ネットの一部に、誰が米国の大統領になっても同じだと言い、米大統領選への無関心を言い上げる傾向がある。だが、その主張は明らかに間違っている。前衆議院議員の
白川勝彦も、
「アメリカの大統領が誰になろうが関係ないという覚めた見かたをする人も多い。しかし、私はそうは思っていない」と語っているが、この意見に同感だ。白川勝彦は、ブッシュが大統領でなければアフガニスタンもイラクも「事態は別の展開をしたであろう」と言っている。私も同じ見方をする。ゴアが大統領だったら、少なくともイラク戦争は起きていなかった。あの歴史的な「リカウント問題」を本当に恨めしく思う。クリントン政権からブッシュ政権に変わったことで、一体どれだけ世界が変わったことか。あの911テロも果たして実行されていたかどうか。実行されていたとしても、その後の米国の対応は違っていただろうし、「
War on Terror」という概念も発生することはなかっただろう。
911テロについて
ブログで何度か
書いてきたが、最初に、黒煙を上げるWTCの映像と共にニュースに接したとき、私は咄嗟にパレスチナゲリラによる仕業ではないかと思い、次の日に米軍とイスラエルの大軍がガザと西岸に侵攻して、アラファトが殺されるのではないかと怖れた。5年以上前のことなので、正確に時系列を思い返せないが、シャロンが岩のドームに踏み込む挑発をやり、そこからパレスチナとイスラエルの間での所謂「暴力の応酬」が始まり、例の、子供がイスラエル兵に取り囲まれて銃撃されて射殺される事件があり、パレスチナの過激派が自爆テロを敢行してイスラエルの一般市民を復讐の標的にするようになり、ラマラのアラファトの議長府をイスラエル軍の地上部隊が包囲して戦車で砲撃、それが何日間か続いて、もう少しで殺害される寸前まで行ったことがあった。いまネットで検索して調べると、その事件は6年前の2002年の2月から3月にかけて起きている。
ブッシュが大統領選に当選したのが2000年の秋、大統領に就任したのが2001年の1月。明らかにこのときから米国の中東政策が変わり、イスラエルがパレスチナを強硬に攻め潰す路線に転換し、パレスチナは「テロリスト」のレッテルを貼られて世界政治の中で孤立を余儀なくされ、(まるで古代史のような)民族滅亡を当然視されるようになる。その延長線上にアルカイダの911テロ事件がある。ラマラ議長府の暴虐から半年後のことだった。そのあたりの、ブッシュ政権と中東情勢の刻一刻と背景の問題については、
サイードの『戦争とプロパガンダ』四部作(みすず書房)を読むと詳しく辿ることができる。話が逸れるが、私はサイードの2003年9月25日の死、そしてアラファトの2004年11月11日の死の二つの死を病死だとは今でも思っていない。米国のネオコン権力に支援されたイスラエルによる暗殺だと思っている。そう疑うのは、昨年の伊藤一長の暗殺が単なる私怨によるものではないと思うのと同じだ。
ラムズフェルドとチェイニーは、そしてパールとウォルフォウィッツは、共和党の政権奪回を機会にイラク戦争を起こす計画を最初から持っていて、その口実を探していた。彼らが9月11日のテロ決行を事前に知っていたとは思わないが、米国内でテロの計画と準備が行われているという危険情報を掴んでいた。状況を察知しながら、大きな目的のために、言わばテロリストを泳がせていた。そこまでのところは、現在では常識のレベルとして言えることだろう。ネオコンとネオリベの連中は陰謀と謀略を好む。メディアを押さえて世論操作を徹底する。ナチズムの手法を彷彿させる政治の要素が21世紀に復活して闊歩している。「陰謀論」と「ポピュリズム」の問題は、実は今世紀の世界政治を特徴づける大きな問題であり、世界がそこに漬かっているのは偶然の出来事ではない。ネオコン一派の論理と心理は、ナチスの狂気と偏執に類似したものがある。パールとウォルフォウィッツの私生活を暴けば、きっと面白いものが見えるだろう。
大統領選の後、米国は間違いなく変わる。民主党の両候補はイラクからの駐留軍撤退を高々と公約して支持されている。イラク戦争はベトナム戦争と同じように米軍の敗北で歴史を閉じることだろう。米軍撤退後の中東情勢を予想するのは難しいが、イランの発言力と影響力が増し、エジプトやサウジアラビアで民主化運動が勢いづき、イスラエルが現状のようなパレスチナに対する嗜虐と暴力を縦(ほしいまま)にすることは困難になるに違いない。場合によってはサウジで王政が転覆され、アラビア半島から米軍基地が一掃される可能性すらある。
Axis of Evil、ブッシュが発音するこの言葉を何度聞かされたことか。この言葉が最初に発せられたのは、今から6年前の一般教書演説でのことだった。今や、この言葉は死語になった。3年前には死に体になっていた。北朝鮮と米国との関係は、ヒルが六カ国協議の代表に変わった2005年から劇的な変化を遂げ、米国は今年の予算で北朝鮮に対して前年比倍増の56億円の支援を拠出する予定で動いている。
もし、米国の対北朝鮮政策が、ライスとヒルのラインではなく、従来のラムズフェルドとボルトンとアーミテージの路線のままだったら、今頃、日本と北朝鮮の関係はどうなっていただろう。私は、一昨年の秋、ブログを一時中断する前に、船舶臨検から軍事衝突が勃発する可能性を
論じたが、もしあのとき、ライスとヒルではなくラムズフェルドとアーミテージが米政権の東アジア政策を仕切っていたら、紛争が発生した可能性はきわめて高かっただろうと思われる。アーミテージは日本の政治を憲法改正にドライブする辣腕の策士だった。公海上の臨検で北朝鮮船舶と海保警備艇がトラブルを起こし、黄海に第七艦隊と豪州軍艦隊、日本海に海上自衛隊の主力艦隻が集結して、北朝鮮を海上封鎖する軍事行動に及んだかも知れない。その危機と杞憂は幸いにして回避された。ヒルがいて、武大偉と中国外務省、宋旻淳と韓国外務省が全力を挙げてヒルを守り、両側からブロックして支えたから、アーミテージと安倍晋三と日本の右翼が仕掛けた挑発の策謀は不発に終わった。
私事になるが、家族で話していて、「ねえねえ、六カ国協議なんて何年もかけて何度も会議やってるけど何も進展してないじゃない、あんなの無駄だよ」と言うから、私は、「いや、それは違うよ、何も成果を上げてないように見えるけど、ああやって六カ国協議の交渉をやっている間は戦争が起きないということなんだよ、傍から見て、どれほどダラダラしてカッコ悪く見えても、戦争を避けるのが外交官の役目なんだよね」と言った。ヒルは戦争を避ける外交をやっているのだ。昨年の参院選の前、私は、とにかく金正日が投票日までに
花火を上げないようにと、そればかりを一心に念じ続けていた。年金問題が浮上して争点になり、松岡利勝と赤城徳彦のカネの問題があり、民主党が勝利する万全の世論シフトが出来上がっていた。しかし、もしそこで、米国の独立記念日に、2005年のときと同じように、北朝鮮が日本海にミサイルを発射したり、地下核実験を強行したならば、その日を境に選挙情勢は一気に逆転していただろう。安倍晋三は、きっと朝鮮半島から「
神風」が吹くのを心待ちにしていたに違いない。
われわれは世界の中で生きている。ホワイトハウスの権力バランスが少し動いただけで日本国民に大きな影響が及ぶ。北朝鮮の独裁者の一挙一動は直接にわれわれの生活に影響を与える。例えば、「不安定な弧」という言葉がある。それから、麻生太郎の「自由と繁栄の弧」という言葉がある。「不安定な弧」はアジアにおける米国の敵性勢力の潜伏地帯を意味する言葉で、「テロとの戦い」の予備戦場地域でもある。だが、恐らくこの言葉は、単に「テロとの戦い」だけでなく、それを表の口実にした別の敵に対する包囲戦略を意味している。その別の敵とは、言うまでもなく中国である。ブッシュ政権後期の中期戦略(LRSP)において、中国は米国の経済的軍事的脅威として位置づけられ、新たな冷戦が意識されているのである。日本へのMD配備や在日米軍再編の動きは、全て「中国封じ込め」のグランド・ストラテジに従ったものだ。ブッシュ政権の後期四年間はそれが外交と防衛の基軸だった。果たして、オバマかクリントンが大統領に就任したとき、この対中冷戦の基本戦略はそのまま継承されるのか。
私の予想するところ、おそらく大幅に修正されるだろう。修正しないと政権が変わった意味がない。政権が変われば、外交政策も必然的に転換を余儀なくされる。例えば、クリントンが大統領に就任すれば、対中政策の基調は冷戦から共存へと姿勢を一転させるだろう。すぐに(日本を飛ばして)中国を訪問するだろうし、夫のビルと一緒に行った西安に足を伸ばすだろう。日本の政権による安易な憲法改正にも、簡単にはアプルーバルとオーソライズの首を振らないだろう。米国の東アジア政策は大きく変わる。対日関係のプライオリティは下がり、対中関係が決定的に重視される。膨張した軍事費を削減するべく、「テロとの戦争」や「不安定な弧」の認識と政策を徐々に後退させ、米軍による力の支配の路線を転換させる方向へと舵を切るだろう。田中宇の
世界多極化論ではないが、リージョンのパワーを認め、リージョンパワーを巧く活用しながら、米国の世界支配の指導権を維持する方向を模索するだろう。言わば、ブッシュ時代の武断政治ではなく、徳治政治で世界を支配する手法を米国の新しい大統領は選択することになる。
日本はどうすべきか。米国の大統領が変わることで日米関係が変わるとか変わらないとか言うのは無意味な議論だ。日米関係を変えたければ、日本の国民が日本の政治を変えればいい。米軍再編にNoと言うのなら、日本人が米国にNoと言う政権を立てればいい。それだけのことだ。米大統領や米国の政治にそれを期待するのは、そもそもの出発点で間違っている。日米関係をどうするかは日本人が決めることだ。日本人が米軍の代わりに中央アジアや中東やアフリカの戦闘地域で血を流してくれるのなら、米国の国益のために喜んで地上軍や補給艦隊を派兵してくれるのなら、米国がそれを拒絶する理由はあるまい。基地を貸してくれて、莫大な駐留経費を肩代わりしてくれて、さらに日本が武器を何十兆円も買ってくれて、さらに紙屑かも知れない米国債を何百兆円も買ってくれるのなら、植民地貢献してくれるのなら、それに対してNoと言う米大統領はいないだろう。私が米大統領でも「日本に感謝する」と言って、ありがたく貰えるものを貰う。日本の政策として、米国に植民地貢献することを選んでいるのだから、断る必要はない。
スーパーチューズデイ直前の、2/5(火)の夜のNHK衛星放送の国際ニュースでは、NYで特派員をやっている有働由美子が出てきて、NYでのオバマ旋風の様子を紹介していた。
コロンビア大学では、講義が終わった夜の9時から、大学の教室に学生たちが集まって、大統領選の討論会とオバマ支持集会を熱っぽく開いていた。NYの地下鉄の駅や駅への入口では、ボランティアの若者たちがオバマ支持の青いプレートを掲げ、通行する人にリフレットとステッカーを配布し、そうする間に、ボランティア活動に参加する人間が次々と増えて行き、駅の入口で一人で始めたキャンペーンが、四人から五人の輪に広がっていく様子が映し出されていた。それは実に感動的な映像だった。そこで出てきた28歳の若者が言っていた。
「友人の一人がイラク戦争に出征して行き、このままで本当に米国の政治はいいのかと思った。でも、一人では何もできないし、自分の力で何か政治を変えられるとは思わなかった。しかし、今は違う。自分たちが米国の政治を変えないといけないし、必ず変えられると信じている」。久しぶりに見た「とても素晴らしい米国」の絵だった。
コロンビア大学で討論会をしている学生たちの姿を見て、天国のサイードは何を思っているだろう。