
たとえば鳥羽一郎の『兄弟船』とか、川中美幸の『ふたり酒』とか、テレビを見ていれば自然に目と耳に入ってくる曲がある。想像力を必要としないワンフレーズでシングルメッセージの演歌群。私はこれを「様式演歌」と呼ぶけれど、こうした「様式演歌」を愛好する一定のマーケットが確実にあり、時代が変わってもなかなか消えない。私はその世界に内在できず、こういう音楽を生活の一部にしている人たちの感性によく共感できない。普通に日本の小学校と中学校に通い、音楽の教科書に載っている歌を習い覚えてきた人間が、『兄弟船』を好み聴く人間になる過程を論理的にトレースできない。きっとこういう曲を聴いている人たちが自民党に投票しているのだろうと思って違和感を埋めていた。60年代までの歌謡曲の世界は「あなたに棄てられて悲しい」「あなたなしで生きていけない」と女が嘆くだけのワンパターンの「様式演歌」が主流だった。

阿久悠を中心とする70年代の音楽は、プレーンで無内容な「様式演歌」の世界を乗り越えて、日本の音楽を彩り豊かでイマジネーションに溢れた世界にした。日本の音楽的水準は70年代の音楽家によって達成されている。阿久悠、井上陽水、中島みゆき、長渕剛。私から見て、そしてこれは阿久悠から見てということと同じだと思うが、水準を達成した日本の音楽は、80年代以降、想像力を枯渇させて、再び無味乾燥でワンフレーズな世界へと固まって行った。才能のある音楽家が、それはコンポザーだけでなく歌手のレベルでも出なくなり、歌の下手な歌手の曲が市場で売れ、それが不思議でも何でもなくなった。80年代以降のイマジネーションを枯渇させた無味乾燥な日本音楽、私から見てその代表はGLAYであり、B'zであり、小室哲哉であり、浜崎あゆみである。彼らの曲はイメージが薄い。映像もドラマもメッセージも薄弱だ。

それらは新しい「様式音楽」のように私には見える。そして、「兄弟船」や「ふたり酒」などに対してと同様に、GLAYを生活の一部として積極的に愛好している人々に内在できない。彼らが自民党に投票しているかどうかは分からないが、彼らこそが、70年代の音楽や文化に対して「クラい」「ダサい」と侮蔑言葉を投げつけている一団であることは間違いないだろう。阿久悠が死んで、阿久悠の死を国民的な葬送儀式として報道し追悼している
マスコミは、安易に阿久悠を神様に祭り上げるのではなくて、そうした問題を掘り下げて考え、日本における時代間の文化対立に対して真面目に向かい合って欲しい。GLAYや浜崎あゆみをいいと思っている日本人は、阿久悠をいいとは思ってないはずで、「時代に訴えかける美しい日本語」は苦手なはずで、受容できず、嫌悪して衝動的に「キモ」だの「ダサ」だのを口に出して否定する対象のはずなのだ。

彼らが阿久悠的な文化表象を嫌うのは、きっとそこに「押しつけ」を感じるからであり、真善美の価値観と教育指導の契機を感じるからだろう。つまり教育が嫌いなのであり、勉強させられることが嫌いなのであり、勉強することが苦手なのだ。教育は少なからず自己否定の契機を伴う過程だが、わがままになり、わずかな自己否定をも苦痛に感じる日本の子どもたちは、知性を媒介して感性的な感動を得るという方法態度に積極的になれない。その結果、人間的な感性が未発達となり、脆弱化し、したがって感性が動物化し、家畜の飼料のような音楽を詰め込んで満足を覚えるようになるのではないか。今の日本の市場で売れている音楽商品の多くは、阿久悠的な高度な水準から見ればブロイラーの餌と同じではないか。音楽だけではない。テレビ番組も、マンガも、新刊本も、マスプロダクションされる大衆文化のコンテンツのレベルが落ちた。

この二日間のテレビや新聞では、なかにし礼や都倉俊一や、教え子だった石川さゆりや岩崎宏美が阿久悠について語っている。8月3日の午後10時から放送されたNHKの追悼番組での都倉俊一による回想はとても面白かった。が、私はできれば、生前に親しかった関係者ではなく、現在の日本の音楽界で頂点をきわめている宇多田ヒカルや桜井和寿に阿久悠を語ってもらいたい。そういう企画をジャーナリズムは組むべきだ。彼らから見て阿久悠の音楽作品はどういうものなのか。それは時代を超えた普遍性があると言えるものなのか、それとも70年代という限界性において捉えられるものなのか。日本の若い世代にとって、阿久悠は、われわれの世代にとっての美空ひばりのような存在、すなわち、偉大だけれども曲そのものを聴いて感動を覚えることのない歴史的な存在なのだろうか。若い人で、美しい日本語の詞を書ける人に出てきて欲しい。

阿久悠は天才作詞家であると同時に辣腕の芸能プロデューサーであり、『スター誕生』で発掘した歌手の卵を育て上げることに使命感と責任感を持っていた。それぞれの個性にそれぞれのイメージを与えて、売れる人気アイドル(ヒット商品)に仕上げていた。泣かず飛ばずだった石川さゆりに『津軽海峡冬景色』を与え、演歌歌手に転進させて成功させた例は、事業家としての阿久悠の執念と手腕を感じさせる。あの頃、山口百恵と桜田淳子が快調にヒットを飛ばしていたとき、石川さゆりは不遇を託ちながら白いキャップ姿で月刊明星や月刊平凡のページの一隅を飾っていた。彼女の美貌と歌唱力はよく知りながら、「この娘はだめかな」と誰もが薄々思っていたけれど、プロデューサーの阿久悠は決して諦めていなかった。阿久悠の偉大さの一端はこういうところにある。そして、そこからどうしても思うのは、成功を見なかった伊藤咲子のケースである。

歌のうまさなら伊藤咲子は石川さゆりにも岩崎宏美にも負けていない。抜群の才能で大型歌手に育つはずだった。醜聞を報じたのは、私の記憶に間違いがなければ、当時、女性誌の中でもエロティックな趣向で部数を伸ばしていた隔週刊の『微笑』で、新聞紙面の下側の広告欄に『微笑』の大きな宣伝が載っていて、その広告の左側を大きく使って(写真とともに)醜聞の見出しが躍っていた。『微笑』らしく扇情的で過激な見出し文句であり、二人の間に何があったかを赤裸々に暴露していた。思いもかけない事件の発生に驚愕し、同時に猥褻な関心を掻き立てられて、どこかでその記事を読めないものかとオロオロしたことを覚えている。清純派アイドルにとって致命傷の一撃となった。アイドルたちがいつどこでどうやって大人になるかは、同世代の者でなくても大きな関心事であり、当時は芸能雑誌が多くあって、大衆がタレントたちの日々の挙動から目を離さない時代でもあった。