
ロバート・ラウシェンバーグが死んだ。あれは確か1986年だったが、世田谷美術館で展覧会を開催しているのを見に行ったことがある。いわゆる現代美術と言われるものをそのとき初めて見て、一目で気に入ってしまった。それまで、美術と言えばせいぜいダ・ヴィンチとかピカソくらいしか知らず、マチスもカンディンスキーも知らず、ポップアートの作品などは最初から鑑賞する対象として除外していたのが、天井から吊るされたラウシェンバーグの大きなコラージュの作品の前に立った瞬間に考え方が変わり、その芸術に魅力を感じるようになった。アイディアと方法に共感を覚えた。考えてみれば、水戸芸術館の開館が1990年、ちょうどあの頃、バブルの頃が日本人全体が現代美術に入門して行く時期で、日本の中産階級に現代美術の文化を導入する事業を精力的に進めていたのが西武セゾンの堤清二だった。ラウシェンバーグに感謝しつつ合掌。

福島瑞穂の
BLOGに5/11のNHKの「セーフティネット・クライシス」を見た記事が載っている。他の国会議員のBLOGでこの社会保障の特集番組について書いているものを見つけていない。末尾の時刻を確認すると、記事は当日の22時22分に上げられていて、番組の放送は10時30分までだったから、福島瑞穂は番組を見ながらBLOGを書いていたことがわかる。そしてさらに、もう一本記事を書いてその夜のうちに上げている。内容は短いが、やはりその生産力とスピードに驚かされる。公党党首の激務の中を福島瑞穂はよく頑張っていると率直に感じる。BLOGの記事は私的な日記であると同時にコミュニケーションであり、党首の立場であれば、社民党からの国民へのメッセージの発信である。責任は重い。言葉も数字も間違えない。やはり東大法学部の弁護士は大脳のクロック・フリクエンシが常人とは違うなと思わされる。脱帽せざるを得ない。

想像もできないほど多忙な党首生活の中で、福島瑞穂はNHKの特集番組を見て、こまめにBLOGの記事を発信し、さらに本もよく読んでいる。これは立派と言うほかない。優秀で体力のある人間だからできることで、さすがに組織の上に立つ人間の器量は凡人とは違う。そして、福島瑞穂のBLOGの記事には人柄がよく現れていて、テレビの発言や国会での演説と同様に好感が持てるコミュニケーションになっている。コミュニケーションとして成功している。人間としても国会議員としても何の不備も不満もない。よくできた人物だ。福島瑞穂自身が言っていたと思うが、まさに日本の戦後教育が純粋培養的に育てて、モデリッシュに「全人格的発達」が実現された姿のように映る。福島瑞穂は宮崎生まれで、自然の中で育った大らかさや純粋さがあり、同じ戦後教育の世代でも大都会で育った人間たちと明らかな違いがある。子供は田舎で育った方がいいと思う事例を福島瑞穂が見せている。

だが、もし福島瑞穂がブログを読んでいれば考えて欲しいことがある。福島瑞穂は5/12の記事の中で、「次の衆議院選挙では、社民党は、なんとしても衆議院の議席を2桁にしたい」と書いている。この言葉に私は失望を感じる。2桁では政治を変えることはできない。2200億円の社会保障費削減を止めることができない。後期高齢者医療制度を廃止することができない。議席数は過半数必要なのである。次の総選挙で241議席を獲得しなければならない。福島瑞穂は社民党の党首であるから、社民党としては現在の7議席を2桁にすれば成功なのだろう。だが、仮に社民党が議席を倍増させて14議席を獲得しても、自民党と公明党と民主党の3党が450議席を占める結果になれば、現在の社会保障の政策は大きく変わることはないのである。自民党の議席減が確実な状況で選挙をする場合は、自民党は必ず政界再編を仕掛けて選挙に臨む。民主党も一枚岩ではなく、政界再編に同調する部分が必ず出てくる。

福島瑞穂が考えなくてはいけないのは、福祉国家の政策で政権を取る多数派勢力をどう作るかということだ。社民党の議席を2桁にする前に、自分たちが国会で多数派になる戦略を構想する必要があるのではないか。その発想が福島瑞穂には欠落しているように見える。そこで悩んでいない。われわれは福島瑞穂にそこで悩んで欲しいのであり、そこで大胆な政治革新のブレイクスルーをアイディアできる人間こそが本当の指導者なのだ。例えば、福島瑞穂に質問したいが、社民党はなぜ国政選挙において共産党と選挙協力しようとしないのか。二党とも1桁政党の小党なのに二つの政党に分かれて別々に護憲票を奪い合おうとするのか。有権者から見れば、社民党と共産党の掲げる政策はほぼ同じであり、二党に分かれている必要は全くない。票を無用に分散させて議席を減らしているだけであり、保守二党に余分な議席を与え、社会民主主義の勢力を減少させ、政治の現場や世論における地位を後退させているだけだ。

社民党と共産党の仲が悪いという事情は誰でも知っていて、骨肉相食む近親憎悪的な関係が長い歴史の中で培われているという事実も有権者は薄々承知している。しかし、そうであればなおのこと、勢力をシュリンクさせた二党がいがみ合うのは滑稽で無様であり、無意味であり、あまりに政治姿勢が過去に捉われすぎている。過去の人間の怨念のために政治をやっているのではないはずだ。過去のしがらみを引き摺るのではなく、福島瑞穂は自分のリーダーシップで構想して決断したらどうか。中国とチベットが対話を始めたように、選挙共闘に向けて具体的に条件を提示したらどうか。福島瑞穂がやらなくてはいけないことは、多数派をどう組織するかを考えて実行することだ。大型の社会民主主義の指導者をめざすことだ。目標を10議席とか20議席に置いてはいけない。政権を取ることを目標にしなければならず、自分が総理大臣に指名される瞬間を常に意識しなくてはならない。福島瑞穂の意識の中にそこまでの執念や野心はあるだろうか。権力への執念や野心のない政治家は結局のところはお飾りになる。
福島瑞穂を見ていて、人格や頭脳は申し分ないけれど、政治家として小型に見えるのはそういう問題があるからではないか。次の選挙の後で自分が総理大臣になることを考えて欲しい。これから選挙までの時間をそのために使って欲しい。それができれば、福島瑞穂は大型の政治指導者になれる。そして誰かがそうしなければ、民主党などに任せていれば、いつまで経っても日本社会が新自由主義の地獄から解放されるということはないのだ。