
仙台の駅前、丸光百貨店(当時)の裏通りに八重洲書房という本屋があり、私がこれまで出会った書店の中で最高の店だった。日本一の書店。仙台はいつでも素敵な町だけれど、八重洲書房がなくなったことで、私の中では町の価値が半減してしまった。ネットの中を検索すると、やはり、ありし日を懐かしむ声や閉店を惜しむ声が散在している。八重洲書房に初めて出会ったのは、今から23年前のことだった。それから10年後には店はすでに町から姿を消していた。駅から近くて便利なこともあったが、仕事で仙台を訪れた際は必ず立ち寄って、一時間ほどを店の中で過ごしていた。仙台へ出張する最大の楽しみが八重洲書房だった。人は人生の中でどうしても失いたくないものがある。しかし、人が生きて行くということは、失いたくないものを一つ一つ失って行くということでもある。

八重洲書房の閉店は、私の中ではとても大きな痛恨事で、村上春樹的な喪失感と孤独感の中で諦観するしかない不条理な出来事だった。小さな本屋だったが、そこへ行けば必ず提案があり、すなわち発見があった。読むべき本を若い私に教えてくれた。堀田善衛を教えてくれたのも八重洲書房だった。それまで、あの有名な岩波新書の古典も含めて、私は堀田善衛を実際に読んだことがなかった。エッセイ集である筑摩書房刊の『歴史の長い影』を初めて手に取り、帰りの東北新幹線の車内で読んでから、そこから堀田善衛の作品との付き合いが始まった。こんな作家がいたのかと、それから夢中になって読み始め、読後の充実感を味わった。『ゴヤ』、『路上の人』、珠玉の名作を通じて堀田善衛にヨーロッパを教えてもらった。私が知りたい「ヨーロッパとは何か」を堀田善衛は若い私に丁寧に教えてくれた。

特にそのとき知りたかったラテンヨーロッパの思想像を教えてもらい、自分の世界が広がった。堀田善衛は全てが素晴らしいが、何がいいと言っても、あの文章が本当に素晴らしい。『インドで考えたこと』は現代国語の教科書に載っていたらしいが、堀田善衛の文章ほど文章の勉強になる文章はない。手本になる。人は誰でも、名前と書名はよく知っていても、実際には読まずに済ませている作家や作品が多くある。八重洲書房がなかったら、私は堀田善衛を読まないまま年を重ねていただろう。八重洲書房がずっと続いて営業していたら、私はもっと多くの本を読み、読書家として自信のある自分自身になっていたかも知れない。八重洲書房のような本屋は東京にはなかった。少し違う。例えば、確かに三省堂神田本店の4階は提案をしている。優秀な人間が考えてアソートメントとプレゼンテーションをしている。それは事実だ。

それは東京堂神田本店もそうだし、ジュンク堂池袋店もそうだし、八重洲ブックセンターも、紀伊国屋新宿本店も同じだろう。だが、違う。八重洲書房とは違う。八重洲書房の場合は、本当に「ハズレ」が無かった。全てが栄養分になり、自分の世界になるものばかりだった。提案を丸ごと受け入れられた。自分自身そのものだった。実は東京に来たときから、そういう感覚はあった。当時の国内最大のメガストアは八重洲ブックセンターで、そこの2階の奥隅には、岩波書店とみすず書房と未来社の書棚が並んでいた。それを見て満足はできたけれど、期待する本屋のイメージとは違っていた。それから、有名なウニタ書房にも潰れる前に一度だけ行ったが、店に入った瞬間、「これは違う」と違和感を覚えた。自分の求めている世界じゃない。同じ違和感は、今でもブログ左翼の軽薄な文章に感じる。私はイデオロギーの趣味者じゃない。

神田をうろつくのは確かに楽しいが、あそこを徘徊している人間と私との間に連帯感のようなものは何も感じない。書店の人間との間にもそれはない。神田を歩きながら、私は孤独であり、すれ違う人間も同様に孤独に見える。もっと言えば、あそこを歩いている人間は、読書人もいるけれど、それ以上に「紙」を生産、販売して食っている人間が多い。知識人ではなく商売人がすれ違う。彼らの関心は知識ではなく売上と利益である。だからこちらも、ボラれないように、本屋や出版社のブランドで騙されないように、偽物の本を掴まされないように警戒するのだ。八重洲書房ではそんな警戒心は全く持つ必要がなかった。八重洲書房の書棚で薦めている本を素直に読めば、それが自分の栄養になり、新しい知識世界の広がりに繋がった。八重洲書房では孤独感は感じなかった。そこは丸山真男が言う「知識人の共同体」を実感させてくれる空間だった。

仙台には有名な初売りがある。八重洲書房の初売り風景は壮観だった。初売りでは商品の値引きがある。仙台中の知識人が集まってきて、目当ての本を大量に買い込み、両手に抱えて列を作っていた。賑わいのある美しい風景だった。客たちは皆いい顔をしていて、知識人の祝祭広場を感じながら時を過ごすのが楽しかった。できれば仙台に八重洲書房を復活させて欲しい。八重洲書房がなくなったとき、ああいう本屋を求めている自分のような人間は、世の中の圧倒的少数派で、時代の中で絶滅種に指定された人間で、市場的に価値を認められない存在なのだと実感した。けれども私は、その後も自分の生き方を変えることをせず、八重洲書房的な理想や価値を捨てずに生き続けている。それは一言で言えば知識人の生き方への夢とこだわりであり、その可能性を紡ぐと思われる行為を、しつこくしつこく、まるで昆虫が樹液にしみつくように続けている。

そして地方には、なるべくその土地土地の本屋が健在であって欲しい。現在は、大資本の書店が全国展開して、地方の一番店を全国ブランドの店が占めるようになりつつある。そのことによって、本はますます営利目的の紙商品となり、そして、地域に文化情報を発信し、知識水準を高める書店の機能や意味が薄れて行っている。地域の一番店は地域の資本であるべきだ。特に本屋は必ずそうあるべきで、地域一番店の書店が地域の文化に責任を持つのである。地域の文化的個性を守り、地域の子弟を教育するのである。書店は教育機関でもある。地域の人々がその書店に誇りを持つような書店でなければならず、行政はそれをサポートしなければならない。いつか必ずそういう社会になる。八重洲書房のような良心的な書店が地域に一つ一つ復活する時代が来る。捨てずに持ち続けた理想や信念が評価されるときがくる。そのことを信じて、何年かに一度は八重洲書房の思い出を書く。
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