元日の朝日新聞の
社説は「歴史に刻む総選挙の年に」と題された記事で、政治改革20年の節目に政権交代を実現させようという意気込みを示したものだった。朝日新聞は今年の総選挙を「政治改革20年の総決算」と位置づけ、社説の横に配した記事では、1988年に当時自民党議員だった武村正義らが小選挙区制導入の提言を発した経緯に遡り、そこから20年間の「二大政党制」の流れを追いかけ、今年がいよいよ政権交代実現の年で、長年の「政治改革」の理想が成就する年だという意味づけをしていた。思えば、保守系の新聞も確かに小選挙区制と政治改革を宣伝し扇動したが、他の誰よりそれに熱心だったのは朝日新聞だった。そのことは目撃者の一人として証言できる。「二大政党制による政権交代」は朝日新聞の宿望であり、1978年の江田三郎と松前重義の「新しい日本を考える会」の頃から、そのバックで「二大政党制」の左側勢力の大目付役をやっていたのは朝日新聞だった。
悲願の実現を前に朝日新聞の鼻息が荒くなるのも無理はない。現在の政治状況の基調として、民主党に不利な材料は殆ど見当たらず、福田内閣の支持率の低迷を背景に、最近の週刊誌の当落予想は民主党の地滑り的な圧勝を記事にしている。その予想は根拠のないものとは言えない。そこには二つの要因がある。一つは、福田首相の低支持率とも関係するが、日本の保守支持層というのは、外見の派手さとか、見てくれとか、パフォーマンスとか、そういうものを重視する傾向がある。そして、何か従来から引きずる「旧態」的な政治や社会の構造を打破し清算しようとする姿勢を自己演出する威勢のいい政治家に靡き共鳴する属性がある。タカ派で右翼的な言動を吐く政治家ほど人気が高くなる。「戦後政治の総決算」を掲げて国鉄を解体した中曽根康弘、「東京から革命を起こす」と咆えて福祉行政を切り捨てた石原慎太郎、「構造改革」を掲げて「抵抗勢力」と対決し、靖国参拝を決行した小泉純一郎。
独断専行型で復古反動的な強力な指導者が登場すると、保守層から高い支持と人気が集まる。そして、彼らが暴れて日本社会に傷と痛みが噴出した後に、保守ハト派の指導者が登場して、低支持率の中で混乱や歪みを収拾する役割を担うのである。傷口に応急手当の軟膏を塗るのだ。中曽根康弘の民営化と土地バブル政策が破綻して混乱した日本経済を、赤字国債と公的資金注入で収拾しようとした宮沢喜一がそうだった。今の福田首相の役回りは、恐らく宮沢喜一的な収拾と調整の代であり、構造改革によって大量に溢れ出た生活保護水準以下の働く貧困層への対応をポーズする必要があり、価格暴落で生計維持ができなくなった米作農家への所得補填を手当しなければならない。年金も医療も対策をパッチする真似事をしないといけない。小泉政権がぶっ壊した日中関係や日韓関係の改善もやる必要がある。言わば後始末の政治。この後始末屋のハト派総理には保守層の人気は集まらない。日本の政治にはそういう生理がある。
これが一つの要因。つまり福田首相の個性と役割では、ブームを起こして保守の圧倒的支持を動員することができない。もう一つの要因だが、昨年の参院選そのものが、国民の政治意識を大きく変えたという問題がある。簡単に言えば、構造改革に対する反省の気運が日毎に増して行っている。その国民の気分の変化に微妙に対応して、マスコミの論調が少しずつ立ち位置をずらし始めた。構造改革礼賛論は時代の空気にそぐわなくなっている。次の衆院選で、自民党のリーダーが誰であったとしても、麻生太郎であったとしても、強気の改革路線の継続を掲げて選挙を戦うのは無理だろう。人々の意識が変わり始めている。騙されたことに気づき始めている。年末の「サンデーモーニング」の街頭インタビューで、「自分は負け組です」と認めて生活の不安を訴えていた大都市生活者は、二年半前の郵政選挙で小泉自民党を支持して一票入れた同じ人々だ。構造改革で救済され扶助されるのが富裕層であって中産層ではない事実に気づいた。
この一般の気分や世論の流れは、政党支持率に直接に影響しなくても、第一にマスコミの論調に影響を与える。福田政権に対して、構造改革を後退させるなとか、もっと大胆に社会保障を削れとかは言いにくくなる。特に今年は地球環境問題が大きな論点になり、マスコミの評論家は、政策論議のスタンスを米国寄りから欧州寄りに変えないと格好がつかなくなるだろう。構造改革の説得力が潮が引くように後退する。竹中平蔵が徐々に過去の人になる。この動きは、北朝鮮問題やイラク問題でタカ派の論陣を張っていた者たちの影響力や存在感が薄れて行く動きとパラレルになって進行する。すなわち、小泉政治的なもの全般が、プラスシンボルからマイナスシンボルへと意味の転化と変容を遂げる。自民党の中からも、北朝鮮との和解を模索する動きだとか、銀行の非課税特権を再考せよという声が上がるだろう。加藤紘一的なケインズ主義の復権があるだろう。それは、秋の米大統領選の議論や結果に影響されて、時を追う毎に輪郭が明瞭になるだろう。
この二つの要因から、次の選挙は民主党に断然有利な状況にあると言える。民主党が一昨年掲げた「生活第一」の政策が、今年は国民の支持だけでなくマスコミの傾斜も加わって、国民的な共通方向の路線として地位を堅固なものにするだろう。つまり、それは五年前の「構造改革」の標語のような、水戸黄門の印籠のような政治説得的威力を持ち始め、それに抵抗する側が「不当な抵抗勢力」の烙印を押されるリスクを負いかねない状況に変わる。自民党や公明党の従来の政策が変化を見せるということは、これは民主党の政策の正当性が証明されるということであり、選挙における民主党の有利を導く材料に他ならない。自民党の選対責任者と政策責任者は悩ましいところだろう。これまでは「小泉改革」と言うだけで、他に何も説明しなくても選挙に勝てた。今度は別のことを言わなくてはならない。民主党の「生活第一」に引き寄せられている有権者に何かを言わないといけない。場合によっては、「生活政策」の競争の選挙になる可能性さえある。
以上、総選挙の戦いを前にして、民主党が条件有利な環境下にある要因について二つの観点から考察した。しからば、民主党は選挙に勝利して政権交代を果たすのか。朝日新聞の今年の悲願である「政治改革20年目の総決算」を見事果たすことができるのか。私は、そう簡単に事が運ぶとは思っていない。政治はもっと複雑に動くと予想する。民主党は、政権獲得を前にして、それがリアルになればなるほど、内部の矛盾や脆弱さを露呈する体質があり、そこを自民党やマスコミにつけこまれる弱点がある。昨年の小沢一郎の大連立騒動の軽挙もそうだった。一歩間違えば、党が分裂して崩壊する寸前だった。一昨年の永田寿康と前原誠司の
偽メール事件の迷走もそうだった。民主党は、外からではなく内から混乱を発生させ、解党の危機を綱渡りする。そして、党としての結束力が固くない。政権を長く握ってきた自民党は、中で揉めれば自然に結束しようとする力が働くが、民主党の場合は、逆に中が揉めれば割って出ようとする動きが出る。組織の力が弱い。
そして、民主党は基本政策で内部が一致していない。憲法改正もそうだし、新自由主義に対する政策姿勢もそうだ。民主党の若手の松下政経塾卒業生や旧自由党の議員たちは、小泉・竹中の改革以前に、十年以上前から「構造改革」を言ってきた古参改革派で、言わば元祖構造改革論者の面々である。民主党が現在掲げている「生活第一」政策は、彼らの政治家としての理念や信条とは全く違う。彼らの意識にとっては、あのような社会民主主義的な表象のスローガンは面映い「借りもの」であり、自己の本意本心を裏に隠した「その場の政策標語」であり、選挙で集票して当選するための方便である。小沢一郎自身が、昨年の新聞インタビューの中で、そのような本音を漏らした
発言を残している。すなわち、大衆は生活のことしか頭にないが、政治家は国家の大計を考えて安全保障のことをやるのだ、という旨の発言をして、ISAFや大連立の政治行動を自己正当化していた。「生活政策」が民主党の方便なのか、本心なのか、私には容易に判断がつかない。
小沢一郎は、昨年末、NHKが「二大政党はどこに向かうのか」という
特集を放送したとき、「参議院は民主党が六年間多数を取ってるんだから、国民がねじれを解消したいんだったら、衆議院で民主党に多数を取らせるしかないさ。でしょ」 などと傲岸な物言いをしていた。私は聞きながら呆れたが、本当に、小沢一郎にとっては政治は権力争奪ゲームで、自分が政治のゲームに勝てばいいだけで、国民は、生活保護を減らされて苦しもうが、消費税を上げられて呻こうが、高齢者医療費負担増で泣こうが、単に民主党に票を入れるためだけにある存在なのだなと思わされた。小沢民主党に一票入れて、本当に国民の生活苦は救済解消されるのか。少なくとも、小沢一郎のテレビでの言葉を聞いた限りでは、その約束を信用することができない。自民党に入れたくないから民主党に入れるというトグルスイッチの投票にしかならない。期待させられて、結局は裏切られるのではないかという疑念を払拭することができない。民主党に投票して、新自由主義の政策を継承されても困るのだ。
私が考える悪い予想は、政権獲得の現実性が見えたとき、民主党の中が二つに割れて混乱するというシナリオである。割れる二つの方向は、格差拡大に歯止めをかけようとする菅直人の方向と、経団連や官僚行政との親和性を重視しようとする小沢一郎の方向の二つである。民主党の内部にある本来的な基本政策対立、それが菅直人と小沢一郎の二人の指導者人格に反映して、二派に分かれての内部対立が起きる。それは、選挙の前かも知れないし、選挙の後かも知れない。菅直人が対立を避けようとすれば、小沢一郎と政策を合わせるしかない。経団連や官僚行政との親和性の方に軸足を置き、国民に公約した「生活政策」の中身を後退させ、格差是正は断念し、社会保障は削減の方向を維持する。つまり自民党と基本的に同じ政策路線。それでは駄目だという声も党内からは当然上がる。朝日新聞は小沢一郎を支持、連合は菅直人を支持。二人のオーナーが支持を分ける。そこに自民党や公明党が介入し、混乱に拍車をかけ、政界再編的な状況が現出する。
これは悪いシナリオの予想だが、現実に、民主党にはこうした原理的な矛盾と緊張が内包されていて、現在は、情勢有利の局面で、政権党である自民党の無能や無策ばかりが目立つから問題が表面化していないだけである。いよいよ選挙に勝って政権を作るとなると、まさに政権の基本政策が問われることになる。現行の自民党の政策との断絶や継承が具体的に問題に出る。現在の民主党には傑出した党を纏めるカリスマはいない。五年前の自民党の小泉純一郎のようなスターはいない。そして、危機に直面して党が自然に纏まる自民党のような生物細胞的な習性や本能が身についてない。伝統がないということであり、小沢一郎や菅直人に対するスーパーバイザー的な存在、自民党で言えば、中曽根康弘や石原慎太郎や故宮沢喜一のような存在がない。年頭に政治情勢を予測する結論として、民主党の選挙情勢が有利になればなるほど、民主党の政権獲得の現実性が高まれば高まるほど、民主党の内側に亀裂と危機が現出する可能性が高くなることを指摘しておきたい。波乱がある。
単純な政権交代劇になるとは思わない。