一昨夜、田中康夫代表から電話があり、初めて直接に声を聞く機会を得た。テレビで聞く声と同じだったが、しっかり落ち着いた響きがあり、発する言葉の輪郭が明瞭で、重量感があり、聞き取りやすく、それが非常に印象的だった。途中からやはり早口になり、単位時間あたりの情報量は多くなったが、それでも話が逸れたり曖昧にはならない。考えてみれば、現職の国会議員と直接に会話したのは、これが最初の体験だ。国会議員の候補者とは何十回も何十時間も飽きずに議論したことがあるけれど
(笑) 。 確かに、私は有名人の公党党首からメールや電話をもらって舞い上がっているのかも知れない。そうではないとは言わない。だが、田中康夫は単なる有名人やテレビタレントではなくて、私が「
華麗なる内閣」で経済産業大臣と国土交通大臣に指名した政治的実力者である。
政治家としての能力を期待し、見込んでいる大型の指導者なのである。もし私が菅直人から電話をもらったなら、私はやはり有頂天になって大はしゃぎし、即座にブログで事実を公開することだろう。菅直人は「
華麗なる内閣」の副総理格なのだから。橋本大二郎から電話をもらっても嬉々満面になるに違いない。三人とも現在の日本では数少ない、本当に希少なステイツマンだから。司令塔の内橋克人から電話をもらったりしたら、興奮のあまり鼻血を出して止まらなくなるだろう。国谷さんから電話が来たら、そのまま失神して、二日間ほど寝込んでしまうかも知れない。田中康夫には毀誉褒貶がある。しかし、それは誰でも同じことだ。菅直人も同じだし、橋本大二郎も同じだし、榊原英資も同じだ。言いたい文句は山ほどある。だが、それをはるかに超えて、政権を執らせたい能力と魅力がある。
02年に82万票を与えて田中康夫を知事に再任した長野県民は、4年後の06年には票を53万票に減らして敗北させた。村井仁も悪くないが、選ぶのなら田中康夫だろう。大衆の民意が常に正しいとは限らない。05年の衆院選挙を知る者はそれを否定できないはずだ。私は長野県の政治を細かくは知らないが、似たような毀誉褒貶の愚劣と痛痒は多少とも経験したような気がする。「テサロニケさまからTBをもらっちゃったよー」と大騒ぎしていたのが、やがて「テサロニケさん」に変わり、あっと言う間に 「テサロニケが」 と呼び捨てになって、嘘と誹謗中傷を吐き散らし、ブログをネットから排斥する扇動に血道を上げるようになっていた。大衆の毀誉褒貶とはそんなものだ。勝手に偶像を作って勝手に自分で叩き壊す。田中康夫が変わったわけではない。知事としての政策や政治手法が4年間で変化したわけではない。
田中代表から防衛省疑惑に関して多くの有用な情報提供を頂戴し、早く本題に入って追及の筆を走らせないといけないのだが、当初の予想に反して特捜が宮崎元伸に手を伸ばそうとせず、守屋武昌の国会証人喚問を気長に待機している情勢もあり、私自身も疑獄の中身に斬り込む手前で、気分は田中康夫論の方に脇見したままでいる。
前の記事で「田中康夫は大衆の支持を掴んでいる」と書いたが、実を言えば、田中康夫に心を半分ほど掴まれている身内の者がいて、上の認識はその者を観察しながらの結論でもある。「あんなののどこがいいんだよ」と私は22年前から12年前まで言い続けたが、身内の評価は変わらなかった。私と身内は同じ対象の評価をめぐって、「強烈なアパシー」と「何となく軽い支持」で分裂したまま十年を過ごした。そして時は流れ、ベルリンの壁崩壊があり、阪神大震災時のボランティアの逸話があった。
何となく軽い支持。それは何十年経っても変わらない。そうなると、こちらが田中康夫の「いいところ」を探さなければならなくなる。私の菅直人への評価は、あの薬害エイズ事件のときの遺族への土下座の謝罪で決まった感があるが、田中康夫への評価は、長野県知事になって、浅川ダムの建設をめぐって土木建設部長の光家康夫と対決したときの映像でほぼ決定的なものになったように思う。地方一県の土建行政をめぐる騒動だったが、キー局のテレビカメラが長野に集まり、連日、二人の一挙手一投足を追いかけて全国放送していた。脱ダム宣言の政治はよかった。去年の今頃だったか、
とくらさんと話をしていて、「来年の東京都知事選の
全野党共闘候補は田中康夫だよね」で意見が一致していた。残念ながら現実にはそうならず、提起も起こせないまま時間が過ぎてしまったが、石原慎太郎に勝利する統一候補は田中康夫だけしかいなかったと私は思う。
街づくりの運動を続けてきた専門家のとくらさんには、私などよりはるかに高い田中康夫への支持と評価がある。が、面白いことに、とくらさんは、電話で政治家の名前を言うとき、菅さん、小沢さん、岡田さんと言い、あの前原誠司に対してまでさんづけして前原さんと呼ぶのだが、田中康夫に対しては、そのまま田中康夫と呼び捨てなのである。田中康夫さんと言ったのを聞いた覚えがない。年齢がほぼ同じということや、テレビで昔から顔なじみの芸能文化人キャラという親近感があるのだろう。恐らく日本中の同世代の女性が同じ感覚を共有しているのではあるまいか。そして、ここ二十年間のマーケティングの世界では、「女性が好むものを注目せよ」の鉄則がある。同世代の女性たちの親近感の事実には意味がある。田中康夫のメディア批評を注視するのは、男以上に女であり、発信するメッセージも、想定されている読者のコアは女性なのだ。「何となく軽い支持」が勝利したのは、そういうジェンダーな時代の変化があったからだろう。
【CM】
浜四津代表代行、Googleキーワード検索で初登場第2位
(笑)
フェリスの
三田村雅子先生、現在第8位でランキング上昇中