
善光寺の聖火リレー出発式辞退は問題が多く遺憾である。4/18のテレビの報道番組で会見の模様が放送されていたが、辞退の理由は納得できるものではなかった。当日の長野市民に街頭インタビューした映像でも、善光寺の辞退を意外で残念に思う声が多かった。テレビ局は編集をする。ニュースの報道において街の市民の声を拾って見せるときは、局の報道論調の正当性を補完し証明する手段としてそれを使い、多数一般の声が当報道機関の主張と重なるように演出と操作をする。今回の善光寺の件については、メディア側は善光寺を支持する世論が市民の多数である「事実」を報道しようとしたはずだが、しかし、4/18のニュース映像を見るかぎり、テレビ局側の思惑は外れて、善光寺の選択と判断を積極的に評価する市民の声は少なかった。善光寺で聖火リレーの出発式をやって欲しかったというのが多数の希望であったことは間違いない。

それは、政治と五輪を分けて考えるのが妥当だという一般的な市民感覚に他ならない。善光寺の説明には無理がある。善光寺は辞退の理由として、「100件を超える『出発式を辞退すべきだ』という意見が寄せられた」点を挙げ、「『会場を引き受けるべきだ』という声はなかった」と
言っているが、この説明は納得できない。「出発式を辞退すべきだ」と善光寺に電話をかけて要求したのは右翼のアクティブである。一般市民は善光寺が辞退するとも思っていないし、辞退するかどうかで揺れているとも聞いていないし、出発式は善光寺で行われるものと当然に思っている。わざわざ出発式開催支持の電話などかけたりはしない。もし善光寺が世論に判断を委ねるのであれば、予めそのように世論に諮る方策をとるべきであった。善光寺の言い分は詭弁である。善光寺に辞退の圧力をかけたのが右翼であった事実についてはネット内の証拠を提出することができる。
これを見よ。

右翼は2ちゃんねる掲示板を使って早い時期から善光寺に圧力をかけるネット運動を展開していた。映画「靖国」の上映館に圧力をかけたやり方と同じである。今回の事態は、単に善光寺が右翼の圧力に屈して、文化への政治の介入と干渉を許す誤った判断をしたというだけに過ぎない。善光寺の内部に右翼と繋がった一部が存在した可能性も考えられる。チベット仏教と中国政府との関係や中国国内における人権問題については今回始まった問題ではない。善光寺がそれを知らなかったはずはなく、現在になってその問題を辞退の口実にするのは都合がよすぎる。あまりに政治的であり、宗教者としての理由づけを俄かに信用できない。中国に欧米や日本のような信教の自由がない事実も了解した上で、その上で長野のシンボルとして聖火リレーの出発式会場を提供していたはずだ。世界に再び長野を宣伝しようという長野市と長野市民の期待に応えた対応だったはずであり、重い責任を引き受けていた。

中国からの観光客の誘致拡大という経済的な思惑もあったかも知れない。善光寺は長野を代表する象徴的存在だ。善光寺の判断は軽率であり無責任であると言わざるを得ない。間もなく、あと一週間ほどで胡錦濤主席が来日する。胡錦濤主席は日中友好の親善行事として唐招提寺を訪問するが、それでは唐招提寺の立場は一体どうなるのか。日中親善行事を積極的に引き受ける唐招提寺はオリンピック憲章違反なのか。善光寺は中国に対して立場を持った。善光寺が次から日中友好を口にしてもそれは欺瞞になり、中国からは信用されないだろう。善光寺の行為は、人権問題に対する意思表示やプロテストではなく、北京五輪に対する政治的妨害への加担なのである。もしも本当にチベットの仏教徒への同情や憐憫を示すのであれば、それなりに配慮したメッセージを中国に発信した上で、その上で政治と文化を峻別する姿勢を明らかにして、境内で聖火リレー出発式を挙行し、聖火リレーの成功に万全を尽くすべきだった。

そもそも今回のチベット問題というのは、中国側がチベット側に武力弾圧を行って始まったと言うよりも、北京五輪を政治宣伝の機会として捉えたチベット側が用意周到に暴動を起こして中国政府を挑発したという側面の方が強い。偶発的で自然発生的な暴動や鎮圧ではなく、北京五輪という標的を狙った政治の一環であり、世界の世論を中国批判に傾けようとする政治戦略がグローバルに動いていて、それに各国のメディアが加担したり便乗したりしているというのが真実である。現状では、世界が開催を認めた北京五輪が悪の祭典のような表象を押しつけられ、北京五輪に反対することが世界の常識で、北京五輪を祝賀する行事を妨害する行為が正義であるかのような観念が世界を覆っている。まるでブッシュ大統領の「悪の枢軸」や「テロとの戦い」への付和雷同的帰依と同じ状況であり、理性の観点から考えれば世界的な思考停止と単純化の暗黒である。「悪の枢軸」や「テロとの戦い」を盲目的に承認するイデオロギー状況の中でイラク戦争が行われた。

いやな予感がする。日本の右翼が何を狙っているか手に取るように私には分かる。二年前の「中国の反日デモ」の政治を再現させる気だ。今回、長野の聖火リレーには2000人の在留中国人が声援に駆けつけることになっている。右翼は2ちゃんねると右翼ブログを総動員して長野で大規模な抗議行動を起こすよう決起を呼びかけている。必ず騒動が発生する。右翼のアクティブが走行中の聖火に飛びかかるか、右翼が買収したチベット人に飛び込ませるか、右翼の街宣カーが五星紅旗を掲げた中国人学生の隊列の中に突っ込むか。混乱や騒動が起きれば、仮にそれが暴力事件にまで発展しなくても、中国のネットで大問題になって紛糾することは間違いない。欧米人による北京五輪妨害と日本人の北京五輪妨害では、同じ北京五輪妨害でも中国人にとっては意味が違う。インパクトも全然違う。ナショナリズムの感情を沸騰させるエネルギーの程度が全く違う。そして、最悪の(右翼にとっては最良の)タイミングと言うべきか、4/26の一週間後には5/4が控えているのである。

五・四運動の5月4日。そしてその二日後の5月6日が胡錦濤国家主席の来日。右翼にとっては願ってもない反中反共キャンペーンの日程になっている。4月26日の長野聖火リレーの妨害行動についても、5月6日の胡錦濤主席来日への抗議行動についても、すでに数多くのネット右翼のブログで作戦行動の計画と詳細が提示されていて、それへの参加が呼びかけられている。計画は組織的で、バックに潤沢な資金が調達されていることも伺い知ることができる。善光寺の今回の判断は日本の右翼を勢いづかせ、彼らの反中反共運動に正当性の根拠を与えるものとなった。これから二週間、列島と大陸は政治で熱く燃えるだろう。その責任は善光寺にある。北京五輪をめぐる反中反共イデオロギーの熱の渦は、暫定税率再議決の政局と絡み、ポスト福田の政界再編と
改革新党の総選挙に絡み、右翼ポピュリズムの政治(小泉純一郎・安倍晋三・麻生太郎・石原慎太郎)を呼び込み、靖国を再び政治の前面に推し立て、われわれが切望する福祉国家政権の夢を打ち砕く方向に作用するだろう。そういう予感がする。
心ある市民は右翼の謀略に抗して北京五輪成功の立場に立ち、文化と政治を峻別させる倫理と理性の声を上げるべきだ。
【世に倦む日日の百曲巡礼】
1960年の西田佐知子の『アカシアの雨がやむとき』。
まるでお人形のようなスレンダーで大きな瞳の西田佐知子が美しい。
60年安保闘争の国民的敗北感を癒し慰める哀愁歌。
そのことを私に教えてくれたのは大学1年のときの学部の教官だった。
あんな貧しい時代、あんな田舎の山奥の奥の奥からも国会前のデモに参加していた。
山を越え、海を越え、夜行の東海道線に乗り、東京まで36時間以上かかったはずだ。
丸山真男が指導をしていた。
カラー映像はこちら。ロシア娘風のショールがよく似合う。いいね。

今日(4/20)の「サンデーモーニング」で、右も左も北京五輪反対の大合唱の中、
関口宏だけは聖火リレーの妨害行動に怪訝な態度を示していた。
もうすぐこの歌から50年になる。いつまでも負け続けていてはいけない。
勝った歴史を作らないと。