
薬害肝炎のニュースを見ているうちに、何だか自分の肝臓にも微かに痛みを感じてきて、数日前からアルコールを口にするのをやめている。被害者の話を聞いていると酒に手を出す気になれない。与党の中からも一律救済を求める声が強く上がっていたが、結局のところ、福田首相の政治決断はなかった。外聞を捨てて官僚の主張に従う方を選んだ。この国の官僚権力の強靭さに恐れおののく。官邸など意のままに動かせる。官僚権力の冷酷支配にも震え上がるが、今回の事件でそれ以上に衝撃なのは、あの薬害エイズ事件と全く同じ事件が目の前で繰り返されたことである。これは誰しもが感じていることだろう。薬害エイズ事件が世間で騒ぎになったのは、今から十年ほど前で、例の菅直人が厚生大臣になって、厚生省のロッカーから隠し保管されていたファイルを見つけ出したことがあった。菅直人は被害者家族の前に土下座して謝罪、大きな感動の政治の場面を作った。

「大臣、この子に謝罪して下さい」。被害者の遺影を抱えた女性の叫び声が耳に残っていて、その瞬間を覚えている身には、今回の薬害肝炎の事件や、その責任者たちがカメラの前で臆面もなくへらへらと言い逃れを言っている現実が信じられない。それはまるで、1945年8月に無条件降伏して平和憲法を制定した日本国が、その十年後に再び真珠湾攻撃をしたという情景と同じ意味の現実である。そんなことがあるはずがない。起こるはずがない。全く信じられず、呆然としてしまう。呆然とするのは、あの薬害エイズ事件の恐怖や不条理を全ての政治家やマスコミの報道人は目撃して覚えているはずなのに、どうして彼らは厚労官僚を責任追及しようとしないのだろう。単に政治決断云々の話ではなく、これは明らかに行政犯罪の問題ではないのか。無条件降伏から十年後の真珠湾再突入に驚くが、しかしそれ以上に驚くのは、それを見ながら何も感じない政治家やマスコミの不感症だ。

昨夜(12/20)のNHKの7時のニュースでは、社会部の記者が被害者に対して政府案に妥協しろと非常識な解説を吐いていた。この暴言は絶対に許せない。薬害エイズ事件のときは、厚生官僚で生物製剤課長だった松村明仁が業務上過失致死罪で刑事告訴されている。今回の事件はまだ刑事事件には発展していないが、問題の構図や状況は薬害エイズと全く同じであり、感染の事実を認識しながら隠蔽秘匿したことや、投薬の危険性を承知しながら回収措置や使用中止に及ばなかった行政の不作為は、まさに業務上過失致死傷の構成要件を充当する。否、薬害エイズの事件と訴訟を目の当たりにして、薬剤行政中枢の責任的立場にいながら、フィブリノゲンの使用を黙認した当時の厚生官僚の罪の重さは、薬害エイズの松村明仁とは比較にならないほど重い。昨夜の報道ステーションの映像では、フィブリノゲンの行政に関与したと見られる3名の人物が出ていたが、名前や役職は明らかにされなかった。

厚生労働省が原告が求める一律救済の和解に応じないのは、国の責任を認めたくないからだと言われている。なぜ責任を認めたくないのか。最初は責任を認めたらカネが1-2兆円かかるからという話が流された。江田憲司あたりを使ってテレビでカネの話を流していた。ところが、実はそれは厚労官僚の情報工作で、世論対策用のデマだった。原告被害者がいかにもカネをせびっているように見せかけ、緊縮財政の中で膨大な支出を要求するのは無理だから妥協しろという世論環境へと誘導しようとしたのである。彼らが責任を認めないのはカネの問題じゃない。これがいずれ刑事訴訟に繋がると想定しているからが理由の一つだろう。が、注意してニュースを聞いていると、厚労官僚の匿名発言として、一律救済で責任を認めたら、次から副作用の恐れのある医薬品が一切使用できなくなるからというのがあった。この発言を聞いて直感するのは、こいつらきっと、他にもまだ隠している薬害があるなという疑念である。

彼らは薬害エイズを傍らで見ながら、同時にフィブリノゲンの薬事行政をやっていた。厚労官僚の言い分は、これからも危険な薬品は使うし、新薬投与は人体実験だし、患者はモルモットと同じだし、薬害感染が起きても天下り先の製薬会社が儲けたいと言えば、投薬被害は隠したまま使わせ続けますよということなのである。厚労官僚の悪魔には慄然とするのみだが、法務官僚や裁判官の対応というのも最低だ。薬害エイズ事件を見てきた人間が、なぜあのような異常で不当で論外な判断ができるのか。救済の中身より重要なのは行政の責任だろう。大阪高裁の和解案は国の責任をきわめて限定的に捉えていて、血液製剤を放置した薬事行政に対して、「著しく不合理」な不作為であり、賠償責任となる「違法行政」だとは認めていない。この大阪高裁の判断を日経新聞の
社説は厳しく批判しているが、その薬を投与すればC型肝炎を発症するのが分かっていながら、中止や回収を指示しない薬事医療行政がなぜ責任を問われずに済むのか。

人の命に関わることで、人の命を奪っている行政が、なぜ責任無しだと判断して済まされるのか。しかも、薬害エイズからまだ十年しか経っていないのに。この大阪高裁の裁判官の頭の中が分からない。「著しく不合理」どころではないだろう。不特定多数に対する「未必の故意」の大量殺人そのものではないか。上水道の水槽に青酸カリを放り込んだのと同じだ。昨夜の報道ステーションはスタジオに3人の原告被害者を呼んで話を聞いていたが、それはそれで結構だが、久米宏だったら、きっと当時の厚生官僚を呼んで追及したり、舛添要一を生放送に呼んで鋭く責め上げたりしただろう。それくらいは当然やらなくてはいけない。古館伊知郎だと、政府のために世論のガス抜きをやっているようにしか見えない。民主主義のレベルがどんどん下がり、国民の人権の価値がどんどん低下し、労働者は牛や馬のようにされ、患者はモルモットにさせられている。人間の尊厳が失われ損なわれている。これが日本だ。本当に悲しい。悲しくて涙が出る。涙が流れる。
今村泰一。旧厚生省薬務局企画課長補佐を経て、旧ミドリ十字に天下り、当時東京支社長。20年前、薬害肝炎の被害を最初に知りながら、現職厚生官僚と図って揉み消し工作を行った事実が明らかになっている。
宮島彰。旧厚労省医薬局長で、今は医薬品の承認審査を行う特殊法人「医薬品医療機器総合機構」の理事長。5年前、厚労省で血液製剤によるC型肝炎ウイルス感染の調査をした責任者で、さらに製薬会社から418人の資料を受け取り、そのまま対策せず放置した張本人だ。この二人を刑事裁判で有罪にしなくてはいけない。

今日の新聞の社説はほとんどが薬害肝炎問題だが、朝日の
社説は酷い。NHKと同じで原告被害者に対して国に妥協するように言っている。それは官僚の言い分だろう。この問題については日経の社説の方がずっといい。主張の中身もそうだが、ハッキリ言って、知性のレベルが朝日の社説より日経の社説の方が上だ。今日の朝日の社説は官僚のダウンロード。日経の社説はジャーナリズムになっている。
毎日の
社説はいい。これが普通。東京新聞の
社説は少し弱いね。これから大阪高裁の第2次和解案があるんだから、新聞は原告被害者の立場に立たなくてはいけない。政府と原告との間に入るのは裁判所だ。新聞じゃない。それは新聞の役目じゃない。マスコミが間に入ってどうする。新聞が立つのは国民の立場だ。そこを忘れちゃいけない。やはり日経だな。現政権への危機感の強さもあるんだろうけれど。