
憲法改正が来年の参院選の選挙争点になるという状況認識については、ようやく一般的なものになりつつある。私がそれを最初に
言い、緊急な対策を講ずるように九条の会に
提案した頃は、九条の会の末端から「護憲は息の長い戦い」だという反論が上がって、地道に一軒一軒戸別訪問を繰り返すことが改憲を阻止する最も有効な戦略だという声が護憲派の中で支配的だった。憲法改正の国民投票は五年後か十年後の遠い将来の話として想定されていたのである。今回、安倍晋三が新憲法制定を総裁選の政権公約に掲げることで、ようやく護憲派も甘い情勢認識を見直す態度に変わってきた。何度も言ってきたことだが、仮に参院選で自民党が勝利した場合、改憲の国民投票は08年に実施される。通常国会閉会後、恐らく例によって真夏が選ばれるだろう。人々が理性を失い、オルギーの状態になって劇場で踊り騒ぐ夏。07年の参院選も夏、08年の国民投票も夏。改憲側は国民投票で必ず七割以上の賛成票で勝とうとする。六割の勝利では改憲するには少なすぎるからだ。

大差での勝利でなければならない。ということは、この場合の国民投票は最初から勝負が決まっているのだ。家康の関ヶ原と同じである。最初から勝負は決まっていて、確認(儀式)のためだけに投票をやる。どっちに転ぶか分からない国民投票などやらない。改憲側のリスクが大きすぎるし、六割の勝利では改憲の正統性に問題が出る。国民投票するときは、テレビは改憲賛成派の評論家でスタジオを埋め、郵政民営化選挙のときと同じように報道キャスターも改憲支持で一色に固めるだろう。同等にはしない。石坂啓あたりが「お飾り」的に異端派の席に座らされて異端言論を吐くだけである。何度も
同じ話を繰り返して恐縮だが、整理させていただくと、安倍晋三が来年の参院選で憲法改正を争点に据える理由は三つある。
第一に、憲法改正が安倍晋三の政権公約であり、公約は政治家を縛るからである。新憲法制定を総裁選で掲げて信認を得、総裁に就任した以上、支持を受けた党員に対して公約を実現する実行責任がある。参院選はその機会であり、次は国民全体から信認を得る。
第二に、この点が最も重要だが、憲法改正を争点にする以外に安倍自民党が小沢民主党に勝てる手段がないことである。他の争点で戦えば負ける。年金や消費税や社会保障を選挙の争点に据えれば、必ず自民党は民主党に敗北する。今度の参院選の自民党の勝敗ラインのハードルは高く、どれほど安倍晋三が人気があっても、国民生活に直に関わる政策を争点にすれば、あの勝敗ラインを超える票を集めることは不可能だ。年金問題が争点となった04年の参院選と同様、マスコミは中立もしくは民主党寄りの姿勢に立つだろう。郵政民営化選挙と同じ選挙をしなくてはいけない。マスコミと一体になった、すなわち最初から勝つ側が決まっている劇場選挙を再現しなくてはいけない。そのために最も都合のいい選挙争点が憲法改正であり、これを争点設定すれば、郵政民営化のときと同じように民主党を二つに割って混乱させることができる。民主党は右派と左派で対応が分かれ、一枚岩で選挙を戦うことができない。九条の問題で民主党の中が一つに纏まるのは難しい。場合によっては分裂する。

民主党が改憲に賛成し、自衛軍と集団的自衛権を認めた場合、選挙でどちらが勝っても憲法改正は明瞭となり、これまで民主党に僅かな期待を寄せて投票していた左派有権者の票が逃げる。民主党が争点対策でオロオロ狼狽し始めたときは、すでに世論調査で安倍自民党有利の数字が出ていることだろう。時すでに遅く、勝負ありの
状態になっている。
第三に、この点も何度か言ってきたが、改憲するなら08年中に国民投票のタイミングを逸してはいけない。08年秋には米大統領選があり、そこでヒラリーが勝った場合には、これまでのブッシュ政権による外交政策が全面的に見直される可能性がある。憲法改正のアプルーバルが取り消される。ゴーサインがリセットされる。中国はそれをヒラリーに懇請するだろうし、ヒラリーならば少なくともサスペンデッドにする道を選ぶだろう。東アジアで日本に改憲させるのは危険だ。中国の軍拡に拍車がかかる。米国の安全保障にとって好ましい環境選択ではない。絶対権力者の安倍晋三でも米国の大統領には頭が上がらないし、その指示を無視することはできない。

日本の憲法改正は一国の問題にとどまるものではなく、世界の安全保障に重大な影響を及ぼす国際問題であり、米国の了承なしに単独で挙行することはあり得ない。だから安倍晋三が改憲を断行するためには、ブッシュ政権任期中の08年のタイミングを狙うしかないのである。それも秋を過ぎると遅くなる。大統領選前の夏までにやる必要がある。したがって、そこから逆算すれば、08年の8月が国民投票、08年の通常国会で改正案の最終的一本化(自公民最終合意)、07年の臨時国会で国民投票法案の可決というロードマップになる。07年の臨時国会で国民投票法案を採決するためには07年参院選で勝たねばならない。憲法改正を選挙公約に掲げ、憲法改正を選挙の争点にし、国民多数の支持で勝利を収める必要がある。護憲派諸氏によく考えて欲しいのだが、憲法改正以外に安倍晋三が考えている参院選の選挙争点があるだろうか。この選挙で負ければ安倍晋三は自民党総裁の座を追われるのである。しかも勝敗ラインは異常に高いハードルで、現時点で自民党の勝利を予想している政治評論家はいないのだ。

自民党が敗北すれば安倍晋三は権力の座から滑り落ちる。それだけでなく、自民党そのものが政権を失う危機に陥る(民公政権誕生)。自民党が野に下り、安倍晋三が絶対権力者からただの議員になったとき、安倍晋三にはどういう運命が待っているか。あまたある
黒い噂に司直が動き始めたらどうなるか。安倍晋三は参院選に負けられないのである。負ければ身を滅ぼすのだ。安倍晋三が憲法改正を総裁選の政権公約にした本当の理由はそこにある。参院選で改憲を選挙争点にするためだ。それを争点にしないと民主党に負けるからだ。選挙に負ければ身の破滅だからだ。そして逆に、参院選に安倍自民党が勝てば、自動的に憲法は改正される。改憲を争点にした選挙で安倍晋三が勝てば、安倍晋三は国民に対する公約を実現するために改憲を断行しなければならない。護憲派と安倍晋三、来年の夏にどちらかが滅びる。あと一年ない。私は、現時点の予想としては、滅びるのは護憲派の方だろうと判断している。理由は簡単で、改憲を阻止する能力がないから。改憲を本気で阻止しようとする意志が護憲派の中にないから。
9月1日に(核武装論者の)安倍晋三が広島で自民党総裁選への立候補を表明したとき、大江健三郎はなぜテレビの報道番組に緊急出演しなかったのか。人々が注目したその瞬間に、なぜ最も目立つところへ行ってカウンターメッセージを発信しなかったのか。大江健三郎が押しかければ、古館伊知郎がそれを制止することはできなかっただろう。筑紫哲也ならなおのこと、席を空けて歓迎しただろう。ノーベル文学賞作家の訪問を拒絶できるキャスターはいない。大江健三郎と井上ひさしと梅原猛が三人で局に乗り込めば、テレビ局の社長の権力をもってしても、彼らの生出演を拒否することはできなかったはずだ。
せめて電話での生出演でもよかった。そうすれば九条の会を広報することができた。
共産党や社民党が安倍晋三の改憲立候補表明に反対の声明を出しても、そんなものは誰も注目しない。ニュースバリューがない。人々が耳をそばだてるのは、大江健三郎の反論だろう。九条の会の大江健三郎が何を言うかを聴きたいのではないのか。筑紫哲也は、その夜、安倍晋三をスタジオに呼んでいた。われわれは筑紫哲也が安倍晋三に軽い皮肉を言うのを聞きたいのではない。大江健三郎が「改憲は必ず阻止するぞ」と安倍晋三の目の前で言うのを聞きたいのである。九条の会のサイトには相変わらず何もない。安倍晋三の改憲表明をそのまま素通りさせている。九条の会は本当に改憲を阻止できるのか。