まるでキスをした舌の先がねっとりと絡んでくるような、ミックジャガーのセクシーなボーカルが素晴らしい。そこはかとなく格差社会的な問題系の響きも伝わる歌の世界の男女を思いながら、寒い空気の中、繰り返し、『
悲しみのアンジー』を聴いて休日の時間が過ぎる。この曲は、寒い冬の夜に、ストーブの傍で一人で聞くのがいい。先週の金曜の夜、突然、システムに異変が起きて、記事のタイトル部分の表示属性が変わっていた。異変はトップページの表示の際に、記事のタイトルの字体が小さくなり、さらにシステムによってハイパーテキストとして取り扱われアンカーされるというものだった。当然、字が小さくなって色も変わり、不恰好でアンバランスな状態になった。異変が起きたのはブログのトップページだけで、個別の記事を表示させると不具合はなく、それからExcite社の他のBLOGを確認しても異常は起きていなかった。
Exciteがサーバーのメンテナンスをしているという情報もなく、個別記事とトップページでスタイルシートに異同があるわけでもなく、無論、こちらがCSSを変更した事実もなく、どうしたものか途方に暮れたが、CSSに手を入れて何とか一人で問題を解決した。問題を解決しながら、これまで自分が気づいてなかったコーディングの盲点(灯台下暗し)にも気づいた。例えば、左右のカラムの文字を大きくしたり小さくするにはどうすればよいか、実はこれまで確実な技術的方法を体得してはいなかった。弄くっているうちに何とかできていたというのが本当のところだった。Anchor Hypertext ReferenceのAnchorされたテキスト情報の表示属性に手を入れる。簡単なことだが、そこに思い至るまで半日の時間を要した。Exciteのスタイルシートについてはマニュアルがなく、系統的な技術知識を得られず、他人が作ったBLOGを手探りして覚えるしかない。
マウスを使って確認してもらえればわかるが、トップページの記事タイトル(BODY_HEAD)は Hypertextの取扱いがされて Anchorが施されている。個別記事を開くと、そのページの記事タイトルにはAnchorが施されていない。同じことは、記事末尾の部分(BODY_TAIL)の表示属性についても言える。トップページと個別記事ページとではテキスト表示の属性が変わっている。これが異変だ。スタイルシートは、少なくとも私が記述してExciteに登録しているソースは同一なのである。これはExciteのシステムのバグ、いわゆる仕様上の不具合というものだろう。被害妄想的に考えれば、嫌がらせの可能性もある。リカバリーのついでに、デザインにも少し手を入れた。CSSに手を入れるのは二年ぶりのことだった。デザインを一新したい気分はあるが、アイディアを考える余裕がない。大事なことは、クリックから素早く情報を表示させること。読者に手間を取らせないこと。その点ではブログは成功している。
橋下徹が当選して、東国原英夫や石原慎太郎のようにテレビに出てくるのかと思うと憂鬱になるが、人が理性と知性を見失って生きている時代だからこそ、そこに説得力の根拠を求める生き方や訴え方が重要なのではないかと私は思う。例えば、1930年代後半の日本に生きていたとして、周囲がどれほど愚かで狂っていて、自分は確かな理性を持っていても、人はそこから脱け出すことはできない。そしてまた、周囲全てが狂っていて、狂ってない自己の政治的主張に狂った大衆から支持を寄せるためには、多少とも狂った大衆に親和的なユーザインタフェースでメッセージを届けた方がいいという戦術論もあるだろうけれど、1930年代のことを考えると、私はそういう選択が正しいとは思わない。愚かで狂った大衆の暴走は、必ず社会の破滅という形で責任を取らされるし、それは流血を含む多大な犠牲となって結果し、その後に反省と再生があるのだ。それが歴史であり、「多大な犠牲」の中には自分も含まれる。その覚悟が要る。
いろいろな「犠牲」の形がある。この間の「クローズアップ現代」で紹介された、健康保険証を取り上げられて10割負担になって病院に行けず、末期癌の痛みを苦しみぬいて死んだ人も「犠牲」だろうし、八戸で長男に切り殺された三人の母子も「犠牲」だろうし、仙台で父親に切り殺された二人の母娘も「犠牲」だろうし、交通事故後遺症の34歳の娘を絞殺して父親が首を吊って自殺したのも「犠牲」だろう。そういう事件があったなと思って、Googleのニュース検索で「
父 娘 首」でキーワード検索をかけたら、何とも恐ろしい結果が索出された。異常と狂気の様は1930年代後半以上だ。こういう時代を政治で変えないといけないと思って勇気を出して立ち上がり、無名で無産の者には他に手段もないからインターネットで運動を呼びかけ、その結果、左右両翼から凄絶な誹謗中傷の
リンチを受け、半殺しの目に遭い、何年もデマと揶揄と嫌がらせを受け続けるのも「犠牲」の一つのあり方だろう。1930年代にもそんな素朴な「犠牲」はあったに違いない。
リンチの加害者からコミュニティを作った業績への感謝の言葉があっただけでも、1930年代の政治の犠牲者よりは恵まれていると言えるかも知れない。ポピュリズムの言葉は、実は最近の政治を議論する際に頻繁に使われるようになった言葉で、手元の岩波の「哲学思想辞典」にも、弘文堂の「社会学辞典」にも記載がない。この言葉で言い表す政治的現実が多くありながら、同時に概念として精錬がされてないため、乱用や誤用が激しく、嘗ての左翼の「ファシズム」と同じような、政敵に向かってレッテル攻撃する政治手段の貶損言語として使われている。橋下徹を「親しみやすい」と感じ、庶民的なお笑い芸人だからと言って支持した大阪府民の論理と心理も、二言目には「上から目線」は許せぬと言い、ネットで指導者面する人間は許せぬと唾を吐いて排撃を扇動する「緩やかなネットワーク」の信者たちと全く同じだ。Web2.0の時代には理性や知性を持ったリーダーは要らず、吉本のお笑い芸人が指導者で十分だと思っているのだろう。
昔、イラク戦争のときに、これまた素朴に何とかしないといけないと思い、どうしても運動の指導者が必要だと思い、直接にそのお願いをしたわけではないが、辺見庸に手紙を書いて送ったことがある。指導者が必要なときなのに、その資質と能力を持った人間がいなかった。辺見庸なら人を動かすことができると思ったからだ。本人からの返事はなく、その代わりに「独考独航」の書が入った毎日新聞社刊の著書が自宅に送られてきた。辺見庸のメッセージはよくわかった。なるほど、これが早大文学部か、とも思った。国立大学の社会科学系の知性とは異なる。丸山真男や大塚久雄の学園で学んだ者の知性とは異なる。文学部だ。辺見庸の辞書には「運動」や「指導者」の言葉は無いのだ。私は辺見庸から教えを受け、しかしそれでもマルクスとウェーバーの学徒たるところから離れず、辺見庸とは違って「指導者」と「運動」で現実政治を変えようと足掻くことを続ける。だが、辺見庸の教えは貴重だった。それは、一言で言えば、「犠牲」となることを覚悟すること。
歴史の中で生きること。自分に対して知的に誠実であることをやめないこと。