昨夜(12/16)NHKで放送された『
ワーキングプアⅢ』はとても感動的な番組だった。心を揺さぶられる構成と内容で、制作したスタッフの知性と勇気にあらためて尊敬と感謝の意を表したい。中学校で3年生に公民を教えている教師は、この番組の録画を教材利用することを考えて欲しい。社会科とは何か。社会科学とは何か。それは単に制度や知識の問題でなく、人間の生き方を教えるものであり、人間の感動に関わるものである。あの番組を見て、生徒が心から感動して、社会はどうあらねばならないかということを考えて、それを作文にして発表できれば、中学校3年生の社会科教育の到達点としては十分なのである。昨夜の番組はワーキングプアの問題を海外で取材するという触れ向きだったが、中身は違っていた。番組の主人公は第1回の放送で登場した35歳の池袋のホームレスの青年(岩井さん/仮名)だった。
彼が仲間たちと立川での清掃仕事に従事するようになり、周囲から認められ、まともな食事をとる生活ができるようになり、人間としての感情を取り戻したことが報告されていた。それまで、コンビニのゴミ箱から雑誌を拾って売り、即席めんの食事を一日一回で終わらせ、「将来の事とかは何も考えないようにしている」と心を閉ざしていた彼が、同じ路上生活者の仲間のために力になり、役に立つ人間になろうと誓う人間になっていた。番組のキャスターは、彼を通じて「働くことが社会と繋がり人間の尊厳を回復することだということを学ばされた」と言っていたが、その言葉が演出でも脚色でもなく、報道者の真実のメッセージであることは、撮影するカメラが隠さず語っていた。番組のスタッフと同じように、視聴者である私もまた学ばされたと思う。それはやはり、人間の尊厳の問題という言葉につきる。人間の尊厳、その美しさと気高さに心を打たれた。
ワーキングプアと言われ、社会の下層で生きる人々の実態を描いた番組だったが、しかし、番組に出て来る人たちの全員が清々しく、いい人たちばかりが出て、見ながらそのことにも感動させられた。日本人はまだ捨てたものじゃないという希望を確かめられて救われた。この番組を見て持つ感想は、絶望ではなく希望なのだ。希望がメッセージされている。池袋の青年の姿や釧路の女性指導員の姿は、本当に、見ていて生きる希望と勇気をこちらに与えてくれる。絶望してはいけないこと、社会との繋がりを持つこと、少しでも着実にステップアップを実現すること、人を信じること。この番組が日本中のどれほど多くの人間を励まし勇気づけることだろう。こういう番組を制作して放送できるのはNHKだけだ。「クローズアップ現代」と「NHKスペシャル」だけである。われわれはNHKに感謝しなくてはいけない。ありがたいと思うべきだ。NHKに感謝して、市民の政治行動に繋げるべきだ。
今回、キャスターは、「働くということの意味と価値をないがしろにしてきた国と社会のあり方に強い憤りを覚えます」とまで言った。一歩踏み込んだ。第3回目の今回の番組は、「解決への道」と題されたもので、英国と米国ノースカロライナ州での社会政策が紹介されていた。新自由主義を先行させた英国では、今度はその弊害に対策するべく国家を挙げて大掛かりな貧困対策のプロジェクトが遂行されていた。年間15兆円の予算を使い、職業のない若者を訓練する「社会的企業」を全国で5万社募って資金援助を出していた。政府が貧しい家庭の子供のために預金口座を作り、毎年高利子を配当して、高校卒業時に大学進学で工面できる金額になるように就学支援していた。見ながら、これがあれば、前回の放送で出てきた千葉の夜勤のガソリンスタンドで働く父親も子供を大学に進学させられるのにと思った。英国を見習うのが大好きな日本だから、この制度はすぐに真似すればいい。
番組は日本政府に政策を転換するように明白に迫った。その方向で世論を喚起するのだと覚悟を示した。立派としか言いようがない。番組の見どころとメッセージは他にも幾つもあった。米国の専門家の発言だったと思うが、「昔のフォードの経営者は、従業員が車を買えるようにするというのが経営の一つの目標だった」と言っていた。日本も全く同じではないか。松下幸之助は、自分が貧乏で苦労して、日本中から貧乏をなくすことが事業の目標であり、家電製品を水道の水のように大量生産すれば製品の価格が下がり誰でも買えるようになるのだと言い、日本中の家庭に家電製品を普及させようとした。人々の生活を豊かにすることで会社の利益も得ようとした。根本的な社会福祉の哲学を経営理念として持っていた。松下幸之助に限らず、戦後日本の偉大な経営者たちは、多かれ少なかれ社会貢献の目標を経営理念として掲げていた。それが今や、堀江貴文や三木谷浩史や村上世彰や折口雅博が経営者の模範像になっている。
もう一つ、内橋克人の「少数の人々の善意や犠牲で支えられる社会であってはいけない」というメッセージ。これも今まで内橋克人が何度も「クローズアップ現代」で言ってきた言葉である。何度か聞いた。これは現在の厚生労働省の「自立支援政策」への批判に他ならない。釧路のようなケースもそうだし、介護もそうだし、
障害者自立支援もそうだ。末端の現場で身を犠牲にして活動している人々の献身的な善意があって、はじめて制度が維持されている。それを厚生労働省の行政が前提にしている。カネの手当てを国がせず、現場の人間に無理と犠牲を強いて、それで救済されなければならない人が救済されるようになっている。現場で身銭を切ったり無償奉仕する人がいなければ、救済されるべき者は救済されないのだ。その何やら訳の分からない欺瞞的な「自立支援政策」を官僚の都合で適当に弄くって、いかにも自立支援行政をやっているように見せかけているだけである。連中は何もやってなくて、実際には冷酷に切り捨てているだけだ。
切り捨てているだけなのに、そうでないように見せかけて、そこに尤もらしい理屈と専門用語を塗しているだけなのだ。そして不要で無用な行政仕事を作り、厚生労働官僚がメシを食い、地方や海外に出張して豪遊し、審議会の親睦会でゴルフをし、天下りをして膨大な退職金をふんだくる受け皿を予算措置しているだけなのだ。弱者を食いものにしているだけだ。今の日本政府は清朝末期の政府と同じである。打倒しなければならない。
【ブログはNHK橋本会長の解任に反対する】
今日の東京はとても寒い。路上生活者たちにはこれから厳しい季節になる。しかし、さらに心配なことがあって、それはNHK経営委員会が橋本元一のNHK会長職を解任した
謀略事件である。経営委員会の古森重隆は外部から新会長を登用すると言う。誰の差し金だろう。古森重隆は安倍晋三が指名して経営委に送り込んだ人間である。安倍晋三が古森重隆をNHK経営委員会の委員長に据えたのは、NHKの受信料徴収難につけ込み、「改革」と称してNHK民営化を進め、その情報資産もろとも米資に売り払うためだった。
日本の新自由主義勢力にとって最大の癌はNHKである。新自由主義者たちはNHKの経営委員会に安倍晋三の息のかかった古森重隆を就任させるのと並行して、竹中平蔵が私的懇談会として立ち上げた「
通信・放送の在り方に関する懇談会」に結集し、NHKの解体と民営化の策動をずっと続けてきた。懇談会の座長は東洋大学教授の松原聡で、人も知る筋金入りの新自由主義者であり、狂信的な「改革」イデオローグである。きっと、新しい民間からの登用者は、竹中平蔵や松原聡の意を受けた骨の髄まで新自由主義者に違いない。
橋本元一は元来が技術畑の人間で、特にギラギラした野心もなく、海老沢勝二の失脚で不意に会長職になった凡庸な男である。際立ったカリスマはないが、05年の就任から3年、危機のNHKの中にあって現場の職員を大事にし、地味ながらNHKらしさの原点に帰るべく経営者の職責をよく全うした。歴史に残る報道傑作「ワーキングプア」シリーズは橋本元一の3年間の在職中に制作されたものである。橋本元一ぬきに「ワーキングプア」の放送は考えられない。しかも、その時期は小泉政権末期から安倍政権という史上最悪の政治的環境下だった。
部下に「ワーキングプア」を作らせた橋本元一は立派だ。他にもこの期間のNHKスペシャルは秀逸なものが多かった。「靖国神社」の特集番組も、多少の限界はあったが、よくぞあそこまで当時のNHKが作れたものだと今更ながら感心させられる。「新シルクロード」シリーズも素晴らしい作品だった。「同時3点ドキュメント」もよかった。第4回の「
煙と金と沈む島」は勉強になった。さすがにNHKだと思わされた。橋本元一はNHKへの国民の信頼を取り戻す途上にあった。この男にもう少し会長職を続けさせたい。心あるブログ読者はNHKに意見書を送って欲しい。
橋本元一の解任反対。ハゲタカの奴僕、新自由主義者はNHKから手を引け。