一昨日(9/18)の「NEWS23」で自民党総裁選三候補の生討論があり、格差問題にテーマを絞って議論が埋められていた。感想が幾つかあり、まず最も強く感じたのは、総裁選を通じた自民党の宣伝プロモーションがきわめて効果的に成功している事実である。一部には盛り上がっていないという評判もあったが、私は必ずしもそうは思わない。次の政権がどのような政治をするのか、それが自分たちの生活にどう影響するのか、我々には大きな不安があり、放送を見たくなくても見ざるを得ない気分になってしまうのだ。総裁選の期間を通じて、憲法改正や消費税増税はどんどん具体的な政治日程に落とし込まれて行き、視聴者にとって「避けられない将来」の輪郭が明らかになってしまった感がある。報道番組のキャスターたちは候補者に何も反論をせず、まるで国政選挙の政見放送のように彼らの主張を自由に垂れ流させていた。「刷り込み」は大成功したのではないか。このキャンペーンは確実に自民党の支持率を上げるだろう。
消費税10%は、谷垣禎一がそれを言い始めたときは、ずいぶん先の話のように聞こえていたし、落選確実の候補に自民党が本音を言わせているなと思いながら見ていたが、9月に入って総裁選が本番に入り、NHKのニュースや各局の報道番組で繰り返して反復議論されているうちに、遠い将来のぼやけた話ではなく、すでに確定された現実の政策として既成事実化され、回避できない方向性として固められた気配がある。場合によれば、参院選の自民党のマニフェストに明記されて税率変更の時期が前倒しされる可能性もあるのではないか。消費税率を上げる政策は、まぎれもなく新自由主義の政策であり、低所得者の負担を増やして社会の格差をさらに拡大させる性格のものだが、そうした批判の議論は総裁選ショー番組の消費税のパートの中では全く出ることなく、逆に「言いにくい事を正面から言っている谷垣さん」と「党内で前向きな議論をオープンに戦わせている自民党」という積極表象のみが一方的に情報配信されていた。
三人のキャラの違う役者を配置した「総裁選ショー」は巧くできていて、よく見ると中身は無いのだけれど、いかにも多彩で豊穣な政策論議がされているような演出が為されていた。超タカ派の麻生太郎に憲法と安保で過激な発言を奔放に飛ばさせ、ハト派の谷垣禎一とバランスさせて、本当は極右と言ってよい安倍晋三の政見と政策が真ん中に見えるという政治的錯覚演出も周到に工夫されていた。麻生太郎も谷垣禎一も安倍晋三を引き立てるための脇役であり、その役割は最初から決まっていたのである。キャストを決めたのは
小泉首相で、総裁選レースの芝居は一年前から脚本が練られていた。教育バウチャーの話も総裁選レースの途中で降って湧いたように出てきて、そんな話は総裁選が始まった頃は影も形もなかったが、暫く目を離している隙にすっかり既定路線のようになった。教育格差を一層広げる政策だが、谷垣禎一が控え目に反論する以外は誰も何も言おうとしない。総裁選を通じて、今後の社会の格差拡大がさらにリアルなものになった。
安倍晋三は格差を容認し、現状以上に格差を広げる政策を進めようとしている。それは明らかなのだが、誰もそれを暴露しようとしない。「正規雇用の比率を上げる必要がある」とは言うが、比率を上げるための政策や立法は具体的には言わない。数値目標などは絶対に出さない。せいぜい技能訓練の機会を増やすという程度である。手当てをする素振りを見せているだけだ。だが、格差についての配慮を雰囲気づける言葉はそれなりに散りばめられていて、またそれをテレビで何度も繰り返すものだから、単純な人間が聞けば、安倍晋三は格差是正に前向きだという印象を持ってもおかしくない。自民党支持者や保守層は簡単に騙されるだろうし、安倍晋三に期待したくて(騙されたくて)自己欺瞞するだろう。ここで対照的なのは民主党の対応で、小沢一郎が発表した基本政策(
小沢ビジョン)の中には、もう少し明確な格差是正の内容があるのに、小沢一郎がテレビでそれを言わなかったから、格差対策についての民主党のイメージがきわめて薄い。
小沢一郎は「基本政策」を発表した後にテレビ番組に出たが、小沢一郎の言葉で格差是正の政策内容は全く語られなかった。格差問題に薄っすら関心のある程度の国民は、小沢民主党よりも安倍自民党の方が格差是正に積極的で政策の中身もぶ厚いと錯覚してしまうのではないか。格差問題に限らないが、これだけ自民党がテレビを使ってリッチに政策論議をして、それをプロパガンダして国民に刷り込んでいるのだから、民主党はその宣伝工作に対してもっと危機感を持っていいはずだ。テレビを自民党にジャックされているのだから、せめてネットで大規模かつ本格的に政策反論しなければいけない。安倍晋三の格差是正論の欺瞞を衝くこともそうだし、消費税10%を既成事実化する動きに対して正面から反撃する必要がある。それをやっている人間がいない。私が民主党の国会議員だったなら、毎日のように、テレビでの論議に対して批判を加えて、個別議論の詐術を暴いただろうし、自分のブログを総裁選ショーの欺瞞を暴露する言論の砦にしただろう。
番組を見ながら気になったことは、予想以上に日本の一般市民が新自由主義のイデオロギーに頭を漬け込まれてしまっていることで、小泉構造改革の五年間というものは、格差の現実以上に、格差を是認する人間を大量に作り出してしまった。番組が東京の街頭で調査したアンケートでは、二者択一で「格差社会はNo」が21人だったのに対して、「格差社会は仕方がない」の回答が29人で上回っていた。格差を肯定している人間が少なくない。特に若い世代で、本当は格差社会で人生を大きく傷つけられているはずの人間が、逆に格差社会を容認する意識を持っている。
《補 遺》
今はまだ民主党が自民党の政策攻勢に対して反論を展開する時期ではなく、それは新代表が正式に決まって国会が始まってからだという声が一部にある。私はそれは違うと思う。参院選は確かに10ヶ月先の長丁場だが、選挙戦は事実上始まっている。そして何より大事な補選が一ヶ月先に控えている。補選は参院選の前哨戦の一部である。神奈川と大阪の二区とも民主党が敗北した場合、年末までの国会論議で民主党は態勢を組めなくなる危険性がある。補選に重大な影響を与えると思われるのは、安倍晋三の新内閣の支持率で、この数字を民主党はなるべく低く抑えるように世論に働きかける必要がある。指をくわえて見守っていてはいけない。総裁選のテレビ宣伝は9/26の組閣時に達成する支持率のためのプロモーションであり、民主党はそれを逐次迎撃して、総裁選プロモーションの世論効果を減殺するべく手を打たなければいけない。
黙っていれば70%の支持率になるところを、反論攻勢を加えていたから60%に済んだということもある。10%の支持率の違いが補選での両党候補の票差を決定づけるものになるかも知れない。国民は総裁選の間中、ずっと自民党のプロパガンダに頭を漬け込まれたわけで、具体的な政策議論の中身よりも、自民党に対するイメージが映像印象で蓄積されている。政策が多彩多様とか、現実的で責任的だとか、そういうイメージでポスト小泉に期待する観念が植え付けられている。そうした観念を壊すのは、国会での論議ではなく、また短い時間で「噛み合わず、すれ違う」党首討論の報道でもない。一回一回、視聴者が見た映像の中身に対して、その記憶が鮮明なうちに反論で叩き壊さないといけないのだ。総裁選プロモーションの一回一回の討論内容を、ホヤホヤの時間内に無意味化させ、無効化させる必要がある。そういう事が得意なのは菅直人だ。
現代において政治も経営と同じであり、新自由主義的な環境の中で、素早く成果を得て、時間を無駄にせず、スピードで相手に勝ち、常に競争者に対してアドバンテージを取らなくてはいけない。短期短期の決算で経営を詰めて事業を前に進めなければならない。企業経営者が毎日毎日1円でも多く利益を計上しなければならないように、政党は毎日毎日支持率を気にして、支持率を1%でも高く上げるよう施策をオプティマイズしなければならない。我々は新自由主義の環境の中で生きているのである。目標を数値化し、進捗をチェックし、成果を積み上げ、施策と成果を照合して適宜評価を加え、戦略戦術を日々修正しなければならない。政党の場合、その努力と成果の総和が来年7月の参院選の結果となるのである。見ていると、テレビを支配しているからというところも確かにあるが、安倍自民党の方が「日々数字を取る」という新自由主義的手法に長けている。
民主党の方にスピード感がない。躍動感がない。ストラテジーのコンセプトが弱い。これは昨年の総選挙のときもそうだった。岡田克也は「愚直」を前面に訴求して負けた。