
カッシーニを発見したのは一年前の
9月7日だった。投票日まであと4日となり、敗北がほぼ確定した時期で、私は、何も動こうとしなかった九条の会を批判した記事の中でカッシーニを紹介した。一年前、選挙戦の情勢は敗北必至で気分は重かったが、重い気分の中で私は
二人の逸材を発見して、日本の政治にも希望が残っていると感じて嬉しかった。それはまるで、スリランカの山奥の谷間に入って、手を伸ばした先にサファイアとルビーの巨大な原石を掴み取ったのと同じ気分であり、二個の原石は掌に余るほどの大きさで私を感動させた。村塾門下の晋作と玄瑞。サファイアは長州、ルビーは京。一年が経ち、一人は国会議員に、もう一人は府議会議員になろうとしている。私の予言能力と言うか、予知能力もまんざらではないと自信を深める。探し当ててスポットライトを浴びせ、スター誕生させた阿久悠は私だ。見込んだ二人が日本の政治を変えてくれるかも知れない。あのときは、二人に続いて三人目、四人目が必ず出て来ると確信していた。日本に人がいないはずはないと信じていた。

カッシーニには抜群の才能がある。十年に一人の政治的逸材である。カッシーニを抜擢した府委員会の人事は見事だが、間髪を置かず、次回の衆院選で聖地で名門である京都1区の候補者に立てるべきだ。私がカッシーニを評価するのは能力があるからである。カッシーニは単位時間あたりにこなす仕事の量が他の人間より多い。与えられた仕事に対してマネジメントが期待する十倍の成果を出す。パフォーマンスが他の十倍あるだけでなく、加えて抜群のセンスがある。提案をする。改善をする。コミュニケーションスキルもよい。組織のマネジメントの立場であれば、誰でもカッシーニを部下として使いたいだろう。正直に言って、私は能力のある人間が好きである。能力のない人間には基本的に好感や興味を持てない。能力のある人間が評価される世界が好きである。能力のない人間が政治家や評論家になってテレビで威張るのを見るのは憂鬱であり、ブログランキングの上位で得意になるのを見ると不愉快になる。カッシーニのブログは愛くるしく、読む者を魅了して離さなかった。

カッシーニはブログで
共産党批判をしたと言っているが、それは真実とは少し異なる。カッシーニがやっていたのは、自分が愛した共産党の外からの評価を確かめることであり、他の人も自分が愛した共産党を好きになってくれという切ない願いを発信することだった。カッシーニのブログには「信仰」という人生の問題を考えさせられる契機が満ち満ちていたのであり、それも大きな魅力だった。信仰と人生の選択に対する緊張感を昔の日本人は持っていた。カッシーニの人格が年齢に比較してステイブルなのは、昔の日本人と同じように、信仰という問題に正面から対峙し格闘する経験を持ったからだ。思想に対するトータルなコミットメントの問題。丸山真男は『日本の思想』の中で、「
キリスト教の伝統を持たなかったわが国では、思想というものがたんに書斎の精神的享受の対象ではなく、そこには人間の人格的責任が賭けられているということをやはり社会的規模に於て教えてくれたのはマルクス主義であった」(岩波新書 P.87)と書いている。コミュニズムの場合は、政治はただの政治に止まらない。

そこにはトータルな人格的コミットメントの契機がある。人間いかに生くべきかという問題と政治をどうするべきかという問題が原理的に固く結びついている。カッシーニは、自分が
共産党という人生を選択したことに、これでよかったのかどうか若い素直な心で悩んでいて、悩む姿を隠さず正直に外側に見せていた。そして外側からの温かい助言と激励を待っていた。「それでよかったんだよ」という確信を与える言葉を待っていた。言ってしまえば簡単なことだが、けれども、そういうチャレンジはカッシーニだけができることで、カッシーニの天才だから絵にすることができたのであって、だからカッシーニのブログは宝石のように美しく貴重なものだったのだ。現在の日本の政治からはあまりに哲学の契機が抜け落ちている。山口二郎の「政治改革」がそのような政治に変えてしまった。だからそこに靖国主義の右翼思想が入り込む。カッシーニは日本の政治における十年に一人の逸材であり、日本の政治の宝である。だから、カッシーニの一分一秒は日本の政治のために有効に使わせなくてはいけない。

カッシーニは政治の天才であり、党務でも政策でも選挙でも大衆運動指導でも、何をやらせても全て完璧に仕事してアウトスタンディングな結果を出す。
共産党にも優秀な人材がいることを永田町とマスコミは知って驚く。が、カッシーニの本来の見せ場はやはり政策だろう。カッシーニが30歳で衆院議員になったとき、共産党はカッシーニに霞ヶ関廻りを担当させるに違いない。大きな鞄を抱えて、書類の束をいっぱい詰めて、議事堂と議員会館と霞ヶ関を早足で駆け回るカッシーニの姿が目に浮かぶ。カッシーニは官僚たちにマスコットのように可愛がられ、霞ヶ関と代々木を繋ぐ太いパイプとして機能する。その中で法律と予算の仕組みを覚え、省庁の組織と人脈を覚えて行く。そして40歳になったとき、当選を重ねたカッシーニは野党議員としての貫禄を天下に示し、「衆院予算委の女王」の異名を縦(ほしいまま)にしているだろう。本当のところの欲望を言えば、私は第三極の山口二郎か高野孟の位置になり、カッシーニを懐刀として使いたかった。が、それは分際をわきまえぬ見果てぬ夢というものである。
できれば永田町デビューする前に、京都でカッシーニに学問の世界に触れさせたい。どうか府委員会はそれを配慮していただきたい。カッシーニの周辺にアカデミーのサロンをサポートするべく投資をお願いしたいのである。逸材のカッシーニに党は投資を惜しんではいけない。二年後には本格的な現代日本政治史の学術論文を書けるように、カッシーニの学問の指導者となる知識人の手当てをお願いしたい。カッシーニ、君は日本の指導者となれ。職業としての政治をせよ。