、志士たちは松陰に対して原罪意識に近いものを感じていたのではあるまいか。

男子の快楽を知ることなく死んだ松陰と、性的放埒の中で革命に生死する自己。「松陰先生」という痛切な思いは、若い志士たちの中で原罪感覚とともにあったのではないかと想像する。革命戦争の劫火の中に飛び込んで燃え果てる志士たちの中の「松陰先生」の呟きは、イスラムの戦士たちの「アラーは偉大なり」の言葉と同じように私には響くのだ。
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by thessalonike4 | 2006-08-23 23:30 | オー・マイ・カッシーニ
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