生ぬるく湿った重い空気が体にへばりついてくるけれど、その空気を運んでいるのは、まぎれもなく秋の風だということがわかる。9月11日、この日を迎えると、去年の今日はどんな天気だったとか、二年前はどうだったとかを振り返る気分になる。来年もきっとそうだろう。来年の9月11日になれば、一年前に自分はどんな記事を書いたのか、必ず読み直しに来るだろうし、二年前には何を書いているのか、もう一度確認しに来るだろう。普通は一年を振り返るのは年末年始の精神的行事なのだが、<帝国>の牢獄の中に生き、新自由主義の鉛の頚木に繋がれ、そこからの解放のみを人生の宿願にしている私は、大晦日と元旦を区切りにする自然な一年の時間とは別の、政治的経済的な怨嗟と渇求の一年の時間がある。9月11日に一年を振り返り、この一年に何があった、どう変わったと、自分自身を顧みるのだ。
六年前の夜、午後十時、その頃はもう久米宏の『ニュースステーション』も面白くなくなって、私は、無精髭やノーネクタイの久米宏は好きではなく、スタイリストの久米麗子がセンスよいスーツとタイを選んでコーディネイトしていた頃の久米宏が好きで、それはすなわち小林一樹が生きていた頃の絶頂期の番組の頃であり、だから六年前ぐらいの時期には『ニュースステーション』も毎日見る番組ではなく、一週間に一回見るか見ないかの視聴者になっていた。番組が始まった途端、画面がNYのWTCビルの生中継に切り替わり、二棟のうちの一棟が黒煙を上げる映像がずっと流れ、「どうやら小型飛行機がビルに衝突した模様です」という久米宏の説明が入った。朝のNYの空が青かった。それから暫くして、黒煙が勢いを増し、白いビルの壁面が真っ黒に変わる頃、一機の航空機が水平に来て二棟目のビルに衝突した。
CNNの音声を『ニュースステーション』の中継が拾っていたのかどうか、飛行機が二棟目に激突した瞬間、「Oh My God」という米国人の声が聞こえたような記憶がある。その瞬間に計画的なテロだと分かった。私が咄嗟に想像したのは、パレスチナ・ゲリラの仕業かということで、その当時は、ビンラディンなる人物もアルカイダなる組織も全く知らなかったから、イスラム原理主義の組織でここまでのテロを計画実行できるのはパレスチナ・ゲリラの中の一組織ぐらいしか思いつかなかった。「何をやってるんだ、アラファトは明日殺されるぞ」などと勝手に思って動転しつつ、同時に、「いくら彼らが自暴自棄になってもここまでの無謀はないだろう」と疑っていた。そして、この歴史的なテロ事件が、間違いなく自分の身に悪い影響を及ぼすだろうという予想も立った。私には何が攻撃されたのか分かったし、攻撃の動機もすぐに理解できた。
そして、攻撃された側である<帝国>は必ず復讐するだろうし、その復讐は大規模で残酷な破壊になるだろうし、それはだから、ナチスが一人の兵士をパルチザンに殺されただけで村中の人間を殺戮して焼き払ったのと同じほどの無慈悲で徹底した復讐が世界を覆うだろうと予想した。弱い私は彼らの逆襲の巻き添えを食って不幸な目に遭うだろう、テロで傷を受けた<帝国>が復讐鬼となって世界で暴れ狂い、無辜な人々を見境なく殴り、殺し、奪い、代償行為する暴力の渦の中に、自分も犠牲者の一人として入るだろう。そういうことを静かに考えたけれど、果たして、その予想は見事に当たった。私だけでなく、日本の中産層で平和に暮らしていた多くの人間が程度の差はあれ犠牲者になった、と思う。嘘だと思うなら、ブログの読者は六年前と現在で自分の貯金残高を比較して欲しい。六年前と現在で年収金額の多寡を確認して欲しい。
<帝国>による諸国民の富の収奪は、六年前のテロ事件で拍車がかかった。残酷で無慈悲で徹底した収奪へとアクセラレートされた。それとこれとは無関係じゃない。攻撃されたのは<帝国>の経済的シンボルであるWTCと軍事的シンボルである国防総省だった。逆上して復讐鬼となった<帝国>は、パレスチナを始めとするイスラムの抵抗勢力には徹底した暴力と嗜虐で向かい、日本の中産層のような「羊」たちには呵責ない収奪と搾取で臨んだのである。私が、自分も犠牲者の一人になるだろうと思ったのは、事件を計画実行したテロリストたちと私の「敵」が同じであり、言わば生きる動機が同じ(=反新自由主義)だったからである。いま私たちが憎悪をこめて「新自由主義」と呼ぶ敵は、彼らイスラム原理主義者にとっても同じ敵であり、彼らと私の違いは政治的手段の選択の問題だけなのだ。辺見庸は、その瞬間、快哉を叫んだと告白している。
だから、私は911の犠牲者に同情の言葉は言わない。気の毒なのはWTCの犠牲者よりもアフガンやイラクの犠牲者だ。事件では日本の金融機関の人間が多く犠牲になった。だが、WTCはその前に一度テロの標的になっていて、マネジメントに危機管理能力があったなら、支店をWTCから他に移す経営判断は十分可能だった。WTCが標的になったのは、そこが世界の金融センターであり、グローバル資本主義のキープレーヤーたちがマネーを回し増殖させる本拠地だったからだ。シンボルだったから攻撃し破壊したのである。日本の民放局は、まるで日本国民が911事件の犠牲者であったかのような演出で追悼特集番組を放送しているけれど、その放送局が8月6日や8月9日に慰霊の特集番組を制作して放送したのを私は見たことがない。日本国民は911の犠牲者ではない。逆に、911から始まる<帝国>の怒髪の逆襲、カウンターテロの暴力と収奪の犠牲者なのだ。
たしか、下のこの写真が、事件の直後から数日間、ずっとYahooのトップページに貼りつけられていた。
辺見庸に倣って告白すれば、私自身も少なくない「快哉派」の一人であり、午後11時頃になって国防総省襲撃の報が齎され、同時多発テロの全体が明らかになり、「ハイジャックされた飛行機が何機か西海岸に向かっているとの情報もあります」と伝えられたときは、アルコールが入っていたせいもあり、「そうか、そうか、それならシアトルの○○○○ソフト社まで飛んでくれよ」 などと物騒で不謹慎なことを思っていたのである。