
原油価格が今後上がるか下がるかを予想するにおいては、
前回の記事で述べた債権論に沿って、それぞれが投資家の立場に立って考えてみるとよいだろう。すなわち、1バレル100ドルで原油を購入できる権利が保証されたゴールドマンサックス発行のペーパーをあなたは買いますかという設問に自答することである。相場が120ドルになれば20ドル儲かる。140ドルになれば40ドル儲かる。悩ましいところかも知れないが、多くの人間は躊躇して二の足を踏むだろう。現時点でその投資はリスクが大きすぎる。確実な利益を見込めない。一昨日(12/5)の夜、ニュース番組ではOPECの総会の模様が報道され、併せて国内での石油関連製品の値上げの問題が紹介された。昨日(12/6)の朝日新聞の一面トップはOPECが原油増産を見送った件とそれが原油価格に及ぼす影響を書いた
記事で、「増産の見送りがさらに相場を再騰させるおそれもある」と指摘している。

さらに、「市場が『据え置きは高値の容認』と受け止めれば、なお歴史的水準にある原油高が続き、再び1バレル=100ドル台に迫る可能性がある」と書いている。この12/6の朝刊一面記事は、実は12/5の夜の22時32分に書かれた記事で、恐らく記者はその日のNYMEXの相場も反転上昇すると予想していたのだろう。だから日本時間の12/6早朝に出るNYMEXの相場は誰もが注目したし、私も固唾をのんで見守った。実を言えば、昨日の記事は、
12/6朝の原油価格の動きを見て、バブル崩壊を確信して執筆と公開に及んだものである。OPECの増産見送りの報を得ても、12/5の相場は反応しなかった。逆に相場は下落し、終値で一か月半前の水準の87.49ドルをつけ、時間外取引では86ドル台に下落していた。今日(
12/7)は終値で90ドル台を回復したが、時間外取引では85ドル台まで値を下げている。高値で維持したいOPECが増産据え置きを言っても市況は反応しない。朝日新聞やNHKの予想報道を裏切る市場の動きとなった。

一方で
NY株式の方は好調に上がっている。市況について短絡的な見方はできないが、FRBや米資にとっては、今はオイル(NYMEX)よりダウ(NYSE)の方が上がってくれた方が都合がいいだろう。なぜなら、今はクリスマス商戦の真っ最中で、小売店が年間の4分の1を売り上げる季節である。ダウが下がれば消費者心理は冷えて財布の紐は締まる。オイルは逆に下がってくれた方が消費者心理にプラスになる。FRBと米資がそのために両方の市況を裏で調節していると考えるのは穿った見方に過ぎるだろうか。ダウが下がり、消費者が購買を控えると、今度はクレジットカード債権の方に危機が訪れる。クレジットカード債権の金融事業にブレーキがかかると、住宅債権(モーゲージ)と同じ構図と論理で破綻の連鎖が触発される。だから、もしそうであれば、私の見方が的を射ていれば、クリスマスを境にしてダウは大きく反落するだろう。自由経済とか市場原理とか言いながら、新自由主義の実体は強者のカルテルである。一握りの米資による計画経済そのものだ。

それでは、信用収縮の問題について。昨日の記事の続きだが、モーゲージ(住宅債権)から原油へと投機マネーがシフトした点については、私も高井裕之も認識はほぼ同じである。だが、高井裕之は今後もその資金移動が盛んに続いて原油価格を押し上げ続けると言う。アップトレンドを断言する。私は、ドル経済全体に信用収縮が起き、その深刻な影響が原油市場にも波及して、原油価格は下落すると予想する。ダウントレンドを結論する。二人の認識は大きく異なる。私の観点から言えば、高井裕之やその他の論者は「信用収縮」という経済の生理を無視している。あるいは意図的に議論の中で隠蔽している。信用収縮とは、字引の定義を読むと、「金融市場で取引が停滞したり、資金供給が細る現象」とある。それほど難しく考えなくても、われわれ日本人は信用収縮の過程と現実をイヤと言うほど見てきたし、エコノミクスの概念での説明は全く不要なほど、日本人はそれが何かをよく知っている。経済現象としての信用収縮を世界中で最もよく理解しているのが日本人である。

11/29の読売新聞の
記事に、米国の金融機関が2007年7-9月期に約166億ドル(約1兆8100億円)の不良債権処理をしたとある。その中身は、住宅債権の貸倒引当金の積み増しと保有証券値下りによる損失計上。これは7-9月期の数字であり、さらに融資の焦げ付きと証券価格の下落が続いていて、10-12月期は一段と悪化する可能性があると書かれている。9月末時点の不良債権総額は約830億ドル(約9兆500億円)。田中宇の
記事では、不良債権総額の予想として1兆ドル(約109兆円)の数字が上がっていた。要するに、米資といえども、米国金融機関といえども、不良債権を抱えたら日本の銀行と同じように貸倒引当金を積み増さなくてはいけない。金融機関が不良債権処理に走ると信用収縮が起こる。金融機関は経営を防衛するために自己資本の充実を図り、融資を回収して現金を自己資本に置こうとする。日本では企業に対する貸し渋り・貸し剥しが横行して実体経済に打撃を与えた。原油市場に投機マネーを入れているのも、モーゲージの不良債権処理で七転八倒しているのも、その金融プレイヤーは同じである。

シティとかメリルとかモルガンとかリーマンとかゴールドマンとか、同じ金融資本である。バブル経済崩壊と不良債権処理の社会で15年間年生きてきたわれわれは、何が起きたかをよく覚えている。米国では住宅と原油なのだが、われわれのときは株と土地だった。忘れた人間はいないだろう。高井裕之やアナリストが言っているのは、株バブルが崩壊したから、金融機関は資金をどんどん土地に入れるだろうから、土地は果てしなく上がり続けるだろう、とそう言っているのと同じなのである。その論理が誤りであることは日本人なら経験で誰でもわかる。株が下がれば土地も下がるのだ。金融機関は土地を買うのではなく、土地を売って株の損失を補填するのだ。金融機関が不良債権処理を始めたら、ゴルフ会員権とか金融資産はどんどん下がり、その時点では問題のない債権でも半年後には不良債権化する。米国の場合、金融商品として発行し流通している債権の価格が全て下落する。売り抜けして利益を出そうとする衝動によって、高値の金融商品は値を下げる前に売られる。日本の株と土地が米国の住宅と原油である。住宅が下がれば原油も下がる。

以上、信用収縮の観点からの私の原油価格下落予想を説明した。もう一つ、これは共同通信の
配信記事にもあったが、イランが2003年に核開発計画を中断していた事実を米政府が認めたことも大きい。原油価格を上げるためにはイランと戦争を始めるのが最も早道だ。今度の原油バブルも、米国は中国や新興国の工業発展と石油消費に責任を転嫁しているが、最大の原因と発端はイラク戦争である。われわれはその事実を忘れてはいけない。原油バブルは人災であり、世界中の庶民が苦しめられ、今後も物価高のために苦しめられる。チャベスやアフマディネジャドは、もう暫く原油の高値を維持したのだろうが、彼らは原油バブルが間もなく崩壊することを知っている。だから、稼いだオイルマネーをドルベースの原油債権に注ぎ込んでバブルを煽るという真似はしていないだろうし、もし仮に債権を持っていたら、先に売り抜けることを考えるだろう。ペーパーは持っていれば紙屑になる。原油の動きを見ていると、15年前の日本の株と土地を思い出す。少し下がり始めても、また上がるんじゃないかと誰もが思ったし、私もその例外ではなかった。半年間はそう思った。
米国は大きく変わるだろう。新しいバブルを興す前に、不良債権処理と基軸通貨危機の打撃で経済が麻痺するだろう。
【ブログ政界面】
次の記事で書くことになるかどうか、福田首相が新テロ特措法を衆院で再議決する意思を固めた件。この報道は昨日12/6の未明に読売と産経の二紙で報道された。その夜のNHKの7時のニュースでも放送されたが、私はこれは単なるブラフではなく、実際に再議決するのではないかと見ている。これまでは、問責決議とその後の解散が恐くて、福田首相は再議決・解散はしないだろうと見られていたし、私もそのように考えていた。公明党の躊躇を理由にして、再議決を見送るのではないかと思っていたのである。
が、何かあったのだろう。方針転換した理由として考えられるのは、小沢一郎と談合の決着が着いたのではないかという想像である。例えば、衆院での再議決を前提にした参院の審議と採決はかなり揉める。自民と民主の激突になる。そのとき、民主の右派がスルスルッと妥協を言い出すのだ。「問責や解散になったら面倒だから、自民党と妥協しよう」とか、「給油活動の規模を縮小して、一年だけの時限立法で合意しよう」とか。そういう声が上がる。
そして、自民と民主のガチンコ対決だった新テロ特措法が、いつの間にか、民主右派と民主左派の党内対決の構図に変わる。その対立をそのまま引き摺って、正月明けの民主党大会で揉め、右派が参院で自民党からの妥協案に乗って、新テロ特措法修正案を通す。左右対立が激化する中で福田首相が解散総選挙を発表し、民主党右派が自民党と共に選挙を戦う事態になる。つまり政界再編とそれを前提にした総選挙。これは民主左派には最悪のケースだが、小沢一郎はそこまで準備できたのではないか。
小沢一郎が誰を北京へ連れて行ったのかわからないが、菅直人が同行していたとすれば、菅直人にとっては、今回の福田首相の「再議決決定」は寝耳に水の話だろう。東京で情報収集もできない。タイミング的に、クーデターを起こすには最高のタイミングである。どうも怪しい。それと、例の秋山直紀の国会喚問について、ニュースを聞いている限りでは、どうやら民主党は消極的らしいのである。秋山直紀の追及を始めたら、前原誠司や長島昭久の疑惑も追及される。民主右派にとっては防衛疑惑は早く幕にして欲しいのが本音だろう。
大連立、あるいは自民と民主右派の連立政権ができれば、少なくとも国会で前原誠司や長島昭久が追及される図はなくなる。あれだけ逃げ腰だった福田首相が強気に転じたのは、政界再編(参院での過半数割れ問題の物理的解消)の見通しがついたからだろう。選挙が恐くなくなったのである。小沢一郎が裏で手を差し伸べて協力したのでなければ、福田首相がこれほど強気になるはずはない。年末から年始にかけて一悶着ありそうな気がする。
この場合、規模(自民+民主右派)から考えて、言葉としては「中連立」と呼ぶのがふさわしいのかも知れない。「中連立」ができれば、すぐに憲法改正が日程に上る。それは間違いない。たしか政党助成法か何かの決まりで、政党助成金の支給は12/31か1/1時点の政党と在籍議員数で決まるというのがあって、この制度を利用(濫用)して、小沢一郎は政党を壊したり作ったりを何度も繰り返した。だから、年末が近づくと小沢一郎の「政界再編」に警戒心を抱く。
今回の場合は、「政界再編」は、単なる小沢一郎のバカ騒動で終わらず、憲法改正・集団的自衛権に直結するからである。警戒心が杞憂で終わればよいが、そういう私の目から見れば、「小沢さんが代表じゃなきゃ絶対だめ」などと言っている人たちの政治的感性というものが全く理解できない。この人たちは、小沢一郎が総理大臣のポストをとれば、中連立でも大連立でもいいのだろうか。農家最低所得保障と子育て支援と年金改革ができれば、憲法改正でも問題ないのだろうか。
