走る電車の窓から小さな公園の銀杏並木が見える。朝の陽射しを受けて黄金色に輝いている。枝からすべての葉を落とす間際、最後の輝きを放っている。人の年齢で言えば50歳くらいだろうか。昨夜の報道番組ではOPECの総会と原油高がニュースになっていた。田中宇が原油バブルの問題を記事にするのを待っているのだが、なかなか出て来ない。現在の市場の動きを見て、原油バブルの崩壊と決めつけてよいかどうか、エコノミストとして判断を迷っているのだろうか。私は
前の記事で、田中宇について、「昔はこんなに経済通の人ではなかった」と書いたが、それは私の認識の誤りだったようだ。自己紹介を見ると、東北大学で経済学を勉強している。共同通信の記者時代は経済問題を取材して記事を書いている。エコノミクスの素地は後から身につけたものではなく、最初から彼が持っていたものだった。やはり地方の国立大学の出身者は違う。学問を身につけて卒業する。
原油価格は上がるのか下がるのか。これが、今、世界中で最も大きな関心事である。原油バブルは頂点に達したのか、それとも、まだ先に本当の頂上があるのか。私は大学では経済学を専門的に勉強しなかったが、大学時代に買ったり読んだりした本は、政治学より経済学関係の方が圧倒的に多かった。なぜなら、その当時の社会科学の基礎なるものは、その半分ほどが経済学の知識(経済
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済史)であったから。法学部の学生でも経済学を勉強しなければならなかった。だから、そのせいで、そのおかげで、エコノミーにもエコノミクスにも興味と関心を失わずに生きられている。教育を施してくれた国立大学に感謝している。原油価格は下がる。二週間前にそう
結論して見解を公表している私にとって、この二週間(11/22-12/5)の原油価格の動き、1バレル99ドルから87ドルに下がった価格変動は、まさに原油バブル崩壊の第一段階の経済現象である。原油高はピークを超えた。
その判断の根拠を私なりに説明したい。昨夜のNHKの7時のニュースでは二番目に原油高の問題が取り上げられ、そこに住友商事金融事業本部の高井裕之が出てきて「専門家の解説」を加えていた。高井裕之は次のように説明した。①現在の原油価格は投機マネーの流入によって価格構成されている。②8月に起きたサブプライム問題の影響で、投資機関が金融資産から実物資産へと投資対象を移し、そこから原油価格が二倍近く上昇した。③今後とも原油への投資圧力は止まらず、産油国が増産しようが減産しようが、原油価格のアップトレンドは変わらない。以上。いかにも7時のニュースらしく政府の意向を国民に伝えている。今後も原油価格は上がり、末端の石油製品価格も上がるから、価格高騰に備えて覚悟をしておけよという御触れである。消費者に対しては石油価格上昇の必然性を納得させ、業者に対しては石油関連製品の値上げを側面支援する。下々の国民にも周知徹底させたから、心置きなく価格を上げていいぞと言っているのである。
私の結論は、高井裕之の判断と真っ向から対立する。が、現在は、高井裕之的な原油価格上昇論が一般的であり、マスコミだけでなくネットの世界を見ても、原油バブル崩壊論を言っているのは私だけである。だが、例えば、米資のゴールドマンサックスとかリーマンブラザーズの人間なら、本当のことを知っているのだ。真実を知っているけれども、銭を儲けるためにそれを言わないのである。高井裕之も恐らく同じだろう。7時のニュースでの解説は情報操作である。嘘を言っている。解説の中に詐術があり、詐術は小さな論理矛盾として見え隠れしていた。どこが嘘か。投機マネーと投資資金とは違う。原油市場で取引されている商品はすでに実物資産ではない。金融資産である。そこが高井裕之の解説のトリックだ。原油価格高騰論の一般論の陥穽だ。高井裕之は「投資資金の実物資産への投資」と「投機マネーの金融資産への投機」を巧みにスリカエ、混同させ、論理の外見上の整合性を捏造し、説得力を演出している。NYMEXの原油取引は金融市場そのものだ。
投機マネーが原油市場に入り込んで、原油価格を実需以上に高騰させているという観点と認識は、私も高井裕之も同じである。投機と投資の違いについて、ここで蝶々する必要はあるまい。原油市場に入り込んでいるマネーは、投機目的のものであって、実物需要のものではない。現在、原油市場に流入する資金の50%が投機マネーであり、20%が米国の年金基金運用であると言われている。そうすると実需分は30%になる。大雑把に言って、原油価格が実需を反映したものであるなら、1バレル30ドルが均衡点なのだ。50%の投機マネーとは、ゴールドマンサックスやリーマンブラザーズなど米国金融資本の資金である。ここまでは、私も高井裕之も認識は同じだろう。トリックはここからであり、ゴールドマンやリーマンのような金融米資は、原油を「実物資産」として投資しているのか「金融資産」として投資しているのかという点である。高井裕之は、「実物資産」という言葉を出して、原油がサブプライムなどと違って、いかにも実体のある堅実なものであるかのように表象操作を行った。
その説明によって、視聴者はサブプライムと原油との差異を感得し、サブプライムはバブルで弾けたが、原油はそうはならないだろうという予感を持つ。そこが味噌だ。原油はモノだが、原油市場で売買されている商品はモノではない。高井裕之の言う「金融資産」である。米資は「金融資産」から「実物資産」へとマネーを移したのではなく、金融商品から金融商品へとマネーを移したのである。原油市場に投機マネーが流入しているという漠然とした事実は誰でも知っているが、それが具体的にどのような金融メカニズムになっているのかを解説する人はあまりいない。住宅バブルの金融メカニズムについても、サブプライムとかモーゲージとかいう言葉が一般報道に出てきたのは最近のことで、私も何で米国で住宅が売れ続けるのか(エコノミクスの了解として)分からなかった。今では分かる。原油市場にも似たようなバブルを生成増殖させる金融メカニズムがあるはずだ。金融商品として売り買いされているのは債権のはずだ。債権が商品化されているはずだ。売買で得るのは実物ではなく銭(ゼニ)だ。
例えば、原油が30ドルから40ドルに上がったとき、1バレル45ドルで買える権利(債権)を証券(債券)として売る。それは単なる権利証書であり、ゴールドマンサックスが作ったペーパーである。だが、原油が値上がりしていて、すぐに50ドルになるという市場状況があれば、人はその商品に飛びつく。買う。50ドルになった時点で権利行使して売買すれば5ドル儲かる。その債券は原油が75ドルになれば、ペーパーに70ドルの値がつく。最初に1枚45ドルで買った者は25ドル得をする。ペーパーを1万枚買った者は25万ドルの利益を得る。そのようにして、金融資本は、原油が1バレル50ドルになれば1枚55ドルの債券を発行し、1バレル60ドルになれば1枚65ドルの債券を発行し、1バレル70ドルになれば1枚75ドルの債券を新たに発行する。それは市場で売れる。原油が値上がりし続けるという状況があり、債券の売買による差額利益が見込めると思う人間の欲望が債権市場を膨らませる。こうした米資の大きな原油債権が、きっとサブプライムのように細かく分割されて、小さな派生金融商品に組み込まれて流通しているはずだ。
そして、当然のことだが、原油債券を1枚75ドルで買った者は、1バレル70ドルに原油価格が下がれば5ドル損をする。1バレル50ドルになれば25ドル損をする。債権というキーワードを入れて考えれば、原油市場の経済は、御用アナリストが解説する一般像とは違うものが認識の中に入ってくる。原油高の正体は債権膨張である。それが私の原油価格論であり、原油市場認識である。さて、ここまでが序論で、ここからが本論なのだが、予定の紙幅を大幅にオーバーしてしまった。第二のキーワードは信用収縮である。信用収縮とは何か、信用収縮が原油バブルをクラッシュさせるエコノミクスとはどのような観点と論理か。それを次に述べる。原油高が果てしなく続くと言う御用アナリストの言説の中には信用収縮の経済学の視点がない。
【編集後記】
私が社会科学と言う場合、そこには三つの意味がある。大学に入って一生懸命に勉強した社会科学、裏切られた思いで捨てた社会科学、そして自分で作り上げた社会科学。私が社会科学という言葉を消極的に使う場合は第二の意味であり、積極的に使う場合は第三の意味である。
第一の社会科学については説明するまでもない。マルクスとウェーバーの日本社会科学であり、講座派と大塚久雄と丸山真男との社会科学である。宇沢弘文や宮崎義一も入れていいだろうし、私は鶴見良行の東南アジア研究も第二ではなく第一に入れる。方法は別にして精神が第一だ。
第二の社会科学というのは、ブログの読者ならよくご承知だけれど、一言で言えば「脱構築の社会科学」であり、80年代以降の日本のアカデミーを制した
社会科学である。東大出版と岩波書店と未来社の社会科学であり、山之内靖と姜尚中と上野千鶴子の社会科学である。生産力のない
社会科学。
ネットで消息を探していたら、
去年の動画が上がっていた。
思ったとおり、声は生まれながらに大型政治家をしているね。
だが、Cassini、
現場でメモを丸読みしてはだめだよ。
原稿は暗記して頭に入れなきゃ。