
昨日(1/15)の午後、近所の本屋の棚に新刊書が並んでいるのを確認した。編集者と編集長の当初の話では、配本は昨年11月下旬の予定だったが、計画の日程を3ヶ月ほど遅れ、年を越しての出版となった。この程度の納期遅滞はこの業界では屡々あることらしい。中野雄氏が『音楽の対話』を出したときも、最初に情報を聞いたときから実際に本が店に並ぶまではずいぶん長い時間がかかったような記憶がある。業界の事情や慣行に不慣れな私には多少とも不具合な時間が長く続いた。これがせめて1ヶ月ほどの遅れであれば、企画から配本までの時間を、入学試験の合格から入学式までの期間のように、人生の至福の日々として送ることができただろう。本の原稿は10年前に書き上がっていて、そしてすでに10年間公開されているのである。書き直す部分は基本的にない。誤りも含めて全てそのまま活字化するのが著者として然るべき態度であろうと思われた。

正直なところを言えば、10月に最初に話をもらったとき、久しぶりに(数年ぶりに)自分が書いた論文を読み直し、思わず赤面して、その全てに手を加えて全面的に書き直したいと衝動したのが本当のところだった。たが、それをすれば最初に書いたものとは全く違うものが出来上がる。気負いが先に立っていて、論証が杜撰になっているところが少なからずある。学術論文として見たとき、荒唐無稽あるいは支離滅裂とさえ感じさせられる問題の部分も幾つかある。が、そういう赤面や羞恥の感覚とは別に、私が率直に感じたのは、「若い」ということであり、そこに今の私よりはるかに若い、情熱と挑戦心に溢れた人間が立っていることだった。若さゆえの欠点もあるが、若いということはやはり素晴らしい。そう感じさせられ、若い私の欠点や誤りをそのまま活字にすることを躊躇う気持ちが消え失せた。そしてもうひとつ。一本の論文に挑戦することは、ブログの記事を一稿書くこととは全く違う。

まず何よりも長さが違う。古層論や思想史方法論にチャレンジしていたとき、私は往復3時間の電車通勤の生活の中で一本一本を構想を練って中身を埋めていた。課題を設定し、内容を構成し、標的と結論を定め、必死で読み調べて、論理の展開を作業していた。電車の中で文章を考えていた。学術論文のよいところは、課題が設定されることであり、そして研究した成果が報告されるところである。課題に対して真剣に格闘して答え(結果)を出していくところがいい。ブログの記事だと、一本一本の分量が少なく、そこに籠めたエネルギーや努力が中途半端で、いくらそれを作品と言ってみてもやはり軽さは否めない。読みながら、何でもっとこう書かなかったのかと思うのと同時に、頑張ってよく書いているなあと素朴に感じる。10年前の自分の方が今の自分よりも勉強熱心だったのではないか。学問に対して謙虚な心を持っていた。学問に夢を持っていた。政治を変える政治学を志していた。

10年の間にそれらの感性と態度は相当に失われ、学問や真理に対する謙虚な姿勢を忘れていた自分が見えてくる。だから、この本の出版は、私にとって年齢を重ねて与えられた一つの名誉であると同時に、学問に対する反省と再起を心に誓う新たなモニュメントでもある。丸山真男の理論についてもっと研究しなくてはいけない。古層論についても本格的な続編を、序章に続く本論を書いて世の中に提示しなくてはいけない。宿題のままずっと残っている「正統と異端」の問題についても、調査研究をして、丸山真男が何をしようとしていたのかを明らかにしなくてはいけない。分かりやすく纏めて意味づけなくてはいけない。そして、私の若い頃の課題であったところの、丸山真男の方法を適用して抉出されるところの日本マルクス主義の政治思想史を論文化しなくてはいけない。誰かがやらなければならないその日本思想史の課題を、人の作品を待つのではなく、自分でトライしなければならない。

そう考えると、もう残された時間がないことに気づく。そして時間がないだけでなく、勉強に怠慢だった自分の根本的な技量不足、力量不足に気づかされる。絶望的な気分になる。そして、だが、さらにもう一つ、丸山真男研究でどうしてもやらなければならないことがある。それは吉本隆明と丸山真男の視角であり、吉本隆明とポストモダンの問題であり、吉本隆明の丸山真男批判を根本から叩きのめすことである。現在の通俗的な「丸山理解」は、実際のところほとんど全て吉本隆明の丸山真男批判に乗っかっている。丸山真男の思想像を吉本隆明の丸山批判を媒介して無批判に自己了解している。吉本隆明の丸山批判を批判する観点を持った知性がどこにもいない。左翼=ポストモダン、右翼=ポストモダンの両陣営が、吉本隆明の丸山批判をそのまま自己の脱構築(=脱近代)の思想態度の前提にしている。この課題は未だに誰も引き受けていない。誰かの研究で納得できるものを私はまだ見ていない。