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奈良紀行 5 - 東大寺整肢園
b0087409_1601157.jpg枕詞の「あおによし」は「青丹よし」の意味で、丹は丹色、すなわち伽藍の柱や梁や扉に塗られた朱色を、青は伽藍の連子窓に塗装された顔料の緑色を示し、奈良の都に並び立つ大伽藍を彩る赤と緑の美しさを高らかに表現したものであると薬師寺の僧侶が法話の中で教えてくれた。高田好胤による薬師寺の昭和の大復興から始まった奈良の平城伽藍再興運動は、現在では薬師寺だけでなく他の寺院にまで動きが広がっていて、例えば興福寺が「創建期の天平時代の文化空間を再構成する」として、中金堂の再建工事が勢いよく進行している。興福寺の国宝館の中には再興する中金堂の模型が展示されていて、平城京遷都1300年記念の2010年に落慶をめざしている。興福寺も創建期と現在を見較べると失われた伽藍が多く、中金堂が完成すれば次は講堂と西金堂、さらに南大門と回廊へと事業を拡大させることだろう。金堂が東西に並ぶ独特の伽藍アーキテクチャ。「青丹よし」の奈良が甦る。



b0087409_15575756.jpg奈良はルネッサンスの中にいる。薬師寺、唐招提寺、興福寺と伽藍の再興運動が続いている。現在のところ、東大寺にはその動きは見られないが、地図を見ると大仏殿と正倉院の間に巨大な空き地が横たわっていて、ここは講堂跡地であり、何十年かすれば講堂再興の動きが起きるかも知れない。どれほど巨大な建築物だったのだろう。想像するだけで目が眩む。さらに、二月堂に上がる坂道から右手に見えるが、鏡池の東側に東塔跡の基壇があり、創建当時、ここには高さ100mの七重塔が建っていた。大仏殿の内部に模型があり、空前絶後の壮大な伽藍配置の往時を偲ぶことができる。東大寺の東塔は1180年に平重衡の焼き討ちに遭い、その後すぐに再建されるが、さらに1362年に落雷で消失、そのまま現在まで再建されていない。歴史の長い寺ほど多くの試練を受け、何度も何度も甦っていて、現在われわれが見ている寺の姿は、20世紀から21世紀にかけての僅かな一瞬だということが分かる。

b0087409_1605875.jpg長い歴史の中で、その時々の日本人は様々な姿の東大寺を見てきた。戦国真っ只中の1567年、松永久秀は大仏殿に放火、大仏殿は炎上して、業火の中で大仏も原型をとどめないほどに溶け崩れ、頭部は背後に落ち、両手は折れ、上半身の大半が損なわれていた。銅板を頭部に張る応急修理が施されるが、その後、傷ついた大仏は百年あまりも屋根のない吹きさらしの中に放置されたままだった。当時の情景を描き写した絵図は残ってないし、われわれは想像するしかないが、そういう時代が江戸初期に百年間も続いたのである。そのままだと東大寺の大仏は鎌倉の大仏のようになるか、あるいは何もない空間として、大仏殿跡地として歴史の藻屑に消えてしまっていたかも知れない。公慶という僧侶が出て、大仏と大仏殿の復興を始めた。公慶は京の町を托鉢して歩き、碁盤の目の条坊を一軒一軒隈なく勧進して浄財を集めた。「一紙半銭の勧進」と言われている。一枚の紙、半銭の銭を奉加として募って復興の大事業を成し遂げたということである。

b0087409_15582021.jpgこの元禄期の公慶の勧進復興事業は、明らかに聖武天皇の「一枝の草、一把の土」による大仏造立の原点と繋がっている。そして宗派と寺院は異なるが、高田好胤の薬師寺の昭和の大復興と繋がっている。奈良は復興する町なのだ。そして、そこには必ず偉大な指導者が出て、あまねく国民に喜捨を呼びかけて、壮大な歴史的事業を遂行完成させるのである。公慶には実は範を仰ぐ先輩がいた。聖武天皇と公慶との間を仲立ちする名僧がいて、平安末から鎌倉初の重源である。1180年に平重衡によって焼き討ちされた東大寺を15年後の1195年に再建復興した。現在残っている南大門は重源の手で再建されたものであり、鎌倉期の建築である。重源の復興事業も勧進活動で資金を集めるものであり、「尺布寸鉄・一木半箋の勧進」と呼ばれる。わずかな布や鉄、少しだけの木や紙、聖武天皇の原点に還り、庶民多数の喜捨を得て東大寺を再興した。高僧たちは同じことをしているのである。常に原点に立ち戻って偉大で崇高な目標を実現しているのだ。それが東大寺と奈良の歴史である。

b0087409_15583083.jpgこの精神は不滅だろう。そう思う。そう思う一方で別のことも思う。この歴史的な復興事業の反復は、しかし、偉大なカリスマの登場という契機を必須とする。公慶が出なければ東大寺は危うかった。再興までにさらに百年か二百年要したかも知れず、そのまま明治維新を迎えていれば、間違いなく今日の東大寺はなかっただろう。高田好胤とその師の橋本凝胤がいなければ、薬師寺の今日はなく、東塔だけが立つ寂れた古寺の佇まいで訪れる人を迎え続けたことだろう。カリスマが世界を変える。原点に目覚めたカリスマが運動を興し、大衆を導き、歴史を変え、歴史に意味を与える。もう一つある。高田好胤の偉大な復興事業の時期はちょうど日本の高度成長期と重なる。公慶が大仏と大仏殿の復興を成し遂げたのは元禄期だった。戦国が終わって社会が平和で安定し、新田開発と商品作物の栽培流通が全国で進み、国内経済の生産力が飛躍的に上昇して、大坂を中心とする統一的国内市場が完成循環した時期である。近世の高度成長期。そういう時代的背景があり、勧進に応じる町衆の富と庶民の意欲があった。

b0087409_15583962.jpg聞くところでは、丸の内で働くOLが「丸の内はんにゃ会」を作って写経会に勤しんでいると言う。丸の内で仕事をしていても、格差社会の中で生き残るためには、心の平穏を維持するのは大変なのだろう。写経勧進の運動は、格差社会の中で今後とも功を奏する基礎や条件はあると思うが、庶民にとっての財布の中の千円札一枚の価値は、実際のところますます切実なものになっている。そしてまた、現代の企業においては、成功するための経営哲学は、松下幸之助や井深大のような思想ではなく、折口雅博や堀江貴文や村上世彰のような思想が必須とされるのである。弱者を騙して食い物にして儲ければそれでいい、法を犯しても摘発されなければ構わない、政治家と官僚にカネを撒いて都合のいい方に法律を変えればそれでいい、米国のハゲタカに貢ぐ新自由主義経済を繁栄させればそれでいい、それが常識になっている企業社会で、志高く勧進に応じる経営者は多くいるだろうか。志の高い人間ほどカネが回って来ない社会の仕組みになっている。再興事業にはカネが要る。浄財が集まりにくい時代であることは間違いない。

b0087409_15585923.jpg東大寺は身体障害児の療養施設である整肢園を運営している。森本公穣氏は整肢園の常務理事であり、大仏殿でのお話の後に整肢園にもご案内をいただいた。日本史の教科書にも出ていたと思うが、光明皇后の発願によって、悲田院や施薬院など日本で最初の社会福祉医療施設が作られている。ケガや病気で苦しむ庶民を救済するために作った施設であり、薬草を栽培し、病人や孤児の保護と治療と施薬を行った。奈良朝の素晴らしさは、この社会福祉施設に尽きている。貧しい庶民への施薬は無料だった。国家による事業として奈良朝は貧しい患者に無料で治療を施したのだ。中央の奈良だけではなかった。国ごとに国博士と国医師が一人ずつ置かれ、国学生と国医生を教育した。地方で慢性病や重病の患者がいた場合、医師を派遣して投薬治療を与えるように聖武天皇から指示が出ている。各国で疫病が流行ると、国司が中央に報告し、政府が医師に薬を持たせて地方に派遣した。中国製ギョーザの毒薬の被害が出ても、保健所からのFAXを捨てて見ない現在の日本の県庁や厚労省の対応と較べて対照的である。どちらが古代の日本なのだろう。

b0087409_15584930.jpg整肢園の建物の中に入ってすぐ、玄関のロビーから廊下にさしかかったところで、一人の車椅子に乗った小さな子供に手を掴まれた。彼はニコッと笑って何かこちらに言いたそうな顔をしていた。初めて見る大人に挨拶をして、それから何か頼みごとをしようとしているのかも知れなかった。その手が柔らかく、とても優しくて、今でもその感触が左手に残っている。そうした施設に足を踏み入れるのも、そうした子供に手を握られるのも、私には初めての体験だった。整肢園は聖武天皇の没後1200年になる1955年に設立されて今日まで運営が続いている。前に「障害者自立支援法」に関する記事を書いたが、こうした国の厚生労働行政の管轄が及ぶ障害者福祉施設は、全国どこでも本当に大変な経営環境を強いられていて、新自由主義による社会保障予算削減の痛みの直撃を受けている。志の高い者ほど国家から冷酷な仕打ちを与えられ、理想や志操を捨てるよう迫られる。毘盧遮那仏は十方世界と宇宙をあまねく照らす仏という意味であり、華厳はあまねく照らす慈悲の光である。華厳は「あまねく照らす」。

b0087409_1662229.jpg最澄の「一隅を照らす」は、きっと華厳の「あまねく照らす」から来ているのだろう。あまねく照らしても照らしきれない一隅があるという反論と立場的主張のようにも聞こえる。個人の内面と向い合う契機の発端という印象も受ける。しかし、逆に、今はあまねく照らすことを考える必要があるのではないか。一隅を照らすことが注目されるのは、そこそこ全体が照らされているからだとは言えないか。全体がそれなりの光で照らされて、その中で光が当たらず影になっている部分があるというのではなくて、きらめく光はわずかな新自由主義者たちが独占して、世の中全体は光が当たらず暗く暗くなって、大勢の人間が暗い中で光を求めて苦悩しているのが現代なのではないか。NHKの『ワーキングプアⅡ』での解説だったと思うが、内橋克人が「ワーキングプアは社会のマジョリティになる」と言っていた。年収200万円以下の労働者の比率とか貯金のない世帯の割合とかの数字が出るが、これらは確実に年々増加している。「一隅を照らす」救済では済まない時代、再度、強力なワット数で「あまねく照らす」ことが必要な時代のように見える。

求められる救済の性格が、個人的個別的な性格ではなく、全体的社会的な性格のものになり始めている。
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by thessalonike4 | 2008-03-17 23:30 | 奈良紀行
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