
司法の場で「誹謗中傷」という言葉が使われる場合、普通の国語辞書的な意味とはニュアンスが異なって使われているように感じているのは私だけだろうか。単に誹謗は「悪口」とか、中傷は「根拠のないことを言いふらす」とかいうだけの意味で限定的に使用されているのではなくて、もっとその犯罪一般を包括的に捉えた独特の司法概念として機能しているように思われる。もっと言うと、司法現場での使われ方として、「誹謗」と「中傷」がそれぞれ分割されて、この行為は誹謗、この行為は中傷という具合に、個々に区別されて使われているのではなく、「誹謗中傷」という四字熟語のままで、常に一つのバスケットで使用されている場合が殆どなのではあるまいか。バスケットは二つではない。そして、そこで使われている誹謗中傷のバスケットは、国語辞書の意味の範囲を超えて、もっと多くの行為が対象据定されている。例えば具体的には、
デマ、揶揄、罵倒、愚弄、嫌がらせ、など、少しずつ意味の異なる諸行為が、全て一個の「誹謗中傷」のバスケットにカテゴライズされて運用されている。

したがって、われわれの重要な関心事項である「誹謗中傷」の概念を考える場合には、単に国語辞書で言葉の意味を引っ張るだけでは正確な理解にはならず、司法的な概念としての「誹謗中傷」のバスケットを考えないといけない。そうして考え出した司法的概念としての「誹謗中傷」に、一語で逆に正確な日本語の意味を与えるとすると、おそらく「
言論による卑劣な暴力」という意味が最も適合するのではないかと思われる。誹謗、中傷、デマ、揶揄、罵倒、愚弄、嫌がらせ、などの諸行為を纏めて「誹謗中傷」とするとき、それらは全て「言論による卑劣な暴力行為」である。われわれが意識している「誹謗中傷」の真の意味は、国語辞書の二つの言葉の並列ではなく、まさに「言論による卑劣な暴力」そのものに他ならない。誹謗中傷とは手を使わない暴行傷害だ。裁判官が判決文等で「誹謗中傷」の言葉を使う場合は、恐らく上の意味で使っていて、だからこそ誹謗中傷が意味として一般的であり、判断において常識が基準になるのである。今回は以下に読者からの投稿を(匿名で)紹介する。
初めまして、thessalonike様。「世に倦む日日」を拝見させていただいている***と申します。ネットにおける誹謗中傷は許されざるべきものであるというthessalonike氏の考えに賛同の意を表したく、メールを送らせていただきました。どんな運動であれ、それが広範な支持を得ていくためは、その問題に対して必ずしも考えが一致していない人々などの心にまで訴えかけ、その考えを動かし運動に巻き込んでいくことが必要です。反小泉・安倍のための運動であれば、現時点において小泉・安倍への強い疑念をまだ持たぬ人々の考えを揺さぶるだけの力が必要となります。その運動は反小泉・安倍の考えを持つ人々だけがただ馴れ合って、溜飲を下げるだけで終わっては何の意味もありません。現時点においてまだ反小泉・安倍でない人々の考えを動かすために必要なのは、小泉・安倍の持つ問題点をあぶり出し、十分な説得力を持つ批判を行うことに尽きると考えられます。
誹謗中傷や単なる揶揄はその過激さゆえ、既に強く反小泉・安倍の意識を持つ者が満足することはあるとしても、他者にまで説得力を持って強く訴えかけるだけの力は持ちえません。さらにその劣悪な誹謗中傷に対する嫌悪感から、反小泉・安倍の運動そのものが醜いものであると判断される危険性も有します。(これは現在のネット右翼の活動にも同じことが言えるでしょう。)ネット右翼の持つ醜悪さはその政治思想だけではなく、行動原理にもあると私は考えています。誹謗中傷やコメント欄荒らしなどを日常的に行い、批判を受ければ「反日だからコメント欄が炎上して当然」のような正当化を平気で行い、さらには都合の悪い問題が起きれば全て捏造と断定して片付けます。「あいつらは悪なのだから」の論理でもって自己の悪辣な行動を覆い隠すような態度こそが、ネット右翼の醜さの根幹にあります。翻って現在問題となっているブロガーとその擁護者達の態度はどうでしょう。
程度にこそ違いはあれど、その行動原理はネット右翼と同じではないですか。誹謗中傷を批判する行為を「言論弾圧だ」と述べる彼らと、コメント欄を荒らしたことで削除されたときに「言論弾圧」と喚くネット右翼に何の違いがありましょう。「テサロニケが中傷されたのにはそれだけの原因がある」と述べる者と、「売国ブログは炎上して当然」と開き直るネット右翼に何の違いがありましょう。根拠もなく「削除依頼はテサロニケが行った」と述べる彼らと、在日朝鮮人に対する暴力事件を全て朝鮮人による自作自演と根拠なく断定するネット右翼に本質的に何の違いがあると言えましょう。ただ攻撃対象とするものが異なるだけで、その行動原理は全く同じではありませんか。反小泉・安倍の流れを国民の多数派とするために必要なものは何であるか、それを考えれば自ずと答えは出るはずです。たとえ普段は確からしそうなことを述べていても、誹謗中傷を擁護していてはネット右翼と同じ自己の絶対正義化の闇に片足を入れていることに違いはありません。
誹謗中傷の行き着く先がどのようなものであるかは、嫌悪しているはずのネット右翼が雄弁に物語っているではありませんか。正常な言論だけが、他者の心にまで訴えかける力を持つことができる、この基本だけはどんな政治的立場を取るにしても絶対に忘れてはならないものだと考えています。