
私が中国に特に惹きつけられる理由は、その歴史や文化への
憧憬もあるけれど、それ以上に、中国国内に住む日本語を話す人々の存在がある。正確にはわからないが、少なくとも5年前までは、中国の国内では英語人口よりも日本語人口の方が多かった。学校教育としての外国語ではなくビジネス外国語としてのプライオリティは、90年代前半までは日本語の方が英語よりも優位を占めていた。7年前の北京で知ったのは、中国にはTOEICのような本格的な日本語の資格検定制度があり、年に一度の試験に何十万人もの中国人が受験しているという事実だった。ありがたいと思った。そんな国は他にない。こんな辺鄙な国の言語を。グローバル時代になった現在、事情は大きく変わったに違いないが、それでも中国は世界の中で最大の日本語人口を持つ外国である。日本にとってこれ以上の海外資産があるだろうか。米国に住む日系人や南米に住む日系人と同じか、それ以上に貴重で重要な国家の財産であると私は思う。

この話には続きがあり、そのことを私に教えてくれた北京のブルジョワ出身の若いお嬢さんは、自分は大学で日本語を勉強したけれど、そのことを今では後悔していると私の前で率直に語った。英語を学んで豪州に留学すればよかったと進路決定を悔やんでいた。彼女がなぜ日本語(日文科)の選択を後悔していたのか、わざわざ立ち入って理由を聞くまでもなかった。2001年はすでに十分にグローバル社会の時代に入っていて、日本経済は金融危機を経て凋落の一途にあり、さらに日本国内では右翼が台頭して粗暴で有害な嫌韓反中思想が論壇とマスコミの大勢を占めつつあった。日中友好の思想環境は後退する一方だった。私は悲しくなり、申し訳ないと心の中で思った。外国語を学習して身につけるということは大変なことで、個人にとって決して容易なことではない。その国の文化や習慣に好感を持って臨まないと習得できないものだ。7年前、中国で会った人たちは、日本のニュースや音楽や芸能情報を本当によく知っていた。驚かされた。

4/27のTBS「サンデーモーニング」を見ていると、冒頭に長野の聖火リレーの問題が取り上げられて、そこで不意に、田中優子から「
チベットって一度独立しているんですよね」と発言があった。関口宏に向かってしれっと言った感じで、言われた関口宏も応答を返すことはなく、誰もその発言に対してコメントを付け加えることなく生放送の番組が進行した。同じ話は「サンデープロジェクト」でも田原総一朗の口から出されたが、このときは中国政治外交史の研究者である朱建栄に一蹴され、反論できずに引っ込めている。田中優子は法政大学教授で近世文化研究者であり、番組の中で最もバランスのとれた発言をするコメンテータである。特にイラク戦争のとき、国内のマスコミが小泉政権による自衛隊イラク派兵を支持して翼賛世論を塗り固めていたとき、週末の政治番組に登場する人間としては最も果敢に反戦と派兵反対を訴えていて、そのときの言論が印象に残っている。しかしながら、今回の「チベットは一度独立していた」の発言は、責任ある立場として軽率の謗りを免れない。

何を根拠に「独立」の歴史的事実の断言に及んだのだろうか。まさか古代の唐の時代の吐藩の話ではないと思うが、歴史研究者としては些か問題発言と言わざるを得ない。広辞苑の「独立国」の意味は、「完全な主権を有する国家」「国際法上の能力を有する完全な国際法主体」とある。主権の意味は「他の意思に支配されない国家統治の権力」。国際法上の独立あるいは独立国の定義を厳密に調べようとすれば、歴史的にヨーロッパで神聖ローマ帝国が解体して主権国家が成立するグロティウスの時代まで遡って検討する必要があるだろうが、ここでは常識に従って、国家独立の歴史的事実を確定できる根拠として二つの条件を上げることができるだろう。すなわち、①独立宣言の事実があるかどうか、②周辺国や国際社会による承認の事実があるかどうか、の二つである。チベットの場合は②の「国際承認」の要件が充たされておらず、「一度独立していた」とは言えない。独立承認の事実がないことは、歴史認識としてチベット側も認めざるを得ないはずで、決して中国側の一方的な主張ではない。

確認のために「
ダライ・ラマ法王日本代表部」のHPの記述を検証したところ、その中に「
チベットの歴史」と題されたページがあり、これがチベット側の公式の歴史だが、この中身の記述を見ても外国がチベット独立を承認した事実は全く書かれていない。1912年に清朝が滅亡した直後、1908年に清の侵攻を受けてインドに逃れていたダライ・ラマ13世はラサに帰って独立を宣言するが、それを承認する国は一国もなかった。実際にはチベットは1904年に結んだラサ条約によって英国の保護国となっていて、事実上の植民地の状態であり、ダライ・ラマ13世の独立宣言も中華民国に対するもので英国に対するものではない。チベットが独立国となるためには、厳密には英国の植民地支配を脱する必要があったと言える。手元にある『朝日=タイムズ世界歴史地図』を開くと、107頁に関連地図があり、チベット領は英国の支配圏を意味する紫色の斜線で塗られていて、「1912以降はイギリスの影響下で自治領化」とある。このとき中華民国は当然ながらチベット独立を認めず、その後、中華民国が台湾に移ってからも公式の態度は変わってない。

台湾の中華民国はモンゴルも自国の領土のままとした。田中優子が番組で言った「一度独立していた」という話は、この1912年からの歴史的事情を指すものと思われるが、英国とチベットとの関係や何より独立承認手続きの問題を無視した軽率な発言であり、マスコミを使った影響力を考えても、やはり厳しく批判される必要があるだろう。歴史の捏造と言われても仕方がない。もし田中優子的な主張が正当化されるなら、例えば極端に言えば、高橋はるみ知事が札幌の道庁で「北海道独立」を宣言すれば、外国がそれを承認しなくても、歴史認識として「北海道は一度独立していた」ということになる。無理がある。優秀な田中優子が歴史認識で何故このような安直な誤りを犯したのか不明だが、チベットの人権問題への意識が突出したことと、現在の日本において右も左も中国叩きで固まっていて、国論が統一されている現状に安住していた思考態度の問題が考えられるだろう。少々の暴論を吐いても、中国や中国人以外から批判を受けることはないだろうと高を括っていた気配が感じられる。田中優子の発言の意味は、主張をコロコロ変える浮薄なマスコミ権力者の田原総一朗とは重さが違う。

田中優子を含め、日本の左派のサイドから、右翼に負けじと中国バッシングの猛攻が繰り広げられている現状がある。中国によるチベットへの弾圧と人権問題は無視できない問題だが、われわれにとってもっと重要なのは、きっと日本国内の市民の権利の問題なのだ。今は
張景子が青山繁晴や太谷昭宏や長島昭久から侮辱と罵倒を浴びせられている。人間扱いされていない。前は拉致問題で北朝鮮の立場に立った人間が暴言と恫喝を浴びせられた。拉致問題の発生以降、日本では朝鮮総連の関係者は一般社会の住人として認められない差別的扱いを受け、嫌がらせが常態化して基本的人権を剥奪された状態が続いている。同じ人間として正当に扱われていない。今度は中国人に攻撃が向けられ、まるで護送者に乗せられた犯罪者を市民が罵るような、常軌を逸した激しい攻撃が公共の電波を使って行われている。不条理な差別と人権侵害が公然と行われ、そうした異常が社会的に正当化されている。朝鮮人が座らされ、中国人が座らされ、その次にそこに座らされて罵倒されるのは誰なのだ。共産党とか社民党とか護憲派とかの人間ではないのか。6年前の拉致事件のときを思い出しても、土井たか子への右翼の中傷攻撃は凄まじかった。
今度の問題の本当のところはそういうところにあるのだが、実態をよく分かってもいないチベットの人権問題に観念をスリカエて、左翼の人間たちが中国攻撃の左右シンクロナイズに精を出している。それほどチベットの人権問題が大事なら、なぜ今まで一度も声を上げなかったのだ。右翼と一緒に中国批判をしなかったのだ。
【世に倦む日日の百曲巡礼】
1980年の喜多郎によるNHK『シルクロード』のテーマ曲を。
この音楽と番組は最高だった。NHKの古典中の古典。不滅の傑作。
4WD車を連ねて河西回廊と天山南路を移動するNHK取材班が羨ましかった。
番組冒頭のタイトルバックに黒いチャドル姿の美しい女性がアップで出ていたね。
西安の城壁の西門がシルクロードへの出発点の玄関で、
そこには天皇陛下が立ったお立ち台があり、日本人観光客に必ず案内される。
この映像は一昨年新しく制作放送された『シルクロードⅡ』のもの。
青蔵高原と青海湖が出てくる。行きたい。

青海省出身の人と一人だけ出会ったことがある。
丸顔で、いかにも田舎出身っぽくて、北京のブルジョワ嬢とは全く雰囲気が違っていた。