
人生がいつもすれ違いの繰り返しであるように、世界政治の流れも跛行型と言うか、めぐりあわせの悪さがある。米国ではこれから民主党政権が誕生して、対テロ戦争の終焉と中産層再建の社会政策が始まろうとしていて、米国を後追いする日本も同じ流れへと向かうはずなのに、韓国では左派政権が倒れて保守政権が誕生した。貧しい家庭に育ち、苦学しながら弁護士になり、常に弱者の権利のために体を張って闘い、民主化運動の先頭に立ってきた盧武鉉という男が私は大好きで、彼が大統領になったときは心から歓んだ。五年前のことを思い出す。あのときの大統領選は感動的だった。米軍の戦車に女子高生が轢き殺され、その怒りが爆発して韓国全土で反米ナショナリズムが燃え盛り、その反米運動の昂まりの中で、無名の盧武鉉が彗星の如く登場して大統領に当選した。民衆が星条旗を破り裂く仮想図を上空からの映像で演出するデモは印象的で、それは実に見事だった。

386世代がネットを駆使して主導する韓国民主主義の熱い鼓動。ジョンレノンの「イマジン」をバックに流した「盧武鉉の涙」の宣伝映像も素晴らしかった。何度か、数秒間だけ、日本のテレビでも流された盧武鉉の演説は、声が野太く、腹の底から響き上がって強烈なパワ-で見る者に迫るものだった。まさにカリスマ的な指導者の姿だった。そのとき日本は、何とも皮肉な跛行型の取り合わせと言うか、同じ02年の秋から冬にかけて、あの小泉訪朝に端を発した拉致問題の政治が始まり、社会は一気に極右化して、右翼国家主義だけが絶対的なイデオロギーとして支配する暗黒の時代へ変わって行った。そこから「悪の枢軸」の政治があり、イラク戦争と自衛隊派遣があり、朝鮮総連の事実上の非合法化があり、竹島問題が発生し、中国の反日デモへと繋がって行く。日本は狂気の時代にあった。毎日毎晩、夕方の民放ニュースは「喜び組」の映像ばかり流していた。そこに重村智計の顔があった。

私は盧武鉉に大いに期待したが、韓国の一般市民と同じく裏切られた思いでいる。二年ほど前、田原総一朗の「サンデープロジェクト」で韓国の特集を放送したとき、そこに信じられない映像があった。若者の失業が日本以上に深刻化してフリーターが増え、夥しい数のホームレスが公園の炊き出しに行列を作っていた。盧武鉉の支持率が低いのは格差拡大と経済への不満のせいだというレポートだった。だから国内の不満を逸らすために反日姿勢を強調しているのだという説明だった。それは「サンデープロジェクト」と重村智計の悪質な世論工作と言うべきだが、基本的に、左派政権が社会の格差拡大を放置しては存在の意味がない。盧武鉉に失望させられた。格差拡大を止めるのが左派政権の政策である。結果はどうなろうが、格差拡大を止めるべく何かチャレンジをしなくてはいけない。経済政策を立案して実行しなくてはいけない。盧武鉉が何か手を打ったとか、そういう情報はその後も全く聞こえて来なかった。

結局、大学卒業生の半分が就職できず、労働者の3分の1が非正規雇用で、中産層壊滅という新自由主義の地獄の現実が結果した。無策と言われても仕方ない。なぜ盧武鉉は何もできなかったのだろう。98年の通貨危機に襲われたとき、金大中は強烈な指導力で財閥を解体し、韓国経済を一気に市場原理主義のものに作り変えた。それを「改革」と言ったのは日本と同じで、「韓国は日本より改革のスピードが速い」などと称賛されもした。金大中が強権で断行したところまでは、改革(規制緩和)にも意味はあったのだろう。あのときのウォン危機のエコノミクス的真相が何だったのか、私には未だによく分からない。タイでバーツ危機も起こった。ヘッジファンドが仕掛けたと言われているが、関与したのは本当に金融資本だけだったのか。FRBや世界銀行は何も意図や目的は持っていなかったのか。何十年後かには真実が歴史として明らかになるだろうが、韓国もタイも英語圏ではない独立国だったという点が引っ掛かる。

あのとき以来、世界中でビジネスは英語以外ではできなくなった。それと関係するかどうか、盧武鉉は英語が話せず、米国を訪問した経験も一度も無かった。英語も日本語も堪能で米国経験の長い金大中とは対照的で、その点が盧武鉉のコンプレックスとして強くあったのではないかと私は想像する。改革政策(新自由主義)は金大中が遂行した政策だった。それを否定して新しい政策構想を対置する理論的な能力や自信が盧武鉉には無かったのだ。金大中の新自由主義路線をそのまま否定せず継承したのである。本当はそれはやってはいけなかった。財閥などアンシャンレジームを解体したら、今度は、新しいセーフティネットの韓国経済を構想構築する必要があったのだ。盧武鉉は優秀な男のはずだったが、確かに経済では無能な印象が強い。経済政策以外でも、大統領に就任後の盧武鉉は、就任前のエネルギッシュでパワフルな政治的闘士の像とは別人の観があった。韓米首脳会談でも、日韓首脳会談でも、実に印象が弱かった。

自信の無さが顔に出ていた。韓国は大国ではないのだから、指導者が国際舞台で外交するときはコンセプチュアルでなくてはいけない。世界のマスコミが注目する場で、新しい言葉(概念)を提案しなくていけない。金大中には「太陽政策」という彼を表現する言語があった。盧武鉉にはそれが無かった。内政にも外交にも構想を表す理念を提示できなかった。オリジナルな政治概念を開発できなかった。これは政治家としては完全に失格だ。リーダーは国民を指導する理念を掲げて引っ張らなくてはいけない。外交場面での盧武鉉は、表現は悪いが、何かおどおどした躊躇と逡巡の気配があり、これは韓国の国民の立場に立ってみれば、支持できない感情的理由の一つだっただろう。韓国人はプライドが高い。良くも悪くもプライド一つで世界の中を生きている。指導者には世界で認められて欲しいのだ。颯爽と活躍できる本格的な器量の人物であって欲しいのだ。もっと積極的に出て、小泉純一郎やブッシュを公開の席で論破してやればよかった。

一つだけ、恐らく盧武鉉が韓国の未来のために賭けた国家戦略があり、それはバイオテクノロジーだったと思うが、結果はあのとおり、国民を失望と憤慨の極致に追いやる醜態劇となった。あれは酷い。あれで盧武鉉は自分が大統領の器ではないことを認めたに違いない。韓国国民はあの種の恥辱を最も忌み嫌う。弁解できない自国の羞恥を国際社会の前で曝すのは、韓国国民にとっては耐え難い惨めな屈辱である。話を元に戻すが、盧武鉉が左派的な格差是正の経済政策に舵を取れなかったのは、自身に理論と構想がなく、金大中の「改革」路線をそのまま継承放置したことに加えて、そこにはやはり米国金融資本による謀略策動への恐怖感があったに違いない。下手に動いて保護政策的な動きをすれば、また(口実を与えて)98年と同じファンドの猛攻を受けるかも知れない。ウォンを紙屑に変えられるかも知れない。98年の通貨危機の悪夢は韓国人なら誰でも激痛の体験と共に覚えている。全てが没落した。あの混乱だけは二度と再現したくない。

それは、きっとこういうことなのだ。日本でも、本格的に格差を是正解消する左派政権を作ろうとすれば、新自由主義を否定して福祉国家を再建しようとすれば、盧武鉉が直面したであろう同じリスクを想定しないといけない。すなわち、一つは米国の政権の性格で、ブッシュやチェイニーが牛耳る<帝国>の米国であったなら、一国単独では左派政権は福祉国家に舵を切れない。北欧諸国がそのモデルを実現できるのは、EUとユーロという国家を防護する大きなセーフティネットが前提されているからだ。欧州の国にはファイアーウォールが保障されているのである。米資ファンドの攻撃から自国経済をプロテクトできる。米国が<帝国>でなくなり、オバマかクリントンの米国になれば、きっと韓国も本格的な左派的経済政策に踏み出すことができただろう。つまり、議論が飛躍するけれど、トロツキーではないが、言うならば、社会主義は一国では存立経営すること能わないのだ。南米も同様。新自由主義を倒して福祉国家を立てるためには国際的な環境が要る。
さらば、
盧武鉉。期待は裏切られたが、期待を抱かせてくれた昔の姿は悪くなかった。日本人として韓国の民主主義政権を側面支援することができなかったことを残念に思う。日本は最悪の暗黒の時代だった。日韓はいつもジグザグ。思いが重ならない跛行型。まるでNHKのドラマ「海峡」のようだ。これが二国の運命なのかも知れない。

一国主義ではなく国際主義でなくてはならないという議論は、たしか、和田春樹が92年に出した岩波新書「歴史としての社会主義」の中にもあったように思う。
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それにしても、田中宇の新しい記事 「世界多極化:ニクソン戦略の完成」、面白いね。