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by thessalonike4
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帰去来兮、「夜店」から「本店」へ - 丸山真男以外に誰を読むのか
b0087409_11362783.jpgブログとは直接関係ないが、ある出版社からお声がかかり、本を出すことになった。処女作になる。テーマは丸山真男論。入門書のような形式と体裁になる。現在、第二稿の校正の作業に入っていて、早ければ11月中にも書店に入庫するスケジュールになっている。「小さな花」を咲かせ、区切りをつけたと言えるかも知れない。私の専攻は政治思想史学で、丸山真男論と司馬遼太郎論が研究テーマである。最近、丸山真男の言い方を借りて言えば、本店に戻りたい気分が強い。夜店の営業に深入りしすぎた。現実政治の評論だけならまだしも、実践運動までやって厖大な時間とエネルギーを費してしまった。挑戦したい研究課題がたくさんあり、失った時間や残された時間のことを考えると、正直なところ焦る気持ちになる。本の内容の中心をなすのは思想史方法論の問題で、思想史の方法という視角から丸山真男の輪郭を明らかにしようとするものである。この領域での本格的な研究は他からも多くなされている。が、その殆どは丸山真男を今日の脱構築主義的視点から批判するものである。



b0087409_11365433.jpg私と他の研究者を分けるのは、簡単に言えば丸山真男への内在の程度だろう。ある思想を批判するためには、まずは限界までその思想に内在せよというのが我々が習った研究の態度であり、ザッヘに即けというのが研究者の当然の作法だったが、最近の日本の若い研究者の丸山真男論には、そうした内在的態度が根本的に欠落している。丸山真男には二つの思想史研究の著書があり、『日本政治思想史研究』と『忠誠と反逆』である。『日本政治思想史研究』の三論文は、単純化して言えば、マンハイムとボルケナウの方法の徳川思想史への適用である。『忠誠と反逆』の中の「歴史意識の古層」は、これまでの丸山真男の思想史を一変させたもので、方法と結論が大きく変わったものである。日本政治思想史という学問は日本人の自己認識を定義する学問であり、丸山真男の方法と結論の転換は日本の学界で大きな事件だった。その中身について詳しくは触れないが、私が本の中で言いたいところは、二つの自己認識とも、我々にとって精神のカーネルになっているものだということである。

b0087409_11371628.jpg戦後の日本人の自己認識。それを学問的に定義し、一般に提供してきたのが丸山真男だった。丸山真男によって理論提供されたものを、我々は受け取って自分自身のバックボーンにしている。少なくとも我々の世代まではそうしてきた。「日本政治思想史研究」に対する脱構築側の批判は、あの「現代思想」の中でほぼ顔が出揃っていて、中心に立つのはハルトゥーニアンと子安宣邦である。そしてその亜流の若い連中が、今でも小銭稼ぎに丸山真男批判を活字にしている。子安・酒井・ハルトゥーニアンの脱構築連合艦隊に対する本格的な批判をやりたい。古層論については、加藤周一のものも含めて議論は多いが、本格的なものはないように見える。古層論を批判するためには、単に紀記理解を深めるだけではなく、古代なり原始をどう思想的に捉えるかという問題があり、ヨーロッパ、インド、中国との比較の上で古代日本の思想を把握する必要がある。また、丸山真男論の観点からすれば、古層論における丸山真男のペシミズムという問題についてあらためて考え直す必要があるように思われる。

b0087409_1137367.jpg最近、丸山真男と講座派という問題視角で一部に議論がされ始めた。これは素晴らしいことで、丸山真男の思想像を明らかにする上できわめて重大な切り口を提供することになるだろう。この議論に私も積極的に参加したい。丸山真男は当時の講座派理論を徹底的に勉強して、それを自分の学問に応用しているが、丸山真男を批判している現在の若い研究者たちは、講座派経済学を知らず、戦前の日本のマルクス主義の文献を読んだこともないのである。マルクス主義を知らずに丸山真男を理解したと言えるのだろうか。講座派の理論を知らずに丸山真男の学問や思想を批判する資格があると言えるのだろうか。私の古層論への視角は、それが72年に突然起きた事件なり転換ではなくて、46年の「超国家主義の論理と心理」からの一貫した問題意識の継続であるという認識立場だが、その意味で古層論には講座派経済学の影響がきわめて色濃く滲んでいる。そういう観点を持っている研究者は私以外にはいないのではないか。丸山真男論をやる人間は、まずは当時のマルクス主義を真摯に読むべきだ。

b0087409_1213441.jpg丸山真男を侮辱した態度の若い研究者は、例外なくマルクス主義を軽蔑している。そういう思想態度の上に安直に座っている。浮薄な脱構築アカデミーの若い研究者たちが、丸山真男を「国民主義者」「西欧中心主義者」の貶損言語で安直に批判し、日本のマルクス主義の知的成果を無駄で有害な産業廃棄物のように扱うのは、ちょうど明治国家の若い知識人たちが、江戸期の朱子学や朱子学者に向けた軽蔑的態度と同じと言える。貶損言語を投げつけて「あれは終わった、これはもう古い」と言うのが思想史の研究と言えるのだろうか。私の丸山真男論はその問題意識に立つ。よく見れば、徳川初期の朱子学者の思想的豊穣さは眩いばかりで、決して同時期のヨーロッパの思想世界に見劣りしていない。それは近代否定の脱構築主義者が自ら認めるところだろう。思想家たちは、その時代の課題に対して、その時代のマテリアルを駆使して立ち向かっているのである。「今」が絶対ではないのだ。「今」を絶対視する態度は「自己」を絶対視する態度と繋がる。そこから自由になるためには、事象に即く必要がある。

本店でやりたい課題についてあれこれ考えると、夜店が急に面白味のないものに思えてくる。私の場合は常にそうで、往きつ戻りつを繰り返す。この五年間、丸山真男からは離れたつもりだったが、なかなかそうは行かないようだ。何と言っても、日本人自身が丸山真男から離れられない。いま、日本人が新自由主義を打倒して、福祉国家型の経済政策と戦後平和主義の外交路線を取り戻そうとするとき、その政治を運動として作り出そうとするとき、丸山真男以外に誰を読むのか。

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by thessalonike4 | 2006-10-27 23:30 | 丸山真男
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